きっと好きだった・破

「三浦先生、今日は夜までお暇ですよね?」

「えぇ、今日は夜まで休みます」

「二日酔いですか? でもですよ?」


 何だろう、トオルさんから邪悪な波動を感じる。

 俺は鬼畜担当編集を全力でスルーしていたつもりだ。


 なのに、何故か俺はトオルさんとホエールウォッチングの船に乗ってますなう。


 ホエールウォッチングの係員の人の話によると、今日は本気で鯨が見れる。俺たち、強いては鬼畜編集は係員さんの言葉を鵜呑みにして、波にゆらゆらと揺られる格好になった。


海隅かいぐうって言葉があるじゃないですか、沖縄は日本の海隅なわけですし、その言葉に肖って僕らも――」


 トオルさんは黙っている時は一言も喋らないが、口を開くと間欠泉のように言葉が溢れる。俺は彼のあり余る元気をわけて貰いたいぐらいで、多少グロッキーだ。俺たちを乗せた観光船はどんどん陸から離れ、次第に沖縄本島は離岸のまほろばとなっていった。


 船の甲板に出ると、陽光と一緒に海風が注がれている。

 甲板にある銀色の欄干らんかんにもろ手を突き、沖縄本島を遠望していると。

 海風がいい具合に頭を冷やしてくれて、すこぶる気持ちいい。


「いやーいい天気だ、三浦先生も普段は日照時間が少ないんでしょうし、今のうちに一杯浴びてくださいよ」

「ですね……トオルさん、もし鈴木さんが見つかったら」


 胸中にもたげていた思慮を、トオルさんに相談しようとした正にその時。

 ――出たぞー!!


「なんだって!? 三浦先生出たそうです!」

「見に行かないんですか?」

「分ってないなあ! 僕は鯨を見てはしゃぐ三浦先生を見たいんですよ!」


 鯨を見てはしゃぐ三十過ぎのおっさんの姿を鬼畜編集は御所望だ。彼の期待に応えよう。と思ったのはささいな感謝の気持ちであるが、鯨が海上に躍り出て、観光船の乗客が大歓声を上げる中、俺は静かに感動するにとどまった。


「おお! 凄い! どうです三浦せ……」

「どうしたんです?」

「いえ、先生の無感動な表情に、とたんに我に返らされただけです」

「感動してますよ、一応」

「そうですか? ならもっと喜んでくださいよ」


 トオルさんがガッカリした感じで嘆息を吐くと、鯨はまた海上に躍り出た。


「シャッターチャンスゥー!! おらぁ!! もっとお前の裸を見せてご覧よおらぁ!! いやらしい体付きしやがってぇ!!!!」


 今回のホエールウォッチングで判ったのは。

 俺と鬼畜担当編集との決定的な温度差の隔意だった。


 ◇


 その日の夜、イッキの奥さんに手料理を振舞われた。

 トオルさんは「鯨よりもこっちの方が反応いいじゃないですか」と揶揄している。


「ははは、アキ、家内に手出したらぬっ殺すぞ」

「俺にはウミンがいるよ」


 でも、当の彼女は別に――俺じゃなくてもいいわけで。


 俺は迷っていた。

 彼女と本心を通じ合わせ、世間を欺いている自覚を持った時から。


 俺と彼女は大して好きでもないのに、同じ屋根の下で暮らしている。俺の倫理観からすればそれはあり得ないことで。好きでもない同士が付き合ったって、利害関係の追求をしているようで何も楽しくないだろ。


 それでも性欲の赴くまま彼女を抱いた。

 好奇心に促されるまま、彼女を抱いた。

 心に沈殿したこのわだかまりを解消しないことには、次へ進めそうにない。


 鈴木さんを見つけ、二人を惹き合わせたらきっと――

 それが遠路遥々、沖縄にやって来た理由だった。


「あいや、いやさっさ、あいや、あいやいやさっさ」


 今日もイッキのいきつけの店に行くと、店内では沖縄らしい掛け声が響いている。


「えっと、多羅ちゃんはっと……おーいたいた、あそこにいる彼女がそうだ」

 っ、遂に噂の鈴木さんを発見出来た。

 俺たちはイッキの先導で、件の鈴木さんに近寄り。


「いよう、杉村くん」

「いよう多羅ちゃん、昨日はいなかったようだけど?」

「この世を儚んでたらいつの間にか朝になってて」


 鈴木多羅さんを見ていると、ウミンを彷彿としてしまう。

 俺に神々しい力はないけれど、たしかに彼女たちの絆が窺えたのだ。


「そちらにいる彼は?」

「こいつは三浦彰って言って、大学の同期だ。今は本間と付き合ってるらしい」

 イッキが軽く俺のことを紹介すると、彼女は口にしていたセイロン茶を吹き出しそうになっていた。


「どうして、あの三浦くんがここにいるんだ?」

 一概に説明し辛いものだ、俺が沖縄にいる理由は。

 手短に説明しても理解を得れないだろうし、一杯交わしながら事情を語るとしよう。

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