小説は金にならない
思えば大学当時。
入学してから半年、心機一転といった気持ちを未だ俺は保ち続けていた。
ウミンに誘われるよう文芸サークルに所属していたが。
その年に入部したサークルメンバーの生き残りは俺とウミンだけ。
他の新入部員はモチベの問題だったり、夢と現実のギャップから辞めたようだ。
「おい三浦」
「なんすか?」
「コピー用紙が足りなくなったから、今から買いに行くぞ」
「了解です」
渡邊先輩は俺を小間使いのように、用事がある際は付き添わせた。
文芸サークルの先輩はあの人以外にも色々いたけど。
他の先輩は専らウミンを溺愛していたからな。
その影響もあって当時の俺は渡邊先輩を創作の師として尊敬していた。
先輩に小用を押し付けられようとも、嫌じゃなかった。
むしろ逆に嬉しかったぐらいさ。
先輩は必ずプロ作家になるだろうという激しい思い込みを持っていたから。
思えば『あれ』は悪夢のような出来事だった。
こんな風に憧れだった先輩が、最後は大暴れして。
俺を酷く罵った上で文芸サークルを去って行ったのだから。
◇
渡邊先輩との約束の当日。
見知らぬ土地に繰り出した俺は、盛大に道に迷っている。
先輩にSNSでそのことを報せているのだが、『頑張れ』としか返ってこない。
約束の時間の三十分前には最寄り駅にいたけど、これだから東京は怖い。
まぁ、今回の約束は比較的緩いものだから、遅れてもなんら罪悪感はないけど。
街を練り歩くこと一時間、先輩との待ち合わせ場所の喫茶店はやや閑散とした住宅街の一角にあった。こりゃ迷うわ、などと自分に言い訳して漆喰色の扉をくぐりドアベルを鳴らす。
「先輩、遅れてすみません」
「遅いだろ、手前、俺のこと舐めてんのか」
先輩は経済紙を片手に遅刻した俺を責めていた。
先輩の今日のファッションは落ち着いた灰色のカジュアルスーツに、下は白っぽいジーンズ。黒い伊達眼鏡を掛け、脇の椅子にはアウターであるダウンジャケットが置いてあった。
いそいそと先輩の向かいに腰かけ、喫茶店の看板メニューである深煎りコーヒーを注文した。
「先輩の投資話って、一体何だったんですか?」
「一口百万の投資話でな、リターンは驚愕の年率17%だぞ? いいか三浦、これからはAI産業が主流になってくんだぜ。この手の投資話はどこも胡散臭いものばかりだけど、俺が情報源なら信用出来るだろ?」
年率17%? つまり六年もあれば元が取れる投資話らしい。
それから約二十分ほど、先輩から投資話の詳細を聞かされる。
俺は適当に耳を貸して、乗り気じゃないその話を手短に終わらせようとしていた。
「だから、お前の口から本間に打診してくれないか?」
「俺に特だった発言力はないですけどね」
「それでもいい。俺はこの商談に人生懸けてるんだ」
ふと、あの時の先輩の姿が過った。
先輩から殴り飛ばされ、酷い暴言を吐かれ、終いにはこの人はこう言ったのだ。
――小説は金になんねぇんだよッ!
あの言葉を怒鳴り散らすように口にした先輩と。
商談一つに人生を懸ける生き方をしている先輩。
どうやら先輩はあれから変わってないようで、俺は失望した心境で彼を覗っていた。
「先輩、実は俺、この間飼い猫が死んだんです」
「ん? それはご愁傷様。けどよ三浦」
「なんです?」
「飼い猫の死を、いつまでも引きずるのはちょっと頭おかしいぞ」
思わず
俺にとって愛猫は、ウミンと等しく大切な存在だった。
いいじゃないか、一生引きずったって。
「飼い猫は俺にとってウミン同等に大切な存在でした。でも俺は、飼い猫が死んだ時なぜか泣けなかったんです」
その真意を、客観的に慮ってもらおうと、さも尋ねるように口にした。
「わかる。お前の気持ちは痛いほどわかる」
先輩はテーブルに置かれていた煙草を取り出し、口に咥え始める。
きっと俺の情けない態度が煩わしくなったんじゃないか。
「俺も昔猫を飼ってた時期があって、ちょうど文芸サークルを辞める頃合いに亡くした」
「そうだったんですか?」
ならあの時の先輩の荒みようは、猫を失くした反動だったのだろうか。
「ああ、そうなんだよ……思えば、あの頃の俺は特に金欠だった。猫の手術代、生活費、一番でかかったのは学費だが、そんなのは親頼みだったしな。それでも俺はあの頃から社会における自分の在り方を悩むようになった」
先輩は煙草の吸殻を鷹揚に灰皿に落とす。
そしたら、「三浦はどうなんだ?」と曖昧な感じで問いただしてきた。
ついずいして、どうとは? と小首を傾げた。
「お前の社会的価値を、自分自身はどう考えてるのかって聞いてるんだ……読んだぜお前の著書、長年ニートやってからの商業デビューだろ? お前がこの先プロ作家続けられるとして、ニート期間に費やした人民の血汗にいつ報いられる? ぶっちゃけ無理だろ?」
先輩の言っていることは、ニートをやってる最中、朧気に考えていた。
俺は社会に生かされてるだけなんだと。
「……えぇ、無理ですね」
「だろ? 社会はお前の夢の受け皿じゃねぇんだよ」
「それは否定しますが」
夢や希望のない話ばかりでは、世界は回らないから。
この手の話は個々人の意識の差に因るから、拮抗し合うこともない。
でも、俺は気になった。
かつては創作の師とまで仰いでいた、先輩の心変わりは当時から気がかりだった。
「先輩は今どういう考えなんですか? 小説家の道を捨てて、その、なんというか言い方悪いですけどお金にがめつくなって」
「他人を成金主義のボンクラみたいな風に言うな」
「今でも創作は続けてるんですか?」
「言っただろ三浦」
先輩は嘆息を吐くように煙草を灰皿に押し付け、後始末すると。
恐らく言うだろうなと思っていた彼の矜持の一つを、俺はまた耳にするんだ。
「小説は金になんねぇんだよ」
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