彼女の苦衷

「いやー、今ほどトオルさんが居てくれて助かったと思った試しはなかったですよ」

「そうですか、そうですかー、どうです三浦先生、気持ちいいですかー?」

「極楽気分ですねー」


 某日、トオルさんの介助によってお風呂に入れて貰えた。

 週に一度は介護サービスによって入浴していたけど。

 トオルさんさえ居れば、これからはいつでも自由に入れるのだ、素晴らしい。


「そーら、そーら」

 と言い、トオルさんは湯船のお湯を俺の顔に掛ける。

 恐らく俺は仏頂面でトオルさんの不謹慎な行為に耐えている。


「冗談です、冗談……しかし」


 ――しかし、今ここで三浦先生を亡き者に出来ればこの家は僕のものに!


「ならねーよ、この家は渡邊先輩達からの融資で借りてるだけですから」

「冗談です、冗談」


 と言ったトオルさんの顔はポーカーフェイスを崩さない。


「良い就職先は見つかりましたか?」

「えぇ、まぁ一応」

「さすがですね、次の就職先はどんな所なんです?」

「最近特に需要が増えてきている仕事ですよ」


 最近特に需要が増えてる仕事?

 小首を傾げて想起してみたけど、なんだろう?


「三浦先生、次は頭を洗いましょう」

「お願い出来ますか」

「シャンプー代は1000円になりますよ」

「高い、せめて500円で」


 湯船で温まった体を、トオルさんの介助を受けて洗い場へと移動させる。

 頭にシャンプーハットを付け、トオルさんの手によって頭を洗ってもらっていた。


「三浦先生、そろそろ宰子を姉の許に返したらどうでしょうか」

「……どうして?」

「いいですか三浦先生、僕は酷なことを今から貴方に言いますよ」


 心の準備をしてください、と急に言われても。

 今は頭を洗っている最中だから目を閉じていて、心は高揚気味だ。


「宰子は、貴方の娘じゃないんです」

「じゃあ宰子ちゃんは誰の子供なんですか?」

「宰子の親は本間海しかいないんです」


 しばらく考えたが、トオルさんが言っている意味を十全と理解出来ない。


「親と子って言うのは、相手に迷惑を掛けるような間柄なんですか? 違いますよねぇ……親子って言うのは互いに支え合わないと、成立しない訳ですよ。所が三浦先生と宰子の間柄は、お互いに迷惑かけてるだけです」


「いや、宰子ちゃんは俺を心の支えとして」


「そんな訳がない、例えそうだとしても、本間海が宰子をどうでもいいと思っているはずがないんですよ……先生、先生が宰子と一緒に居たい気持ちは分かりますが、貴方は本間海の気持ちを本気で考えたことないでしょ」


 それが親子のカルチャー。だと、彼女の弟は言うのだ。

 君は実に姉想いの弟を持ったものだな、ウミン。


「トオルさん、もし知っているのなら教えてください」

「何です? 僕は何でも知ってますよ」

「何故、ウミンは宰子ちゃんに手を上げたんでしょうか」


 ああ、それはですね。

 と、先ほどよりも少し声音を静めて、トオルさんは答えた。


「どうやら宰子が、姉に向かって三浦先生との復縁を打診したらしいんです。それも学校の家庭訪問のタイミングで。当然のことながら姉は困惑したことでしょう。その反応を受けた宰子は確信したらしいですね。母さんは今でも三浦先生のことが――パーン! っていう流れらしいですよ」


 ……聞くに堪えなかった。


 ウミンの本音を、トオルさん伝えに聞いてしまい。

 ウミンの苦衷を、知ってしまったのだから。


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