愛のカルチャー
愛のカルチャー その1
私小説を書く上で悩ましいことが往々にしてある。
例えば小説の構成。
俺の生い立ちと小説の構成を全く同じにしてしまうと、それは無味乾燥な人間の一生を描いてるだけに過ぎない。それは小説じゃなくて日記だろう。ならば今作の題名も『俺カルチャー』ではなく、『アキの日記』とすべきだ。
ああ詰まる所何が言いたいのかと問われれば、話の時系列を少し前に戻すよ。
前節で軽く触れて流した『サイン会』の話に、一旦意識を戻してもらいたい。
◇
サイン会の前にトオルさんと一緒に各書店を巡り、挨拶したんだが。
トオルさんは挨拶して回るたびに口酸っぱく俺の営業力の無さを咎めた。
けど結果的にはある書店で初のサイン会をやらさせて頂けることになった。
それとなくウミンに報せると、先方から企画が上がってきて。
サイン会はウミンとの合同実施という形になったんだ。
そしてサイン会当日。
俺は「抱き合わせ商法みたいですね」という、今日まで温めてきた嫌味を言うことから始まった――
「まぁまぁまぁ、その辺にしておきましょう三浦先生。先生の知名度は姉に比べると月とすっぽん、雲泥万里、雪と墨というものですまぁまぁ、まぁまぁまぁまぁまぁ」
鬼畜担当編集は俺のプライドよりも先方の好感度を優先した、覚えておけよ。俺やトオルさん、ウミンと彼女の私小説の担当編集である霧島さんは書店のスタッフルームで談笑していた。
スタッフルームには会議室のように長机が四角を作りパイプ椅子が置かれている。談笑している最中、ウミンがサインの練習をし始めたので、俺も真似て筆を走らせる。
「アキのサイン、格好いいね」
「そう?」
公の場で褒められると、普通に照れてしまう。
ウミンのサインを見ると、まるで大御所俳優のような華がある。
それに比べて俺のサインにはオーラがない。
「まぁまぁまぁ、三浦先生、サイン一つ取ってもその人の品格が出てるだけですよ」
黙れ鬼畜担当編集。
◇
サイン会が始まると、今日の司会を務めるトオルさんが先ず会場に向かう。
あの人は作家への扱いは鬼畜だけど、こういった営業の術は心得ているようだ。
「皆様、本日は千年千歳先生、ならびに無能才人先生のサイン会にお越しいただきありがとう御座います。本日司会進行を務めさせて頂きます無能才人先生の担当編集やっております本間トオルです。本日はどうぞ宜しくお願いします」
トオルさんは一本筋通った声色にさらに艶を乗せ、会場のお客に挨拶をした。
客席からは温かい拍手が送られ、しばらくトオルさんのターン。
トオルさんが今日の諸注意事項を述べているうちに、俺とウミンは息を整えていた。
「では皆様、お待たせいたしました。千年千歳先生ならびに無能才人先生のお二人をこの場にお呼びすると致しましょう。どうぞ、拍手でお迎えください」
緊張で、どうにかなってしまいそうだ。
それでもウミンは迎えられるがまま会場入りしたため、俺も引けなくなった。
入口から会場に一歩踏み出すと、そこは新世界。
栄えある舞台が俺と彼女を待っていたようだ。
書店が入っているビルのフロア一つ丸ごと貸し切って、サイン会は行われた。窓側に設置された作家陣の席には純白のテーブルクロスに包まれ、地面まで垂れ下がっている。席の両脇には暖色系の花飾りが置かれ、厳しい今冬の寒さを緩和しているようだ。
客席の右脇を歩き、拍手するお客さんたちに手を振りながら登壇する。
「こちらから順に千年千歳先生、無能才人先生のご両名です。ではご登場された先生方にまずは一言ずつ頂戴したいと思います」
トオルさんから紹介に預かったウミンは、物怖じせず、マイクを手に取った。
「皆様、初めましての人は初めまして」
ウミンの声は普段のより清澄で、聞き馴染みのある俺でも思わず感嘆する。
やはり、彼女はいい。
彼女と付き合えた
「只今ご紹介に預かりました千年千歳です。本日はどうぞ宜しくお願い致します」
……え!? そんな手短なものでいいの?
お客さんたちも拍手しているし、俺はどうすればいいんだ?
「では続きまして、無能才人先生から一言頂きましょう」
目のまえに置かれたマイクを手に持ち、用意していたはずの台詞を一瞬忘れる。
「……皆様、本日はサイン会をす、機会をぉ与ぇくださり、本当にぁりがとう御座います。今日のために、サインの練習はばっちりして来たので、何卒よろしくお願い致します」
「ふむ、先生の担当編集として今の挨拶は100点ですね。勘違いしないでくださいよ先生、『先生を嘲笑するための材料がこれで掴めたぞ、ヨシ!』と言う意味での採点基準ですから」
一方の俺は発音が不安な挨拶にとどまり、鬼畜の格好の的になるだけだった。
「ではお二方にはご着席頂き、本日の予定を紹介する前に、どうです無能才人先生、その後千年千歳先生とは順調ですか?」
ん? サイン会って、そんなこと聞くものなの?
「順調か順調じゃないかで言われたら、そのどちらでもない感じですね」
「なんですかその煮え切らない態度、男だったらハッキリして頂きたい」
「貴方に言われたくないです」
重版の連絡もろくに寄越さず、何を言っているんだ。
「痛い所を突きますね。では今度は千年千歳先生にお伺いします」
「トオル、私のことは姉さんと呼びなさい」
「いやはや、そうなんですよ皆さん、実は私と千年千歳先生の関係は血が通った姉弟なんですよ」
するとお客さんたちは驚嘆したかのようにさざめく。
俺や関係者には周知の事実でも、世の人は意外と知らなかったようだ。
「皆さん、両名はこう主張しておりますが、二人を祝福してくれますでしょうか」
トオルさんがお客さんたちに祝福を催促するや否や。
客席から「千歳先生は俺のものだー!!」という何ぞアピールが飛び交う。
「いえ、彼女は俺の女です」
とっさにそう返答すると、会場が一気にどよめき始めた。
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