3 決闘


 優子は中学三年の頃、杏奈とは同じクラスだったから、半月ぶりの再会だ。それなのに、すごく遠い人に見える。それは杏奈も優子も別々の制服を着ているからなのか、それとも同じクラスだったのに距離ができてしまっていたせいなのだろうか。


 杏奈は変わらず歪みのない黒髪をした清楚な美人で、聖アルク女学院の修道服みたいな制服がよく似合っていた。


「なんで、杏奈がここに?」


「わたしが呼んだの。優子のために」


 悪びれずに答えるアリス。優子は杏奈とは会いたくなかった。中学最後の試合以来、気まずくてまともに話せてない。アリスは元々聖アルク女学院の中等部にいたから杏奈のことを呼び出せたのだろうが、杏奈が来たからと優子が魔道への恐怖を乗り越えられるわけではない。むしろ、杏奈を見るとトラウマが蘇り、魔道から逃げたくなる。


「わたしは優子とは決着をつけたかったから来た」


 冷たく、強い声音の杏奈。彼女はクールで人を寄せ付けないタイプの人間だ。どこか優子に似ているとも言える。二人とも中学に入った頃はもっと明るかったし、距離も近かった。二人を変えたものがあるとするならそれは、アリスがいなくなったことと、魔道だ。

 二人の魔道への向き合い方が違った。優子はみんなで楽しくできればよかった。でも杏奈は勝つために魔道をやった。それだけ。

 決着とは何だ。あの試合のことなら優子のせいで負けた。それは事実だ。


「わたしは、優子、全力のあなたと戦いたい」


「そんなことして何になるの」


 戦犯の優子を許せないから痛めつけたいのか。


「──わたしはあなたに勝ちたい」


 中学時代は県最強と呼ばれ、魔道の名門校聖アルク女学院に推薦入学した全国でも指折りの魔道選手である黒陽杏奈が、心の弱さで攻撃のできなくなった優子に勝ちたいとは一体どういう了見だ。


「……わたしなんかじゃ杏奈の相手にはならないよ」


「わたしは負けて悔しかった。試合に負けたことはもちろん悔しかった。でもあなたに負けたことの方がもっと悔しかった。あなたはわたしを数分足らずで倒した三人の選手の猛攻を二十分の間耐えて生存した。あの時わたしはあなたに負けたのよ。それが悔しくて、あなたの強さに嫉妬していた。今日は本気のあなたに勝つためにここに来た」


 わたしは勝ちたかった。あの時の杏奈の言葉が優子の脳にリプレイされる。杏奈は優子に勝ちたかったんだ。謝罪のための方便ではないことはわかったし、もとより優子には戦犯と詰ったことを謝ってもらうつもりはない。あれはどうしたって優子の責任だ。でもそれと関係なく欲望が湧いた。


 戦いたくなった。優しさとは別にある半年間封じ込めていた魔道選手としての本能が最強の杏奈との闘争を求めている。あの最強の杏奈が優子を強いと認めている。ここに優子に戦ってほしいと思っている人が二人もいるんだ。戦わないわけにはいかない。


「わかった。その申し出を受けるよ」


 優子の返答を聞いてクールな杏奈が笑みをこぼす。お互い、いつ以来かの笑顔で睨み合う。滾ってきた。最強への挑戦だ。後先考えずにとにかく今は剣をぶつけ合いたい。攻撃できるかなんて知らない。


「わたし審判やりまーす!」


 こうなることを予想していたように、アリスは『携帯魔道結界装置』を取り出して校庭に設置した。透明の光の幕が校庭と三人の少女を包む。

 これは魔道を行う上で必要な選手と外部を守る結界を展開する装置の携帯版だ。これひとつで魔道のフィールドがセッティングできる。手のひら大でキューブ型をした小さな魔機だが、それなりのお値段がする。


「両者、幻装を装備してください」


 黄昏時の校庭、不器用な幼馴染たちの戦いが始まる。二人の仲直りに必要なのは斬り合い、殴り合いだ。謝罪とか面倒な言葉はいらない。


「───幻装ファンタギア起動ジェネレート。暁に、光があらんことを」


 ロケットペンダント型の魔装を握りしめて詠唱する。周囲の魔力が呼応し発光。優子の身体に引き寄せられ、武装へと形状を変化させた。

 優子の幻装は白い外套に甲冑、剣と盾だ。半年ぶりに装着する幻装。嬉しくも苦しい。優子の過去そのもの。


「───幻装ファンタギア起動ジェネレート。我は天秤を司るものなり」


 杏奈は静かに十字架型の魔装に祈りを捧げる。光のそよ風が巻き起こり、彼女の肢体を包み込む。纏った幻装は白い外套と甲冑、剣と盾。優子の幻装とそっくりだ。それは優子の方が杏奈に憧れて真似をしたから。


