弟子にしてください

 容態が回復し始めると、掛かり付けの先生による診察があった。

 先生は俺の状態や、何か遭った時の対処法やら、事細かに説明してくれた。


 説明後は退院の日程を聞かれる。

 俺のような患者がいつまでも病室を占拠するのは後続のためにならないようだ。


 この先どうしようか。


 以前は書くことだけが取り柄だと自己暗示してまで執筆していたけど。

 右手が麻痺したまま動かない現状だと、普通の生活すら困難を極める。


 左手は、案外上手く動いてくれるんだけどな。


「やっほー」

「ほーい」


 左手の感触を確かめていると、宰子ちゃんが「やっほー」とお友達を連れて来る。

 言っておくが、ここは児童保護施設でもないし、学童でもない。


「君は? 宰子ちゃんのお友達?」

「そうそう、いつぞやは母がお世話になり申した」

「……誰? 君のお母さん」


「鈴木多羅」

 そう言えば、俺が事故に遭う前、鈴木多羅はすでに身重だったんだ。

 すらりと長い四肢が特徴的な彼女の娘さんは、やはりスタイルがいい。


 俺が八年間眠っていたことを考えるに、彼女達は小学二年生と言った所か。

 二人とも背負っているランドセルがまだ身の丈にあってなくて可愛かった。


「二人ともいらっしゃい、今日は何の用事だ?」

「「……」」


 尋ねると、二人は同時に口を噤んだ。

 でも彼女たちの眼差しは腐心なまでに俺に向けられている。


「三浦くん、君に折り入って相談があるんだ」


 鈴木多羅の娘――鈴木若子ちゃんは母親譲りの調子で接してくれる、とても親しみやすい女の子だなって思う反面、将来、悪い男に騙されないよう気を付けて欲しい心配な気持ちも覚える。


「三浦彰先生、私と彼女を貴方の弟子にしてください」

「弟子?」


 まったく今日は何て日だ。

 自分の血が通った娘から、弟子入りを志願されるだなんて。


 俺の人生、思いがけないことの連続だ。

 受動的だろうと能動的だろうと、待っているのはちょっとした『驚き』だ。


「君達のお母さんは何て言ってるんだ?」

「母さんたちは好きにしなさいって」


 ……言いそう、ウミンと鈴木多羅の二人であれば、無茶苦茶言いそう。

 それぞれ言い方や考えは違うだろうが、困ったな。


「いいだろ、減るもんじゃないし」

「二人とも、弟子になるかならないかはさておき、小腹減ってないか?」


 さっき、看護師さんが退院祝いのお菓子をくれたんだ。

 そう言うと、二人は子供心全開にしてお菓子に食いついた。

 チョロイ。


「三浦くん、あーんしてあげようか?」

「ん? なして?」

「母さんが言うには、三浦くんは今想像を絶する孤独の中で苦しんでるからって聞いたから」


 ふーん、そうかそうか。


「なら鈴木多羅に言っておいてくれ、余計なお節介はしなくていいからって」

「はい、父さん、あーん」


 八年来の親子のコミュニケーションを図ろうと、宰子ちゃん達は積極的に俺に纏わりつく。嬉しいのは嬉しいが、なんか違うんだよなあ。俺に関わることで、伸び盛りの彼女たちの貴重な時間を奪ってはいけないのだから。


 その時、病室のドアがコンコンコンと、三度ノックされた。

 今度は誰だろう、多少物憂げに「どうぞ」と言い、その人物を中に招く。


「失礼します、三浦先生、ご快復おめでとう御座います」

 入って来たのは見覚えのない青年だった。

 年頃は十八才の前後だろうか。


 彼は真新しい白いフレームの眼鏡を掛けて、身長は宰子ちゃんや若子ちゃんが小人に映るほどでかい。筋肉はあまり見受けられないが、恰幅も良好な長身中肉のどこにでもいそうな青年だ。


 が、本当に見覚えがなかったため、俺は率直にどちらさんでしょうかと尋ねた。


「俺は、覚えてないのも無理はないでしょうが、一応三浦先生のファン第一号です。幼い頃、三浦先生のデビュー作『俺カルチャー』のサインを貰いに、一樂大学の学園祭に足を運び、そこでお会いしました」


 ……お、おお! 思い出した。

 恐らく彼はトオルさんが演出の一環で招いた、あの時の少年か。


 遠い記憶を馳せていると、彼から快復祝いの花束を渡され、不覚にも涙しそうになった。


「ありがとう、当初は君に対して怪訝な面持ちでしかなかったけど、生涯忘れないよ」

「ど、どういたしまして……実は俺、今日は先生にお願いがあって来たんです」

「って言うと?」


「三浦先生、どうか、どうか俺を……! ――先生の弟子にしてくださいっ!!」

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