2──きれいな頬
物静かに見えた先輩はかなり強引で、全力で恐縮し断ったにも関わらず、スキンケアを一式買ってくれた。化粧品と乳液とクリーム、すべて乾燥治療用の医薬品。
「治すのが先。お母さん、そういうの疎いみたいだから。保険の先生が余ってるのくれたって言っとけば」
「でも、こんな、九千円も……」
早急にお年玉貯金を崩さなければ。
「だってガサガサじゃん。赤くなって、皮むけてるし」
「先輩、明日会えますか? お金」
「いつでもいいよ。っていうか、明日からお祖母ちゃん家いくから。それにさ、お金貸したっていうの気分悪いから、学校始まったらその分ケーキ奢って」
毎日食べるわけでもないだろうに、いったい返済はいつ終わるというのか。
それにどう言い繕ったところで、親がすぐ返してきなさいと激高したり直接お礼とお詫びをすると言い出す可能性もある。
駅までの道で連絡先を尋ねると、先輩は上機嫌でスマートフォンを取り出した。風にそよぐショートボブの髪に縁どられ、ぷっくりと頬が丸みを帯びる。
先輩はきれいだ。
「〝みこみこ〟って可愛い」
あたしの名前は
そして、先輩のアカウントは──
「〝ハチトワ〟……?」
先輩が笑った。
「そっか、名前知らないよね。図書委員ってバッジだけだし。
どんな字を書くのだろうと思っていると、すぐさまラインが送られてきた。変わった名前だ。
「戸部さん、感想待ってる」
そう言って、八朔先輩は自分の頬を人差し指で二回、そっと突いた。その得意げな笑みといい、風にそよぐ短い髪といい、すべてが絵になっていて思わず見惚れてしまった。
改札まで送ってくれた先輩は、自転車を取りに学校へ戻ると言う。この辺に住んでいるらしい。
帰ってすぐ顔を洗った。もらった化粧水をたっぷり手にとる。少しとろみのある白い液体を両手でなじませ、頬を包んだ瞬間、声がもれた。
「あぁ~」
痛みと乾きと、そして痒み。それらが跡形もなく消えた。じゅわりと溶け込んでくる潤いがとてつもなく気持ちいい。しばらく顔を押さえたまま、快感を味わう。もう一度手に取って、なじませ、満遍なく顔に吸い込ませる。
「うー」
気持ちいい。
乳液とクリームを重ねていく毎に、顔の皮膚が癒されていくのがわかった。これはもうヘチマには戻れない。最後に皮膚科から出た軟膏を塗ると、特に痒みも感じず、いい感じだった。
鏡には、嬉しそうに目を輝かせている自分の顔が映っている。肌と心が生き返った。気持ちいい。まるで泳ぐみたいに。
八朔先輩の肌を思い出した。きれいな人は違うなと思った。
すぐに感想を送ると、可愛いスタンプだけが返ってきた。大人びた先輩という印象がまた少し崩れた。
二日目に赤みが完全に引き、三日目には痒みが引いた。
四日目に恐る恐る日焼け止めを塗り重ねた。なんともなかった。
一週間もすると、あたしの肌は見違えてきれいになっていた。八朔先輩にはかなわないけれど、肌理が整い、つるんとしてきたのだ。
それから二週間後、二学期が始まった。夏休み最終日にクラスを報せるラインが届いていたので、始業式のとき姿を探した。背の高い八朔先輩は後ろの方にいて、少しだけ顔が見えた。
ホームルームのあと急いで教室を訪ねた。取り次いでくれた上級生は、八朔先輩をトワと呼んだ。何人かで話をしていた八朔先輩が、こちらを向いて、あたしを見つけ、ゆっくりと瞬きを重ねていく毎に笑みを深めた。
戸口まで来てくれた事も含めお礼を言うと、八朔先輩はニコッと笑った。
「美瑚、きれいになったね」
白く透き通るような肌をした八朔先輩に言われて、嬉しくなる。なんだか、甘酸っぱい気持ち。それはたぶん、あまりにも八朔先輩がきれいだからだ。きれいな八朔先輩に、名前を呼ばれ、褒めてもらえたのが嬉しい。
「先輩、肌、すごくきれいですよね。あれを使ってるんですか?」
「違うよ」
「え?」
普段使っているわけではないのに、あたしに合わせて選んでくれたという事だ。その知識を素直に尊敬した。
八朔先輩が指先でそっとあたしの頬に触れてくる。
「うん。調子いいね」
あたしは小さく息を吸った。
とたん、触れてみたくなる。おずおずと手をあげて、指をのばし、八朔先輩の頬を目指す。気づいた八朔先輩が、悪戯っぽく目を細めて、口角をあげていく。
やわらかな頬に触れた。
吸いつくような、なめらかさ。
初めて触れる他人の頬は予想よりはるかに肌触りがよくて、そして何より、少し、特別な感じがした。
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