気付けばそこに彼女がいた

「気を付けてね」

「三浦くん、若子たちの面倒は頼むぞ。もしも万が一何か遭ったら君は死罪だ」


 某日、夏休み旅行の出発日を迎える。

 旅行にあたって教室のカギは鳴門くんに預けた。


 何でも聞いた所、ウミンの締め切りがやばいそうなのだ。

 だから脱稿するまでの間、彼女は子供たちの世話から解放されたがっていた。


 鈴木多羅に任せればいいじゃないかと言っても、何故か呆れられる。

 察するに、俺は鈴木多羅の子守り能力を完全に見誤っていたようだ。


「三浦先生、あいにく僕は仕事があるので、送り迎えしか出来ませんが楽しみましょうね」

「道中宜しくお願いしますトオルさん、安全運転で頼みますね」


 トオルさんは声高らかに「はーい」と宣言し、レンタカーを発進させるのだ。


「なぁ宰子、トオル叔父さんに好きな人教えて」

「三浦彰」

「じゃあ若子は?」

「三浦くんだな」

「……白けるなぁ、お前らの嘘はまったくもってなってない」


 どうせ嘘吐くのならもっと人を驚かせる嘘にしないと駄目だ、なってない。トオルさんが宰子ちゃんたちに悪態吐いていると、嘘じゃない嘘だ嘘じゃない嘘だと車内が喧しくなった。


 俺はそれを聞いてて三人の様子を嘘だろと疑っている。

 車を発進させてからまだ十分ぐらいしか経ってないのに、こいつらどんだけなんだと。


 旅行を年齢に見合った数だけ経験している身としては、道中退屈しなさそうで何よりだった。


 ◇


 片道およそ七時間の距離を一気に走行して、俺達は目的地にたどり着いた。

 出発したのは朝の十時だというのに、空はまだ茜色の景観を保っている。


 季節としては夏至に近いし、日が落ちるにもまだ余裕があった。


「み、みみみ、三浦くん! トイレはまだか! トイレは!」

 しかし、俺達を乗せた車はまだ宿泊先の旅館に着けていない。


「おっかしいなー、この辺のはずなんだけど……もうちょっとの辛抱だぞ若子」

「あかん! もう……漏らした」

「シャッターチャンスウウウウウ!」


 と、トオルさんが幼気な少女のおもらしを撮ろうとした様子を、宰子ちゃんは俺から借りたスマホで撮っていた。さきほどまで俺にトイレトイレと煩かった若子ちゃんは宰子ちゃんとハイタッチしている。


「ふっふっふ、引っかかったな悪党本間トオル!」

「これで叔父さんと会うことはもう二度となさそうだね」

「お前ら策士か! くそう! 僕としたことが嵌められた!」


 全ては二人によるトオルさんへの反逆だった。

 ……としても、若子ちゃんがおもらししているのはどうやら本当だ。


「おいおーい! これレンタカーだよ!?」

「こうなった以上しょうがないですよトオルさん」

「えぇ!? トオル叔父さん信じられないよ! 若子のその顔なに!?」


「これはいわゆる目的を越境した達成感によるものだ」

「越境!? 難しい言葉知ってるねぇ! トオル叔父さん信じられないよ!」


 頭脳は大人、身体は子供、それが鈴木若子&渡邊宰子という彼女達だったようだ。


 その後、車は難なく宿泊先の旅館に辿り着く。

 どうやらトオルさんは若子ちゃんのおもらしのためにわざと道に迷っていた。

 このことはしっかりウミンに連絡を入れておく。


『トオルに何万回死にたいって聞いておいて』


 以上。


 のように、夏休み旅行は開幕から波乱に満ちていたようで。


 俺としては和気あいあいとする三人の気楽さがちょっと羨ましかった。

 俺は遅まきながらの自分探しをしたくここにはやって来たのかも知れない。


 今の俺は特別な人も、大切な仕事も失い、心に迷いが生じているから。


 このまま余生を送るにしても、胸中に抱えている喪失感をどうにかしたかった。


「三浦くん、私はトイレに!」

「若子、とりあえず着替えとタオルを持ってから行きな」

「そうさせてもらう! では!」


 トオルさんから着替えとタオルを渡されると、若子ちゃんがすぐさま駆け込んでいった。

 俺たちは若子ちゃんのも含め、荷物を玄関まで運ぶ。

 この旅館はネット検索で見つけたバリアフリーが施されている、希少な旅館だ。


 弐階建ての和風の旅館は夕暮れ過ぎになる頃に、玄関入り口の灯籠に明かりが灯される。おうまがとき特有の紫色の空を覗いながら、俺はウミンの姿を彷彿とし、やはり本間海を愛着してしまっている自分を恥じることなく傍観している。とても不思議な心境だった。


 だから、空に意識を取られていた俺は『彼女』に気付けてなくて。


「ようこそ、旅館熊夜へ。私はここの女将をやっております、荏原えばらタカコと申します」


 と言われ、視線を空から地に落とすと。

 そこには、俺と同じく車椅子生活を余儀なくされた彼女がいたのだった。

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