第7話 殺戮の時間が始まる(後編)
「よ、よ、よ、よくも、エメリヒの封印を解いたな……ッ!!!」
王が絶叫した。
それと同時にギギィ……と音がしてゆっくりと棺が一人でに開いていくのが見えた。
黒い影のような腕が棺の内側から出てきて、棺の蓋を開けていく。
いや、腕ではない。
漆黒よりもなお暗い完全な影でできた触手が、棺の内から溢れ出てくる。
それは悍ましく不快な影の肉塊。うねうねと何本もの数え切れない触手を宙へと伸ばして這い出でてくる異形。熟し切った果実のような、腐敗した肉のような何処か甘く忌まわしい芳香を発してこの空間そのものを穢している。棺の体積を無視した見上げんばかりの巨大な肉体が出でて、王の間の中央に鎮座する。何処までも黒く、暗く、反射した光の一筋すら見当たらない永劫の闇。今まで不変のものだと思っていた常識を、世界の摂理を破壊する為に存在するかのような冒涜と恐怖の集合体が、そこにいた。
「うッ……!」
あまりの悪臭に身体を折り曲げて、胃の内容物を吐瀉してしまう。
これがあの第五将軍エメリヒの本体だというのか?
エメリヒとかいう男の身体の一部なのか?
これが人間だというつもりか?
何故こんな存在が王国五神将の一人が持つ棺の中に封印されていたのか、その経緯など私たちには知る由もない。分かることはただ一つだけ――――最悪の存在を解き放ってしまったということ。
影の触手が私に向かって伸びてくる。
「も、燃えて! 燃えて!」
無詠唱で燃焼魔術を行使して触手を迎撃しようとするが、まるで効いている様子はない。
私はこんなにも無力だ。
私はたかだか魔術が人よりちょっと得意なだけの女でしかない。
得意の無詠唱だって、ツカサにちょっと教えただけでツカサも使えるようになってしまったし。
死を覚悟して目を閉じたその時だった。
「お前もオレの邪魔をするのか?」
シリルの声が聞こえた。
そっと目を開けると、シリルが私の前に立ちはだかり、触手が切り落とされて床に転がっているのが見えた。
「なら、お前も殺す」
シリルは不定形の怪物に向かって言い放つ。
城の兵士に向かって言ったのと変わらないように。
彼のその態度に「不敬だ」と言わんばかりに彼に向かって触手が殺到する。
触手が彼の身体に触れそうになったその瞬間、彼の身体が掻き消える。
シリルは何処に消えたのか。
首を巡らせる間もなく、上から下へと一陣の風が奔るのを感じた。
「え……」
縦に一直線。
不定形の怪物の身体は真っ二つに切り裂かれていた。
シリルが瞬時に飛び上がって、怪物の身体を斬り下ろしたのだ。
「ふん」
幻だったかのように、怪物の身体は霧散して消えた。
そして人の形をした本物の怪物が王の間の中央に立っていた。
(人間じゃない……っ!)
彼の常識の枠を遥かに超えた強さに慄きつつも、興奮を覚えている自分がいた。
そうだ、私は確かにこれと似たような興奮を以前にも覚えたことがある。
あれはシリルが脱落した後、ツカサたちと四人で旅をしていた頃のこと。
訪れた村が数千匹のオークに襲撃された。
私だって視線一つでオークを燃やすことはできるが、数千匹相手ともなると殺し切る前に魔力が尽きる。
正直もう駄目だと思った。
でもツカサの機転と圧倒的な強さによって、村には損害一つ出さず勝つことができたのだ。
それまで「勇者として召喚されたものの実態はただの無名の旅人」だったツカサは、それを機に本当に周囲から勇者様として扱われるようになった。
今のこの興奮は、その時感じた高揚感に似ている。
私はその後のツカサの苦悩と葛藤を美しいと思ったものだけれど、もしかして本当は……ツカサの圧倒的な強さに快感を覚えていたのでは? だって――――今もシリルのこの人外じみた強さが快感で快感で堪らないのだから。
ああ、私って強い男が好きだったのね。
「王様。オレはさっき、嘘を一つ言ってしまいました。すみません」
ニコリと不気味な笑みを浮かべたシリルが王の目の前に立つ。
「ひ、ひへはァァぁ……ッ!!!」
王は潰れた蛙のような悲鳴を上げて震えている。
「さっきは『気のせい』だと言ってしまいましたが、実は以前あなたにお会いしたことがあります」
ぐに。シリルが王の腹を踏みつける。
彼が少し力を籠めれば、王の丸い腹は破裂するだろう。
「どうも、あなたが命令して『殺せ』と命じたシリルです。そのおかげで一時はパーティから離脱しましたが、幸運にも生きて帰ってくることができました」
「ひひひひひィイ……ッ!!!」
シリルが力を入れたのか、王は泣き出した。
それにしても王がシリルを邪魔者だと断じたというのは私のでっち上げの筈だが、王はそれを否定する気力すらないようだ。まあ私だって狂人の妄想を真っ向から否定する勇気はない。
「ですから、あなたにはオレが何をしに此処に戻ってきたのか、よくお分かりのことと思います」
王の腹を踏んづけたまま、シリルが剣を振り上げる。
王は口をパクパクとさせて懸命に首を横に振っている。
数瞬後には王様の必死のジェスチャーも空しく、彼の首は床に落ちるだろう。
そう思った時だった。
「やめろ。さもなくばこの女を殺す」
私の真後ろから男の声が聞こえてきた。
それと同時に首筋にひんやりとした感触を感じる。
背後の人物に羽交い絞めにされ、私の首に刃物が突き付けられている。
でも、どうやって。この王の間には王様と五神将と私たちの他には誰もいなかった筈……。
そこまで考えて、五神将の死体が一つ足りないのに気がついた。
第二将軍ベルンハルトの死体が無い……!
