布教のカルチャー
命題
「三浦くーん、今日は私とどんなことがしたいんだーい」
「来たよ父さん」
嗚呼、良かった。
嘘だったとはいえ、先日宰子ちゃんを突き放す形になってしまったから。
彼女はこれを機に二度と俺と会いたくなくなる可能性も十分考慮していた。
杞憂に終わってくれて本当に良かった。
「三浦くん、外は暑いんだから、もっとクーラーガンガン利かせて欲しいなー」
生憎の俺は身体的に不自由しているから、外出は控えている。だから俺の体感は季節感に欠いているようなんだ。日本は世界でも珍しい四季折々の風情がある島国だ。小説家として四季を体感出来ないのは痛恨だと思う。
俺には弟子たちの様子から今の季節感を知るしか方法がない。
「……鳴門くん、本城さん、二人は例の新人賞には応募したのかな?」
「あたしは出しましたよー」
「偉いな本城さん」
と言うと、本城さんは謙遜するように片手を顔の前で横に振る。
「今回の審査員が憧れの千年千歳先生なんで、是が非にでも読んで貰いたいんですぅー、師匠との関係はつい最近知ったんで、なんとも言えませんが……師匠なら新しい良い人が見つかりますよ」
つい、ははと愛想笑いを零していた。
本城さんは宰子ちゃんの一件で初めてウミンと出逢い、俺カルチャーを読んだようだ。それ以来お調子者だった彼女の態度が若干変わりつつある。以前よりも大人しくなったというか、全体的に落ち着いてきた。
「……父さんは、まだ興味あるの? そういうのに」
「あるかないかで言われたら、悩んじゃうな」
「三浦くんは将来的に私と結婚するんだよなー」
と若子ちゃんはネットサーフィンしつつ諧謔的に冗談を挿む。
将来的に若子ちゃんと結婚……?
しばらく考えたが、子供に対する大人の反応じゃないと思えた。
◇
「では師匠、お疲れ様でした」
「お疲れ様鳴門くん」
午後十時半、弟子の中でも一番熱心な彼も帰る。
何でもトオルさんは朝帰りを予定しているらしく、帰って来る気配はない。
久しぶりに独りきりの時間を持ち、俺は虚空を見詰めて思案していた。
――俺の人生はこのままでいいのだろうか?
結局作家としての三浦彰は、俺カルチャーを中途半端な所で終わらせてしまったな。そう考えると、次回作を想起するんだ。そしてちょっと執筆してみようかとパソコンを起ち上げる。
今の時代、障碍者向けのキーボードもあるけど、いつまで経っても慣れそうにない。
「はぁ、今日は止しとくか。明日も鳴門くんたちが来るだろうし」
不意に、本城さんの机の上に置かれていた文庫版の俺カルチャーが目に留まった。
脳に焼き付くまで読み返したとはいえ、久しぶりに読んでみるか。
『――これまで思い通りに行かなかった人生と言えど、不思議と人生を不満に思ったことはない。私は甚く消極的な人間で、反骨精神というものを知らなかった。だけど今日の私は違った。今日の私は鬱屈とした超えることの敵わない人生の壁を目の当たりにし、自分を、人生を変えてみようと思い行動を起こした。それが正しかった、間違っているとかではなく、偶には違った生き方をしてみようと思ったまでだ』
俺カルチャーからは当時の俺が壁にぶつかっていたことが容易に汲み取れる。
確かあの時は、今と同じく人生に迷いが見え始めていた。
両親からそろそろ働けと言われ、でも俺は夢の中で生きていたくて、それなりに葛藤があったのだと思う。今の俺からすれば矮小だと思うが、それでも、俺カルチャーを執筆していた当時は、妙に吹っ切れていたような気がする。
出来れば、当時の心境を思い出せないだろうか。
先日は夢の中で架空の本間三姉妹を見ることが叶ったし。
期待に胸を膨らませ、目を閉じ、安らかに眠りに就いた。
するとタイマー設定されていた消灯スイッチが入り、部屋は暗くなり。
窓から注がれる淡い月光と、街灯の光の跡を目でなぞりながらふと思う。
――俺の人生はこのままでいいのだろうか?
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