顔のないジェーン・ドゥ9

 大きく息を吸い込む。

 微かに潮の香りがする。懐かしい香り。私のための香り。

 視界にはいっぱいの緑が広がっている。どこに視線をやっても緑。見上げたら雲一つない空。

 ここは私の理想郷。できることなら、ここで暮らしたい。

 眩しい日差しの下、目を細めながら私は歩いた。

 軟弱な私がここで生きることができるだろうか。家はどうしよう。金はどうしよう。食事はどうしよう。

 もう私には何一つとして残されていない。全てを捨てたのだから。唯一残ったのはプライド。

 だが、プライドでは家も建てられない。金ももらえない。食事にもありつけない。

 恐怖はなかった。むしろ、解放感に満ち溢れていた。

 別にやけになったわけではない。野垂れ死ぬ気は毛頭ない。

 これこそ私が求めていた自由だ。死のリスクを背負わずして何が自由か。保障された自由など仮初めの自由に過ぎない。

 家、金、食事が生きることではない。生きるための手段であり、これらを得るために生きているのではない。

 私は本当に生きている。これは夢ではない。もしこれが夢なら永遠に覚めることはない。

 私は長い眠りについていたのだ。私はゆりかごに守られていた。ジェーン・ドゥという母に見守られながら心地よく寝息を立てていた。

 私が起こされたのはパズルを完成間近まで持っていったからだ。パズルを完成させるべく私は生きることを余儀なくされた。

 人生の終わりが近い。パズルのピースが埋まり、生きている意味の答えを出したら、蝋燭の火は消える。

 私は答えを抱えたまま死ぬ。誰かに答えを伝えることなく死ぬ。

 きっとジェーン・ドゥは答えを知っている。が、あえて伝えないのだ。私を殺さないために。

 私は機械のゆりかごに戻り、「エイリアンズ」を聞きながら眠った。

 私は逃げた。少し、疲れた。疲労感から答えなどどうでもよくなった。

 後のことは一休みしてから考えることにした。

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