顔のないジェーン・ドゥ10

 目が覚める。

 周囲を見渡す。何も見えない。暗闇だ。

 そうだ。ここは田舎、ろくに照明もついていない。

 目が慣れる。見慣れぬ景色に不安が滲む。

 いけない。冷静になってはいけない。この暗闇の中、恐怖に支配されたら終わりだ。

 私は「ギブ・ミー・ザ・ナイト」をかけ、音量を上げた。

 そういえば、ジェーン・ドゥの夢を見なかった。いや、当然か。いつまでも彼女が助けてくれるはずがない。いつまで彼女に依存するつもりだ。そもそもジェーン・ドゥなど実在しない。ジェーン・ドゥは私だ。いつまで幻影を追いかけるつもりだ。

 私は己を諭しつつ、冷静にならないように「ギブ・ミー・ザ・ナイト」を口ずさんだ。

 夜はいらない。こんな夜なんていらない。ジェーン・ドゥのいない夜など――

 私は泣いた。嗚咽を押し殺して泣いた。

 結局、泣き明かした。いつの間にか朝になっていた。

 本当は、誰かに「おはよう」と言ってほしい。孤独を癒やす魔法の言葉を聞かせてほしい。

 とっくの前からわかっていた。私は孤高なんかではない。ただ強がっていたのだ。ただ無口だったのだ。

 私の風車はとっくの前から止まっていた。あまりにも歯車が足りなかった。私は生きながら錆びていた。生きながら死んでいた。そのことに気付くのが遅かった。そのことに気付いていながら忘れていた。

 何故生きているのかということが問題ではない。何故生まれてきたのかということが問題だ。この答えが出れば、直接的に生きる意味に繋がる。

 果たして私は答えを出せるだろうか。

 私は何も答えを出さずに生きてきた。疑問に対していつも逃げてきた。

 私は全てのものに「お休み」と言うことしかできない。全てのものが寝付いた後、暗闇の世界に私一人がぽつんと佇んでいる。

 少なくとも、孤独になるために生まれてきたわけではない。何かを成し遂げるために生まれてきたはずだ。

 両親のエゴで生まれてきたと言えばそれまでだ。事実ではあるし、もしそうでなくとも掘り起こすのは野暮というものだ。生まれてきたのもまた事実であり、死ぬことで解決するわけでもない。

 何かを成し遂げることが生まれてきた理由と仮定しよう。根拠の一つとしては、両親も私が何かを成し遂げることを望んでいたからだ。

 両親は私を愛していた。それなのに、私は期待に応えられなかった。人生で唯一後悔があるとしたらそのことだろうか。

 だが、私は両親のために生まれてきたわけではない。私の意志で生まれてきたわけでもないが、両親のために生きる気もさらさらなかった。

 私は私の意志で生き、私の意志で死ぬ。

 おはよう。お休み。

 どこまでも孤独で深淵な世界。私は同じことを繰り返す。

 ジェーン・ドゥは暗闇に差した一筋の光。パズルのピースの一つ。もう一人の私。

 私は涙に濡れた瞼を手の甲でこすった。

 答えを出そう。死が近ければ近いほど答えに近付く。答えが出た瞬間、私は死ぬかもしれない。それでも構わない。最後に何かを成し遂げられるのならそれでいい。答えを知って死ねるのなら本望だ。

 もう一つ、後悔があるとしたら。ジェーン・ドゥの顔を拝みたかった。一度くらい本当の私を見たかった。いや、垣間見ることはできたか。

 本当の私は代わりに私は強くなった。強がった。決して泣くまいとした。

 最後まで私を貫こう。どれが本当の私かなどどうでもいい。私は私だ。

 朝日の鋭い光が瞳に刺さる。窓を開けると、冷ややかな風が薄い肌をつんざく。

 私はアクセルを強く踏んだ。

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