試すなッ! Don’t try!

田中ざくれろ

第1話●冬の蝶(物質転送器)

 床に立ち込める冷気の雲の中、白衣を着た科学者、シロバカマ博士は、巨大な剥き身の栗の様な『物質転送機』の前でくしゃみをした。

「どうして、こんな事になったのだろうなぁ……?」

「研究室もすっかり寒くなってしまいましたね」

 博士の横で、安物の青いジャージを着た助手、ナイアラトは言った。

 広い実験室の向こうの壁際には同じ形をした機械が置かれている。

 シロバカマ博士が発明し、実験している物質転送機とは、ケータイでメールを送る様に、品物(物質)を離れた所に、瞬間的に送る機械。シロバカマ博士の前にある物が『送信側』であり、壁際のもう一つが『受信側』として使われたのだ。

 受信側にもついている扉が開き、その前には体育座りをしたジャージ姿の男が白く凍りついて転がっている。受信機の傍には幾つも幾つも十何体という男が凍りついて、体育座りのポーズをしたままで床に様々に転がっていた。

 白色に凍りついた全ての男は死んでいる。というより、元から生命活動をしていなかった。まるでそのポーズのまま、造形作家に作り上げられた人形の様だ。

 男は全員、ナイアラト助手と瓜二つだった。何体も、十何体もの全てが。

「私の複製がこんなに……」

 ナイアラトは自分と同じ姿をした『ナイアラト達』を眺め、その内、一番自分に近い所にある物を指で突つこうとし……ひんやりとしすぎる空気を指先に感じ、引っ込めた。

「映画『ザ・フライ』の転送された対象が冷気の霧と共に出てくるっていうシーンって、正しい描写だったんですね。博士、これは多分、絶対零度近くまで冷えてますよ」

「何だと、ナイアラト?」

「愚見ながら、これらは完全に静止状態にあると思います。つまり、原子までもが静止して運動エネルギーが完全にゼロなんですよ、きっと。原子が完全に静止している温度、絶対零度です」

「ふむ」

 シロバカマ博士はさっきまでこの研究室で行われていた実験の、一連の手順を思い出した。

 ナイアラト助手が送信側である物質転送機の扉を開き、狭いそこへ乗り込んで、膝を抱えた体育座りをする。

 転送機の扉を閉め、シロバカマ博士が転送のスイッチを押す。すると内部スキャナが一瞬でナイアラト助手の全体を走査し、ナイアラト助手を分解して情報とエネルギーの形で受信機へと送る。

 送信機内部は空となり、受信機の中から転送されたナイアラト助手が現れる。

 ……というはずであった。

 実際に行われた実験では、転送手順が終了しても送信機側のナイアラト助手はそのまま残り、受信機から新しいナイアラト助手が白く凍りついた体育座りで現れたのである。

 受信機の扉を開くと、白く凍りついたナイアラト助手の複製は、冷気の霧と共に冷凍マグロの様に床を滑って出てきた。転送実験したのと同じ数だけ。数えて十数体。こんな物を眺めていて、いい気分がするはずはない。

 生きたナイアラト助手は送信機の方から出てきたオリジナルだけだった。

「やはり、いきなり人体実験というのがいけなかったかな?」と首をひねるシロバカマ博士。

「考えてみればFAXやメールは転送しても、オリジナルは消滅せずに手元に残りますからね。この機械は物質転送機ではなく、物質複製機として作動したんですよ。コピー機ですね」

「エネルギー保存則にのっとれば、複製するのに元のオリジナルと同じ質量分のエネルギーが必要になるはずだが」

「それは宇宙の何処かから機械が持ってきたんでしょうね。何処か一ヶ所から局地的にか、宇宙あまねくから平均的に微量ずつかは解りませんが」

「何故、絶対零度で凍りついた状態で複製されてくるんだろうか?」

「博士、それは送信機が転送する為に送信物を走査するスキャナが、物質の一瞬間の状態しか読み取れないのが原因だと思います。この世の物品は全て、運動する原子から成り立っていますが、スキャナはそれを一瞬しか読み取れません。流れ水も一瞬を切り取ったら『静止』です。つまり運動の時間的前後のない、連続する時間の最小単位分しか切り取れないんです。これは情報的に完全静止した『原子運動ゼロの絶対零度』に等しいと思われます。複製された物は完全静止しているんです」