「よーい、はじめっ!」


 アリスの合図で試合開始。お互い同時に駆け出し、結界中央で剣を交えた。剣音が響く。懐かしい。戻ってきた。


「言っておくけど、魔道はやめるつもりだったから、鈍ってて御眼鏡に適うかわからないよ」


「わたしがあなたの本気を呼び起こしてあげる」


 畳み掛けてくる。優子は防戦一方。攻撃の余裕はないし、精神的な問題でも攻撃を行えるかわからない。魔法装甲があるとわかっていても恐怖を感じる。死ぬことも怪我をすることもないけど、負けたら悔しいから、それが怖い。


 同じ武装では偽物の方が劣るのは道理。優子徐々に追い込まれていき、杏奈を懐に許してしまう。迫り来る剣尖。


「もう終わり?」


「───く」


 杏奈の剣が優子を袈裟斬りにした……かに見えた。斬られたはずの優子は未だに健在。


「残像か。閃影せんえいね。あなたの対策はしてきたつもりなんだけど、盲点だったわ」


 目の錯覚と光の反射を利用した魔法『閃影』。古典的な忍術の一つで、光属性なら残像で敵を惑わし、闇属性なら周知の分身の術などに応用できる。古いし、地味なので流行りではないが、こうして意表をつけるので優子は好きだ。

 

「相変わらず身持ちが固いのね、優子は」


「……随分な荒療治だね」


 なんとか攻撃を掻い潜り、距離を取る。徐々に再生してくる戦いの記憶かんかく


「優子。あなたは勘違いしてる。相手を攻撃するってことは傷つけるってことじゃない。本気の戦いをするってことは相手への敬意の表れなの。だから、攻撃は相手を認めたら行う。倒す相手だと認めたから攻撃するの。あなたも相手への敬意があるなら本気で剣をぶつけなさい」


 杏奈の言うことは理解した。攻撃は相手を傷つけるものではない。攻撃は相手への敬意。言う通りだ。

 そして、優子が攻撃を躊躇うのは所詮自分可愛さからだと自身が一番わかっている。自分が優しい人間であることを誇示したいだけなんだ。そんなものは捨てろ。優子は結局優しくなんかなれなかった、使命感からの偽善者だ。こうして戦いに応じてしまうほどの凶暴な獣を飼っていた。じゃあ、せめて誰かに偽善すらできなくならないように、その獣が普段暴れてしまわないために、発散しなくちゃならない。獣には獣の居場所がある。戦場ここが獣のまほろばだ。


 盾を捨て、左手に魔力を込める。眼鏡は外して魔法で視力補正。三つ編みも解いて灰色の髪を風に晒す。仮面を脱ぎ捨てたみたいで心地よい。ずっと押し殺していたじぶんが目覚める。

 幻想するのは誰よりも強い自分と杏奈への敬意。即ち、本気だ。


「───幻装、覚醒エボリューション。黄昏よ、闇を誘え」


 黒色の魔力が虚空に迸る。優しさという枷は外れ、本気という敬意が形を成した。優子の左手には黒色のおのれが握りしめられていた。外套と甲冑も白色かこから灰色みらいへと塗り替えられる。

 白と黒の二刀流に灰色の鎧。これが本気モードの優子だ。


「最高よ、優子。たまらないわ!」


 杏奈が浮かべたのは歯止めの効いてない今世紀最大の笑顔。


「受け取れ、杏奈!」


 光のように鋭く、闇のように艶やかに、優子の剣撃が杏奈の盾を捉え、粉砕する。


「わたしの『維持』の特性を得た幻装を凌駕した。優子、あなたの隠してた属性は闇、魔法特性は『破壊』ね?」


 ビンゴ。たった一回で見破られた。その通り。覚醒した優子の属性は闇。特性は『破壊』。


 属性と魔法特性とは人によって異なる魔法の性質である。属性は火、水、土、風、光、闇の六種類の性質で人間は誰もがいずれかを持っている。特性は大まかになら分類できるが細分化すれば人間の数だけ存在する固有の性質だ。その人間の精神性が特性を決定する。

