彼女と彼との再会
大気に溶け込んだ金木犀の花の香りを彷彿とするような馥郁がする。
鎖骨まで伸びた彼女の精緻な黒髪は、艶色に染まっていて。
やや斜に構えている俺の鼻先に、彼女の黒い双眸があった。
本間海――在学当時の彼女のあだ名は『ウミン』であり。
「久しぶりにしております」
当時を振り返ると、彼女の第一声は思わず片頬笑むほど面映ゆいものだった。
「っ久しぶりにしております」
だからか、俺の第一声は彼女の挨拶のオウム返しであり。
黒い瞳で一心に俺を覗っていた彼女は、次第にくくくと失笑を零した。
「なんで笑うのさ」
在学中の彼女と俺のヒエラルキーを思い返すと、今の俺は立場が雑魚すぎるな。
「アキの表情が硬すぎるから? 昔とは違ってコミュ障患ってない?」
「かも知れないけど、仕方ないだろ」
八年振りに会って早々、彼女の前で弱音を吐き始める俺はえらく惨めだ。
「とりあえず、行こうか。時間は有限、これ世界の法則」
今では超売れっ子作家に大躍進した彼女ならではの世界の不文律を言い渡され。
先に来ていた俺は予め貰っていた学園祭のパンフレットを彼女に渡した。
「今日はどこ回りたい?」
「喉が渇いたかも、飲み物買っていっていい?」
「いいよ」
と言う訳で、俺たちは八年振りに肩を並べて母校を歩いた。行先は学園祭のフードコート、午前中だと言うのに並べられたテーブルはほぼ満席だ。たまたま空いていた空席を確保し、彼女と俺、二人分の飲食を用意した。
「……俺さ、今年になってようやく、商業デビューしたんだよ」
それで、俺の担当編集は君の弟さん。
と言うと。
「知ってるけど?」
彼女の顔には「それが何? 知っていて当然でしょ」と書いてあるようだ。
「……今日は――いやなんでもない」
「?」
俺は今最低なことを言おうとした。
今日は――割り勘でお願いしますと申し出る所だった。
普通のデートであれば割り勘でもいいと思うが。
今日のように仕立てられた特別なデートは、男である俺が持たなくてどうする。
でもなぁ、俺の収入は恐らく彼女の十分の一だぞ。
彼女の推定年収二千万という大物っぷりに、つい結婚を申し込みたくなる。
そんな彼女――ウミンを、俺は羨望の眼差しと共に見詰めていた。
「所で、今日は何でこの場所を選んだんだ?」
「大学を選んだ理由? それは貴方と私が出逢った場所だからじゃない?」
その言葉は嬉しいような恥ずかしいような、何とも言えないが。
やっぱ恥ずかしいのかな。
彼女は俺との出逢いを今でも大切にしている。
そう言っているように思え、右手を後頭部にやり恥ずかしさを押し殺していた。
「とりあえず、今日のデート代は全部俺が奢るよ」
「ありがとう」
彼女の即応的なお礼にはいささか狡いなと思ったのだが、しかしその後で――
「これってデートって共通認識でいいのか」
と呟かれ、俺は有頂天になっている。
だって俺、これが異性との初めてのデートだし。
同性との初デートは経験済みなのかという腐った突っ込みは無論否定する。
「……よ、御両人」
「「え?」」
その時だった、俺たちは見知らぬ男性に声を掛けられた。
細身の男性は浮きだった喉ぼとけを手にしたビールでごくりと鳴らすと。
「お前らと会うのも、十年振りくらいか?」
「「……どちらさま?」」
彼女とつい声を合わせて彼の素性を確かめた。
男性は問われると、一瞬だけ眉端を吊り上げ。
「分かった、分かったよ。お前らは在学当時から相思相愛で」
「で?」
ウミンは堂々とした態度で、男性の煽り文句を跳ね返している。
「俺のことなんか眼中になかった。今正にそれが証明されたな」
「いやー、すみません。俺たち本当に……貴方のこと……」
俺は両腕を前で組み、記憶を反芻して、彼の素性を思い返している。
本当に、貴方のこと、――知っているようで知らなくて、でも。
「……もしかして草壁先輩?」
「誰だそいつ、お前らそれでも本当に小説家の端くれか?」
でも向こうは俺たちの素性を知っていると。
彼は鷹揚な態度で俺のたこ焼きを啄み、またビールを煽る。
この飲みっぷりはどこかで見覚えがあるんだけどな、確か。
すると痺れを切らした彼は、最大のヒントをやろうと言い含め。
「だから言っただろお前ら、――小説は金にならないんだよって。俺は小説を書き始める前からこの杞憂を持ってて、あの時、お前らボンクラなんちゃって文筆家気取りサークル連中に啖呵切って、ようやく憑き物が落ちた」
「……あ、もしかして
ウミンがその名前を口にして、封印していた俺の苦い記憶が思い返された。
「そうだ、渡邊先輩だ」
苦い思い出の相手を前にした俺の心中は穏やかじゃなくて。
何も今日みたいな記念すべき日に、鉢合わせしなくてもいいだろと天に嘆いた。
「思い出すのが遅-よ」
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