前編 『生』

嘘のカルチャー

久しぶりにしております

 俺カルチャーが出版され、続編を執筆していた時、一本の電話が掛かって来た。


『もしもし? トオルですけど、三浦先生ですか?』

 電話の主は担当編集のトオルさんだった。

 一本筋通った凛然とした彼の声質からは有能な雰囲気を感受できる。


 聞いた話によると彼は十代の頃から今の編集部に出入りしてて。

 俺から見ればちょっと異質な経歴を持った人生を送っている人だった。


「もしもし、俺ですけど」

『いやー、三浦先生、おめでとう御座います』

「おめでとうとは?」

『いやだって、長年の恋が叶いましたよね?』


 聞いた俺は、羞恥心を霧散させるように後頭部を手で掻く。


「別に叶ってませんよ。俺と彼女の関係は今も何もかわってません」

『えぇ? そうなんですか? じゃあ早速デートの手配しておきますね』

「……トオルさん、ちなみになんですけど」

『はい何でしょう?』

「今、何をしてらっしゃいます?」

『それはもちろん、敬愛する三浦先生と、尊崇している僕の姉の仲をですね』


 担当編集の電話から意味深な台詞と妙なキーボード音を耳にした俺はすぐさまエゴサーチを掛けてみた。すると――


『新人作家と超売れっ子女流作家が商業誌で公開告白しやがった件について』


 以上の速報記事をネット上で散見できた。

「トオルさん、いくら貴方が彼女の弟だからってこれはないでしょ」


 俺の担当編集の名は本間トオルと言い。

 奇遇なことに、トオルさんは彼女の実弟だった。


「……聞いてます? もしもし? もしもし?」

『え? 何ですか? ちょっと今楽し、じゃなかった。忙しいので、急用以外は後にしてくれません?』


 お前から電話掛けておいてこの対応はいかがなものかと思えど、新人作家で、出版業界の右も左も分からない俺には流れに身を任せることしかできそうにない。


『タタタンタン、ッターン! ふぅ、いい仕事できたなぁ~』

「それは良かったですね!」

『でなんですけど、三浦先生? 姉とのデートは二人の母校の学園祭で行って頂きます』


「彼女とのデートはか、確定事項なんですか?」

 彼女とのデート予告を受け、得も言えぬ緊張感を一人抱え。

 携帯電話を持つ手も震え始めた。

 

『嫌なんですか?』

「……嫌じゃないですよ」

『ならいいじゃないですか。僕だって先生が嫌がることを強制させたくないので』


 本音で言えば、嫌じゃない。

 それどころか、彼の誘致によって設けられたデートは天恵のように感じる。


「けど、人を試すような真似は今後止めてくれませんか?」


『えー、心外だなー、誰も試してなんかいませんよ。先生もご存じの通り、僕は僕らしく、出版業界で一旗揚げるのが目的ですから。試すと言うよりこの場合、僕は姉をダシにして売名行為してるだけですって。先生にはいい思いさせようども、悪いようにはしませんって』


 して、以上の脈絡があって俺は彼女と八年振りに再会する。

 彼女と会ったら何を話そう、彼女とのデートには何を着て行けばいいんだ?

 今からやることは多そうだ。


 ◇


 デートの当日、冬晴れした空から一筋の陽光が注がれていた。この日の気温は予報でも高めだったため、俺の格好は冬のコーデよりも秋のものに近い、薄手で動きやすいものを選んだ。


 約束の時刻の四十分前には待ち合わせ場所である大学の正門に着き、肺一杯に吸い込んだ清澄な空気を白い吐息にしながら彼女がやって来るのを待ちわびている。


 さすがは大学の学園祭当日だけあって、正門は黒山模様の盛況振りだ。

 周期的に訪れる人波の中から、視線を忙しなく泳がせ、彼女の姿を探す。


 俺の中での彼女は、人混みが苦手だ。

 在学当時の彼女は典型的な文芸オタクで。

 文芸サークルでも硬派な女子だった。


 今日は間違いなく二人の古巣である文芸サークルを訪問するだろう。

 懐かしい。


 懐かしい感情を通り越して、萎縮的でもある。

 暑さに弱く、寒さに耐性のある俺の肌を一陣の風が撫でる。


 通り過ぎた寒風によって頭を冷やされ、いい塩梅の夢心地に浸っていた時。


「……あ」


 彼女だ。

 彼女は黒いスラックスを穿き、白いトップスの上に淡いボレロを着ている。


 彼女を視界に入れた俺は、久方ぶりに嬉々とした。

 と同時に、覚えたのは酷い緊張感から来る心臓の動悸だった。


 遠目に見つけた彼女に特だった反応はせず、今はただ黙視している。

 もしかしたら人違いかもしれないだろ?


 けど、その杞憂も空しく、当人も俺の姿を見つけた様で。

 正門脇に佇んでいる俺に、彼女はおもむろに歩み寄り。


「……久しぶりにしております」


 何とも恭しい言葉遣いで、俺たちの再会を祝福しているようだった。

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