 魔装はそれらを汲み取り、魔法として世界に顕現させるのだ。その具現化が幻装。杏奈の幻装は特性『維持』により、頑丈に不変となる。逆に優子の幻装は『破壊』の特性を帯びている。その性質は、


「今のわたしにぶっ壊せないものなんかない!」


 問答無用、なんでもぶっ壊す。十五年眠り続けた獣に相応しい凶暴さだ。優しさとは相反する怒りの化身。


 校庭の土を巻き上げる灰と白の魔力圧は天変地異に相当する。結界がなかったら校庭も校舎も吹き飛んでいるだろう。二人のブレーキはとっくにぶっ壊れている。他のものなんて目に入らない。


「……破壊か。相手にとって不足なし。維持は永遠へと昇華する。完全なる不変。無限そのものだ。たったひとつの『破壊』で砕けるものか!」


 杏奈は両手で剣を構え、切っ先へと魔力を集中させ始めた。勝り始めていた灰色の魔力は押し戻されて、結界内は白一色に征服される。


「……大技を撃つつもりか」


 破壊と維持の相克合戦に蹴りをつけるなら使用者の力量を秤に乗せるまでだ。しかし優子は杏奈の放つであろう攻撃に対抗できる出力の大技など持っていない。今は黒の剣に破壊の力を込めるので精一杯で剣からビームを出すにはまだまだ修業が必要だ。その点は杏奈に負けている。


 魔力で天使の如き翼を作り出した杏奈。飛翔し、上空から剣を優子に向ける。蓄えられた杏奈の魔力は感知できるキャパシティを超えている。測定不能、つまり無限だ。まさしく奇跡。最強の所以。本物の魔法だ。

 砲身である杏奈自身の口径は小さく、耐久値にも限界があるだろうから正確には無限ではない。それでも膨大な魔力での広範囲攻撃は回避は不能。この小さな身一つで耐え切るしかない。

 滾る。敵が強いほど燃える。優子は順調に獣に呑み込まれてきた。


「これはあなたの本気に対する返礼。わたしの本気よ。───天秤に掛けられるは不変の太陽ティファレント・イェロハ!!」


 振り下ろされた白剣。解き放たれるは光の奔流。無限に涌き出でる魔力を叩きつける最強の単純攻撃。

 地上を焼き払う無限の天使の軍勢をたった一人の獣が迎え撃つ。


「───白盾、起動。

 咲き誇れ、白百合の円環イェソド・エルシャダイ!!」


 二刀を地面に突き刺し、優子は両手で白百合の盾を構えた。今なお、やさしさだって優子の一部だ。

 開かれた花弁。白剣が白盾に激突する。一枚、二枚と花弁を散らしながらも、天の大火を受け止める。


 盾に『破壊』の特性を付与して攻撃を破壊し続ける。杏奈が『無限』に耐えきれずオーバーヒートして壊れるか、優子が『無限』に耐えきれずオーバーロードで破れるかの我慢勝負。


「うおりゃゃゃゃゃゃぁぁあッッ───!!」


 刹那、光の奔流が弱まる。杏奈とて未完成。あまりに大きな銃弾に砲身は耐えられない。優子は盾から抜け出して、上空の杏奈めがけて跳躍する。魔力で上昇した身体能力ならば、天使の領域に踏み込める。

 瞬間、杏奈の眼光が優子を捉えた。


「───あまい、今のはあえて隙を見せたのよ」


「しまった!?」


 おびき寄せられた優子に向けられる光の奔流。忽ち直撃をくらい、優子は地面に叩きつけられた。


「勝負ありね。油断大敵よ」


 倒れて動かない優子へとどめを刺すべく剣を向ける杏奈。再び光の剣が振り下ろされたその瞬間、盾の裏から一閃の影が天空へと飛翔した。白黒の二翼で飛ぶ獣──優子だ。


「その通り、油断大敵だ」


「あれは分身、今度は闇の閃影か!?」


 地面に倒れた偽物の優子は灰になって消失している。闇の魔法で作られた影法師に過ぎない。

 天を舞う天使の白翼を二色の翼で這い上がった獣の牙が喰い千切る。優子の覚悟の剣撃が杏奈に直撃した。ついに優子は攻撃恐怖を克服したのだ。


 互いに地上へと落下。それでも、まだ立ち上がる。杏奈の魔法装甲は未だに砕けていない。優子の魔力もまだ残っている。満身創痍で、もう体力は風前の灯火。でも戦う。戦いたい。