「最速と呼ばれた俺様でも直前に殺気を感じ取ってやっと急所を避けるので精一杯だった。あんたの斬撃、反則過ぎるぜオイ」
私を羽交い絞めにしている男、最速の槍兵ベルンハルトがシリルに語り掛ける。
この男だけ死んだフリをして倒れて好機を窺っていたのか……!
クソ、気付かなかった。流石は暗殺の達人ということか。
「あんたさっき、触手からこの女を守ったよな? つまりこの女が大事なんだろ? だったら王を離せ。互いの人質交換と行こうじゃないか」
ベルンハルトは飄々と喋っているが、声は緊張に硬くなっている。
「アリシア…………ッ!」
シリルが血走った目で振り返る。
その鬼気迫る表情に、今すぐベルンハルトを殺すつもりなのだと理解した。
駄目だコイツ、「人質交換」だとか何だとかの言葉がまったく耳に入ってない……!
「お、オイオイオイ、人質は交換だって! この女の命が惜しくないのか!」
ベルンハルトが後退りながらグッと刃物を強く私の首に押し付ける。
たらりと血が首筋を垂れ落ちる。
「……」
不味いな。
この男、恐怖のあまり勢い余って私を殺しかねない。
仕方ないか。
「オイ、下がれっ……ぎゃあああああああッ!?!?」
突然、ベルンハルトの身体が発火して燃え出した。
ベルンハルトは持っていたナイフを取り落とし、床の上をのたうち回る。
やがて床の上には一つの焼死体が出来上がった。
もちろん殺ったのは私だ。
魔術で遠慮なく燃やしてやったのだ。
私が無詠唱魔術の使い手で、生きる為ならば何でもする女だということも知らないなんて、王国五神将といっても大したことはないのね。
「アリシア、大丈夫かッ!」
「シリルっ!」
シリルが駆け寄ってきて私を抱き締める。
私も彼を抱き締め返す。
彼の冗談みたいな強大過ぎる力は確かに恐ろしい。
でもツカサが死んだ今となっては、私に昂りを感じさせてくれるのはシリルしかいないと理解ってしまった。
「あ、あ、あ、謝るっ、謝るから赦してくれぇ……ッ!!!!」
叫んだのは放っておかれた王だ。
どんな命乞いをしようというのだろう?
「確かにワシは『理の紡ぎ手』を我が国に引き入れたいあまりに、邪魔者のそちを始末するように我が子エルネストに命じてしまった……っ!」
え?
あれ、その話は私の出まかせから生まれ出たハッタリだった筈なんだけれど……あれ、もしかして偶然真相を当てちゃってた?
あの時
今となっては真相は闇の中だ。……流石にツカサは一枚噛んでたりしないよね?
「謝る、我が財も差し出そう……ッ! だからどうか、命だけは……」
「ふふ、分かってないなぁ」
シリルは私の身体から手を離すと、にこにこと王に近寄っていく。
そしてガシリと素手で王の太い首を掴んだ。
そのまま王の贅肉だらけの巨体を持ち上げてしまう。
「ぐぐ、ぐ……ッ!」
王はシリルの腕を引き離そうと無駄な抵抗を試みているが、見る見る内に顔が土気色になっていく。
「オレはあなたのおかげで地獄を見たんです。謝って帳消しになる訳がないでしょう」
「…………ッ!!!!!」
「あなたも、地獄を見て下さい」
こきり。
あっけない音と共に、王の首が折れた。
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