「というと、この機械は絶対零度で凍りついた死んだ物しか送れないという事か」

「絶対零度を実現する機械ですね」

 シロバカマ博士は溜息をついた。

「ところで博士。前からこの機械について疑問に思っていた事を質問してよろしいでしょうか? いささか非科学的な事でありますが」

 ナイアラト助手が床のあちこちに転がっている生命活動を停止させた『自分』を眺めながら言った。

「うん、何かね?」

「この機械によって転送された人間の『魂』はどうなってしまうんでしょうかね? ええ、いや、魂というものが非科学的で抽象的な概念だというのは解っています。しかし、仮に神秘主義者の言う様な魂というものが人類に宿っているとしたら、転送された人間の魂は転送対象と一緒に転送されるのでしょうか? 魂というものが生命ある物質全てに自動的に生ずるものだとしましょう。この物質転送機が正常に作動し、送信機側の『私』がエネルギー的、情報的に分解され、空間を伝達されて、受信機側で生きている状態に再構成したとします。すると送信された『私』、ナイアラトにはそれまで送信機側で持っていたのと同一の『魂』が宿っているのでしょうか? つまり、魂は『連続』するのでしょうか? これは意識が連続するのでしょうか?という言葉に置き換えても構いません」

 助手の言葉にシロバカマ博士は「ふむ」と首をひねり、自分が物質転送機の送信機内に入った場合の視界を想像してみた。

 自分が送信機の中で内側の金属質の壁を見ている。

 一瞬、内壁のスキャナの緑色光がフラッシュし、自分の全身が透過走査される。

 すると次にはもう自分の意識は送信機側の内壁を見ている。転送されたのだ。自分が生きたままで転送され、送信側と受信側の意識が連続していればその様な風景が見えるはずなのだ。しかし魂が転送されないとすれば、自意識は転送された途端に消失するだろう。死ぬのだ。肉体は転送されても。多分。

 シロバカマ博士は小さく唸った。

 ナイアラトは言った。「現在、この物質転送機は『死体複製機』としてでしか作動出来ません。……しかし、もし生きたまま、受信機で再構成出来るとすれば、意識エネルギー的、情報的に移動する事になるのでしょうか? つまり送信機のオリジナルと受信機の複製体の意識は連続するのでしょうか? それとも送信機にあるオリジナルは、それがエネルギー的、情報的に分解された時点で死滅……魂を喪失してしまうのでしょうか? ……もし、オリジナルが何も喪失せず、送信機側の複製体にも意識の連続性、魂が宿っていた場合、私達は魂の複製にも成功したと言えるのではないでしょうか」

 シロバカマ博士は難しい顔をしたまま、助手の言葉を聴いている。

「私達は、魂の存在証明まであと一歩という場所にいるかもしれないのですよ」

「いや、ナイアラト。意識連続の再現が即、魂の有無の証明になると考えるのは早計すぎる」

「でも博士、簡単に考えてみて下さい。魂の有る無しを証明する為には人間を生きたまま、転送してみればいいのです。転送された人間に『お前は意識があるか?』と尋ねればいいのです。……しかし、出来ない。生命のあるままを転送出来れば、すぐに出来るという証明が、サンプルを生きたまま転送不可能という根本的な構造問題のせいで出来ない。何という悩ましい事でしょう。博士、私達は物質転送機を早く改良するべきです」

「……スキャナの機構から考えるに、オリジナルの時間を断片的に切り取るのではなく、比較的、長い時間の連続状態を全走査する様に改良するのは、技術的にとても難しいだろうな。過去状態の精密な記録と観察と、未来状態の正確な推測と予知が必要だ。今使っているコンピュータではとっても追いつかんだろう」

「……魂の存在を露見させたくない何らかの存在が我々を嗜虐している。私はそんな悪質な冗談めいた状況だとすら感じますね。意地の悪い全知全能存在が、走り続けている私達の前のギリギリの所に『もう少し』と書かれたカードをぶら下げ、永久に追いつかないのを嘲笑っている様な」

