シンデレラストーリー
その後も、宰子ちゃんは俺の家に住み続けた。
それとなく渡邊先輩に連絡すると、さすがのウミンも心労を負っている節があるらしい。宰子ちゃんは母親の心情にまったく気づく様子はない。彼女が気にかけているのはいつも――
「ただいま父さん」
「三浦くーん、今日はどんなテクニックを教えてくれるんだー?」
宰子ちゃんと一緒にやって来た若子ちゃんの声はソプラノ調だった。
そんな美声を発する彼女に、俺は歌手を目指してみないか薦めてみた。
「おお! それはいい! 結果的に私は印税が入れば問題なーし!」
ふっふっふ、世界広しと言えど、八歳の時点で印税を目論む子もそうはいまい。
彼女たちの英才教育が行き通っている自負が、俺を嗤わせる。
次第に学校から帰って来た本城さんもやって来て、弟子が揃い踏みした所で。
「さ、みんなさっさと作業に入って。いつまでも談笑にかまけるなよ」
「はいさー師匠、はぁ、でもいつになったらプロになれるの私」
「その台詞を言う時点で大分成長してると思うよ」
それもこれも、トオルさんの指導による賜物なんだろう。
トオルさんは今、新しい就職先で八面六臂の大活躍を見せていると豪語していた。
事務方のはずなのに八面六臂ってなんだ?
……でも、トオルさんには早くアレを作ってもらわないといけない。
それぐらいしか宰子ちゃんをウミンの許に返す説得材料は思い当たらなかった。
◇
午後九時、トオルさんが帰宅する。
トオルさんは「給料日のインセンティブが楽しみだなー」と前向きだ。
「宰子、小説の方は順調? トオル叔父さんにお前の力作を見せてご覧よぉ」
「五月蠅いパチンカス」
「……例えそれが自分の叔父であっても、言葉遣いが荒いんじゃない?」
とその時、ウミンが宰子ちゃんに向かって声を掛けた。
いつの間に居たんだ、と、この場に居合わせたメンバー全員が思ったに違いない。
「……何しに来たの母さん、私は帰らないよ?」
「宰子はアキの所で暮らすのがそんなに楽しいんだ」
宰子ちゃんはウミンの苛めるような台詞に、小さな体を震わせる。
彼女がいま何を想っているのか、明確な気持ちはわからない。
「わたし……母さんと、父さんが」
「宰子のお父さんは渡邊エイジだよ、三浦彰じゃない」
違う、とは彼女も表立って言えないようだ。
どうやら渡邊先輩も宰子ちゃんのことは可愛がってくれている。
宰子ちゃんは父親からも、母親からも愛されているようだ。
いい家庭じゃないか。
「宰子ちゃん、ウミンの言う通りなんだ」
「母さんの、言うとおりって?」
ウミンの言葉に追随するよう宰子ちゃんに言い聞かせた。
そこで控えていたトオルさんを呼び、例の書類を持ってきてもらう。
「これ、君と俺の遺伝子検査の証明書なんだけど。君は遺伝的にも俺の子供じゃないんだよ。君の父親は渡邊エイジであってる」
「……嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ、これは鳴門くんや本城さん、若子ちゃんにも言いたいんだけど」
鳴門くんは俺の台詞に律義にも「何ですか師匠」と応答する。
俺は弟子のためを想って、あえて優しい声音で辛辣なことを伝える。
「君たちはもっと現実を見た方がいい。宰子ちゃんのように自分を悲劇のヒロインと勘違いして、夢想に愉悦するよう現実から目を背けるから、周囲の人間を悲しませる結果を招くんだ」
宰子ちゃんは俺の言葉を信じられないのか、遺伝子検査の証明書の封筒を閲覧している。が、そこは八歳という幼子なので、中を見た所で何が書いてあるか理解が追いつかないだろう。
「宰子ちゃん、俺のことを父さんと呼んでくれるのは凄い嬉しいよ。けど、君がいつまでもそんな態度じゃ、『本当のお父さん』が惨めだと思わないか?」
「……!」
彼女は目で見受け取ることが出来るぐらい、手を震わせていた。
これは俺とトオルさんが協力して説いた嘘だ。
トオルさんの新しい就職先は遺伝子調査を業務にしている会社なんだ。遺伝子検査の結果、宰子ちゃんは俺の娘で間違いないが。そこはトオルさんに融通してもらい、俺の名義の所を渡邊先輩の名義に変えてもらったよ。
そして、トオルさんが最後の一押しとして宰子ちゃんに荷物を渡す。
「宰子、お母さんの所に帰りな。僕も母を随分と泣かせてきたけど、お前には僕のようになって欲しくない」
「……わかった」
そう言うと宰子ちゃんはランドセルを取って駆け足でこの場を去った。
心配がったトオルさんが彼女の後を全速力で追っていく。
「ちょっと待て宰子! トオル叔父さんにお前の泣きっ面見せてご覧よぉ!」
あの人、本当に鬼畜だな。
「ウミン、君の気持も知らず、彼女を独占していたことを許して欲しい」
「アキは嘘が上手くなったね」
「……ウミン、俺はこう思うんだよ」
「何?」
なんだ、俺は案外ウミンとまともに喋れているじゃないか。
思えば彼女と別れる羽目になったのは自業自得だった。八年ぶりに目が覚め、彼女の笑顔を見れなくなった時ほど、自分の運命を皮肉ったこともなくて、俺が彼女を引きずっているように、彼女も俺を引きずっていることを知り、その想いはさらに深くなったけどさ。
「宰子ちゃんがシンデレラになるには、まだ早い。ちょっとは苦労して貰わないと、俺たちの娘は名乗れないだろうなって」
そう言うことでようやく、彼女の笑い声を、八年ぶりに聞くことが叶い。
俺はこの先一生、ウミンや宰子ちゃんの二人を忘れないと誓うんだ。
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