同棲のおもうしで
サークルの部室は思いの外、広い敷地面積で、普段はパソコンなどの執筆用具が林立しているのだろう、リノリウム仕立ての床にはケーブル類の跡が覗える。
サークルメンバーは超多忙な現役売れっ子作家の千年千歳が来たことで、そこかしこから黄色い声を上げている。そのまま部室内に通されると、ウミンは名君の如き歓待を受け始めた。
一方の俺は、ウミンの専属マネージャーとでも誤解されている。
彼女が後輩たちに囲まれる様子を傍観し、愛想笑いを振り撒くにとどまっていた。
そしたら始まったのは千年千歳のサイン会だよ。
ウミンは彼らを同士として、そして後輩として無下に出来ずにいるようだ。
「三浦先生、どうやら姉とのデートは順調のようですね」
「ん? あ、トオルさんじゃないですか」
聞き覚えのある声に呼ばれ横を向けばそこには鬼畜担当編集がいた。
トオルさんは清潔感溢れるツーブロックの髪と、社会性に富む笑顔を携えている。
「姉の人気は凄いですね、僕らも負けてられませんね三浦先生」
「確かにそうですね、彼女の人気は想像を絶するほど凄まじかった」
だから、ありえなかった。
名実共に備えた才色兼備である彼女と。
平々凡々な人生を体現している俺が。
どうにかなるなんて、ありえないことなんだ。
「み、三浦先生ッッ!!」
この世の儚さを痛感し、彼女との発展を諦観していた俺の名をトオルさんは芝居掛かった大音声で叫ぶ。トオルさんの裂帛の絶叫に、隣にいた俺は耳鳴りがしたし、サークルメンバーも何事かと動揺している。
「なんですか」
この鬼畜編集、何かしらんが図ったような騒ぎを起こすな。
「あんな所に、三浦先生のデビュー作を持った純心な少年がいますよ!! ほらあ!!」
ほらあ!! じゃないから!
でも、トオルさんの言う通り、母親に付き添われた一人の少年の両手には『俺カルチャー』があった。ウミンよりも痩躯の少年は母親に促され、俺の許へ歩み寄って来た。
「……君、どうしたの? 場違いなハードカバー持ってるね」
近寄って来た素性の怪しい少年に、俺の猜疑心は全開だ。
「三浦先生の、ファンなんです」
嘘吐け。
俺のデビュー作『俺カルチャー』はまだ発売して一週間程度だし。
あれからリサーチしたけど、特だった話題に上ってない。
「サイン下さい」
でも、例え嘘だとしても、公でこう言われたら断る理由はなくて。
トオルさんの指示で水面下に練習していたサインを少年が持つ本にしてあげれば。
「素晴らしい!! 三浦彰先生の伝説の始まりですねえ!!」
今一時の三文芝居を大きな拍手で祝福したのは唯一、鬼畜編集だけだった。
「千年千歳先生、あの人達とはどんなご関係で?」
「出版社の編集やってる私の弟と……隣にいる彼は私の――」
◇
唐突に起こったウミンのサイン会は、その後、徐々にトオルさんのターンになっていった。トオルさんは「僕は編集だよ! 君達の素質才能を見極めてあげるよ!」と言い、喰ってかかる勢いで文芸サークルに絡み始めた。
丁度いい塩梅だと思ったのだろう、ウミンは自主的に「私達はそろそろこの辺でお暇いたします」と、楚々とした態度で辞去した。彼女から手を握られ、俺は導かれるように学園を跡にする。
「学園の外に行っちゃったら、今日の主旨から外れるだろ?」
「いいんじゃない、別に撮影してたわけじゃないんだし」
「それはそうだけどさ……もういい加減手を離してくれ」
と言うと、彼女は神妙な顔つきで握っていた手を見詰める。
今まで無自覚なまま手を繋いでいたのか?
「ねぇ、大事な相談があるから、どこかで昼食摂らない?」
「いいよ。でも余り高い所は勘弁な」
「何なら私が出すし」
「それは駄目だろ」
直感でだけど、今日の代金は俺が持った方がいいと思う。
今後彼女の世話になるようなことはないように、今からけじめ付けた方がいい。
そう心改めた時、彼女は繋いでいた手を離した。
学校沿いの道路を疾駆する赤いスポーツカーの重厚な排気音に気を取られつつ、二人は歩き始めた。元々ここの学生だった俺たちはお互いの過去を照らし合わせるように大学付近の商店街にある『桃栗』という和食専門店の方に向かう。道中、彼女の言う『大事な相談』とやらの中身を訝しがった俺は端的に問い質した。
「相談って何だウミン」
「相談って言うのは……私と同棲してみないって言う話で」
……同棲?
「凄い驚いた顔してるね」
「いやうん、いや待て待て……同棲?」
生活力もなくて。
収入も乏しくて。
人間性も惨めな、この俺が?
「……嬉しい話かもしれないけど、自信がない」
そして数瞬考えた俺は、彼女に率直な感想を伝えた。俺こと三浦彰の消極的な精神では、彼女と同棲した後、お互いの人生を保障するような責任を負いきれないと考えたのだろう。
曰く――自信がない。
臆病な思慮が人生に訪れたまたとないチャンスを否定させた。
「…………最終的に決めるのは貴方だし、これ以上は何も言わない」
「どうして、俺にそう打診したんだ」
「貴方以外にいなかったから」
自分自身、口から零したかどうかは分からないが。
俺の唇は――嘘だろ、と動き、彼女の好意に泥を塗ってしまった。
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