「やっぱり優子はおもしろい。こんなに楽しいのは初めて」


「わたしも初めて魔道がこんなに楽しいと思った」


 まだ戦っていたいけど、次の攻撃で決着がつくだろう。だったら残りカスでもなんでも全部乗っけて叩きつけてやる。

 二人は同時に地を蹴り、間合いを詰める。白と灰が交錯する。

 杏奈は先の膨大な魔力を一点に凝縮集中させて光速で回転する熱光線の剣を躊躇いなく振り下ろす。太陽を纏う剣は『破壊』すら焼滅させるだろう。


 優子は魔力節約のため白剣幻装を解除。腰を軽く落として、身体の後ろに黒剣を構える抜刀術。

 威力では優子に勝ち目はない。二本の剣を合わせても最強の光剣に両断される。もう残像や分身での回避は杏奈には見切られている。


「閃影抜刀、朧月影おぼろつきかげ………」


 抜かれた黒剣は光剣と衝突。灼熱の太陽を矮小な月が阻むが刹那で溶解される。しかし、その刹那で攻勢は覆る。


「───昇明星のぼりみょうじょう!!」


 優子の左手に白剣が瞬時に錬成され、杏奈の胴体に撃ち込まれる。月に隠れた明の星が太陽へ反逆する。

 守りの技を攻撃に転じ、速さで矛を制する。黒剣で一瞬の時間稼ぎ、刹那の隙を白剣で貫く。これが優子が杏奈に勝ちうる手段。


 ───しかしそれを持ってしても太陽には届かなかった。杏奈の魔法装甲を白剣が食い破る寸前、既に光剣が優子を穿っていた。


「……悔しい」


 紙一重の差で優子は敗北した。

 魔道用結界が解除され、夕陽が校庭を照らす。 結界の外はさっきの天変地異じみた決闘なんかなかったように静寂に包まれている。両者は力尽きてぶっ倒れた。


「負けてこんなに悔しいの初めてだ」


「わたしは勝ってこんなに嬉しいの初めて」


 これが本気で戦うってことなんだ。とても楽しいけど、負けると悔しい。勝ってみたい。また戦いたい。


「お二人さんお疲れ様。でも、試合の後は挨拶しないとダメよ。親しい仲にも礼儀ありなんだから」


 仰向けで転がる二人を見下ろすアリス。学校の後三人で校庭にいると昔に戻ったみたいだ。


「「ありがとうございました」」


 優子と杏奈は硬い握手を交わした。不器用な二人を繋ぐのは言葉ではななく魔道だった。


「それで、優子は魔道部に入る気になってくれたかな?」


 アリスがいじらしく質問してくる。そんなことわざわざ聞かないでくれ。とっくに決まっている。


「うん。もっと強くなって杏奈に勝ちたい」


 返答を聞いて、アリスは笑った。彼女のおかげで優子は前に進める。この魔道に人生かけてる彼女に答えるのなら優子も人生全部乗せしかない。


「なら、わたしも強くなる。優子には負けたくないから」


 クールな声音には太陽みたいな情熱が宿っていた。優子と杏奈、二人は認め合うライバルとなった。


「やばい、王道な感じになってきて、興奮で鼻血出そう! 次に会うときは大会の決勝戦的な約束してくれないかな!?」


 騒ぎ始める金髪。その気持ちもわかる。今自分たちは青春っていう曖昧なもののど真ん中にいて、大方がそれに気づかず取りこぼすのに、幸運にも実感できている。


「大会で会うも何も、わたしたちの魔道部まだ二人だよ。五人いないとチーム戦出られないじゃん」


「えへへ、そうだった」


「チーム戦か、確かにそっちもおもしろそう。色々あって個人戦一本に絞ろうかと思ってたけど、中学の頃の因縁を晴らすなら持ってこいね」


「……そのことはあんまり突かないで」


「だって、優子が苦い顔するの、見てると楽しいんだもの」


「わかる〜」


 鬼畜だ。鬼が二人いる。


「えと、じゃあ、大会で会おう。次は負けないから」


「望むところ。今度も叩きのめしてあげる」


 沈みゆく太陽を背に約束する。これから優子は前に進み出す。橙色の夕陽は少女たちを祝福しているようだった。

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