師弟のカルチャー
ブラックジョーク
ウミンが別の人と結婚したことは、宰子ちゃんが俺に読み聞かせてくれた彼女の私小説で知った。その事実を知った時、俺は一瞬我を疑ったけど、もしも逆の立場であればどうしていた?
ありきたりな発想の転換で、俺はウミンの結婚を自分の中で消化したんだ。
俺と、本間海が
もうないんだ。
彼女の結婚を心の底から祝福出来ないが、それよりも俺は今後の身の振り方を考えないとならない。
今の俺に残されたものって、一体なんだろう。
湧き上がる自問に対し、自然と執筆を思い浮かべた。
だけどその答えも、どこか腑に落ちない。
結果的に『三浦彰に残されたものは執筆である』という答えに帰結したとしても、今の俺には納得出来なかった。
大切な人との特別な関係を失ったとは言え、何かを取捨選択するのは違うように思えて。割り切るように別の道を歩もうとか、新しい人との出逢いを模索するとか、どれも違うように思える。
否定に否定を重ねても、答えは出なくて――
「入るぜ三浦」
「……お久しぶりです、渡邊先輩」
負の循環を思弁していると渡邊先輩がお見舞いにやって来た。
綺麗に整えられたあごひげは艶めかしく。
毛髪は社会人に似つかわしくないほど襟足が長くなっていて。
野心的な慧眼は今も昔も変わってない。
八年後の先輩は、何だか偉そうだ。
「……お前が事故に遭ったっていう報せを聞いた時は、心なしか戦慄したよ」
「どうやらご心配お掛けしたようで、すみませんでした」
「俺が他人を心配するようなたまに見えるか? 見えねーだろ」
そうですか? と素朴調で問いかければ先輩は破顔する。
「三浦、お前が眠りこけてる八年間で、俺は大躍進したんだぞ」
「株か何かで大儲けしたんですか?」
「っバカ、八年前にお前に持ちかけた投資が実を結んだんだよ」
そうですか、と次はやや慇懃無礼な感じで応じると先輩は俺の頭頂部を柔らかくチョップした。先輩なりに俺を労わってくれる心遣いは嬉しいが、やっぱり、『あのこと』が気に掛かる。
「……実はな三浦、俺、お前が意識不明の間に本間と結婚したんだよ。今日はその話を通しに来ただけだ」
「素直におめでとう御座いますとは言えないんですよね……さすがに」
ウミンが結婚した相手は、どこぞの馬の骨じゃなく先輩だったらしく。
彼女の結婚を消化したと言い切ったが、当人から話されると、複雑な面持ちでしかない。
「もし、お前が訴訟問題を起こそうとしてるのなら、俺もそれ相応の態度に打って出るが、お前の面見てる分にそれはありえなさそうだ」
「そうですね、彼女のことはもうしょうがないと思います。誰が悪いのかって、事故に遭ってしまった俺が悪いんでしょうし」
「全くだな、三浦、ずっと意識不明だったお前を、今まで面倒見て来たのは俺たちだぜ? 感謝されこそ、怨まれる謂われはどこにもねーよ……でも、さすがに、俺にだって罪悪感の一つ二つはある」
現状の俺は、右半身が麻痺しているようだ。
追随して下半身も動きそうにないし。
これじゃ……いつも耽溺している執筆も侭ならない。
「……もう時間だから行くぜ」
「先輩、できればまた来てくださいよ」
「ああ、できれば来るよ。聞いた話によると宰子が毎日のように通ってるんだろ?」
「彼女は可愛いですね。幼い頃のウミンもあんな感じだったんでしょうか」
「さぁな、今のうちに言っておくが、宰子に手出したらぶっ殺すぞ」
「乾いた笑いしか出ないですよ、そのブラックジョーク」
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