 シロバカマ博士がまた、くしゃみをした。

 すると、その風の勢いで冷気の雲と一緒に舞い上がった白い小片が足元にある。

 ナイアラト助手がジャージの袖元を指の所まで引っ張りあげ、布越しにそれをつまんだ。

「蝶、ですね。送信機にまぎれこんでいたんですね、博士」

 ナイアラトが眼の所まで持ち上げて見てみると、それは白く凍りついた一頭の蝶だった。大きさと形からシジミ蝶の一種と知れる。

「映画の様に、送信された人間と合成された蝶人間にならなくてよかったです。……いや、なった方が面白かったかな? どうせ、絶対零度で凍結しているのだし」

「ナイアラト、もし物質転送機が被検体を異物と合成してしまう機能があったなら、お前の身体はお前の着ているジャージと合成されていただろう」シロバカマ博士はくしゃみを我慢して、蝶を見つめながら「……果たして、これにも魂があると言えるのだろうかな……」と言葉をこぼした。

「博士、ある寓話によれば、蝶というのは死んだ人の魂だそうですよ」

 そう言って、ナイアラトもちょっと考えにふける仕草を見せた。手の中の蝶の剃刀の様な羽をちらちらともてあそぶ。

「送信機のスキャンした元データがあれば、受信機は幾らでも転送、つまり複製出来るという事なんですよね。もし送信機が暴走したら、この凍りついた蝶が凄まじい数、複製されて止まらなくなるかも。……博士、面白いじゃないですか。この蝶を故意にコピーしまくってみませんか。送信機側にコピーのデータが残っているから、オリジナルから無数に複製出来ます。それこそ無限に」

「……何を言っているんだ、ナイアラト?」

「物質はエネルギーの一形態。複製するにはそれと等価のエネルギーが宇宙で消費されるはずです。無数の蝶の為には、無限のエネルギーが。つまり複製する度、この宇宙の一部が凍りついた蝶に置き換わるのです。無限の宇宙が無数の絶対零度に凍りついた蝶に変換され、この物質転送機が止まらない限りは、やがて街も、自然も、空も、海も、大地も、惑星も、恒星も、私も、博士も、全人類、全ての生きとし生けるものも、空間も時間もエネルギーも情報も全て、絶対零度に凍りついた、整然とした蝶の死骸の無数の大群と交換されて、宇宙は絶対静止の死を迎えるのです」

「ナイアラト、私は君の言っている事が解らん。いや、理解は出来るのだが、君の言っている言葉を許容出来ん。だが、反論はしよう。この凍りついた蝶の死骸が宇宙を食い潰しながら増えていって、やがて宇宙が熱的死を迎えようとしても、宇宙全体のエントロピーは減らす事が出来ん。恐らくエントロピーは物質転送機の作動発熱となって現れるだろう。宇宙を凍りつかせようとすればする程、転送機自体は熱くなり、機械の限界を超えて故障してしまうだろう」

「それはやってみなければ解りませんよ、博士。エントロピーは確率、傾向です。沸騰した水が次の瞬間に凍りつく可能性も全くのゼロとは言えないんです。私達の今、話合っている事は思考実験ですが、やってみて試せる現場にいるんです。新しい死んだ蝶を作り続ける事が創造であると言えるなら、私達は創造と破壊を同時に出来る、アルファ・オメガ的立場にいるのですよ。……どうですか、シロバカマ博士。実際、どうなるかわくわくしませんか。果たして現実が私が言った通りになるかどうか、失敗するとしたらどの様な作用が失敗させるのか、一科学人として、この機械の暴走を試してみたくなりませんかッ?」

 ナイアラト助手は傍から見ていて解りすぎる程に高揚していた。

 研究室の床に転がった十何体のナイアラトの死骸を眺めながら、シロバカマ博士は一つの言葉を吐き出した。

「試すなッ!」

 ナイアラト助手が手の中で蝶をもてあそぶ。

「……この宇宙から消え、死んだ蝶に置き換わった人間の『魂』は一体、何処へ行くんでしょうかね、博士?」

「さあな」

 蝶の死骸は粉々に砕けた。

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