7.奪還作戦

 詰め所で装備を調えた私たちは、出撃が発令されるやいなや、前庭に向けて飛び出した。

 ポーラがすでに、馬車を支度して御者台で待機している。私たちが後方から乗り込んだ、その時、後ろから幼い少女の声がかけられた。

「パパ!」

 森の洋館で保護した、小里咲さりさだった。衣装はずいぶん質素になっていたが、洋館から唯一持ち出したぬいぐるみを腕に抱きかかえていたので、すぐに見分けられた。小さなあどけない顔を不安で満たして、小走りで馬車に駆け寄ってくる。

「パパ……必ず帰ってきて」

「ああ、必ずね。いい子で待ってるんだよ」

 答えたのは……アリデッドだ。座り込んで外へ手を差し伸べ、彼女の頬に触れようとする。

 そんなやりとりが御者台にまでは伝わっていないのだろう、馬車は非情にも動きだしてしまう。

 彼女はしばらく馬車の後を追い……支部の門まで走ると、そこで力いっぱい手を振りながら私たちを送り出した。

 遠のいていくその小さな影に、アリデッドもまた、手を掲げて応え続ける。

「……養子に迎えたんですか?」

「ああ。つい先ほど、正式に決まった」

 それは、出撃の指令が下ると同時に、ということだろうか。

「どうして、こんな時に?」

 キョウヤの疑問ももっともだ。

 必ず生きて帰るという強い決意が、彼にあったとしても……戦いに出る以上、命を落としてしまうかもしれないのだ。小里咲をまた悲しませる事態になどならないと、誰も保証できはしない。

「あの子には、一秒でも長く、親の温もりが必要だ。それに……サオリ君と話をしてから、願うようになったんだ」

「え?」

「僕は……ずっと、恐れていた。母が僕に残した『愛』という言葉の意味を、知らない人間なんじゃないか、ってね」

 脳内に、最初の外出実習の光景がよみがえる。赤ちゃんのためにミルクをわけてあげて、と私が懸命にお願いした、あの時……私は、アリデッドが愛を知らない人間なのではないか、と胸の中で心配していた。だけど……それと同じ事を、彼自身の方が、よっぽど深く思い悩んでいたのだ。

「しかし……僕は、あの子に幸せであって欲しいと強く願う。そのためならば、額に汗することも、傷つくことも、涙を流すこともいとわない。それは間違いなく、愛だ」

 はっきりと、言い切ってみせる。その顔は、すっかり父親の表情になっていた。

 ……彼もまた、責任を負う者になったんだ。

「そして……もう一つ気が付いたことがある。僕が、父である条約機構を変えたいのなら、まずは僕自身が変わる必要がある、とね。条約機構に愛を説くなら、僕自身が愛に満ちた人になるべきなんだ。だから……僕は、小里咲を娘として引き取った。所帯しょたいを持つことを条件にされたけどね」

「所帯って……」

 あまり聞き慣れない表現だけど、それって、たしか……。

「だから……ちゃんと帰らないとな、マイハニー」

 御者台を振り返り、彼が甘えたような声をかけると、ポーラが照れ笑いしながら返事をしていた。

「え、えええええ!」

 私たちの絶叫を後ろへ向けてこぼしながら、馬車は戦地へ向かっていく。


 馬車が街を抜け、街道を走り始めたところで、アリデッドが奥に座り直し、「さて」と引き締まった声を上げる。そこにはもう、のろけた空気は感じられない。

 私たちも姿勢を正し、これから行われる作戦についての説明を受ける。

「現在、カルルッカでは『星渡りの術』が繰り返し行われている」

 シセインが顔を細かく震わせ、口を開いたまま私に顔を向けてきた。大丈夫だから、と伝えるために、静かにうなずきを返してあげる。

「これを阻止するため、ラクタース科学帝国を主力として、カルルッカ奪回のための部隊が展開されている。対岸のザッケウスからも、海を渡って兵站支援が続々と届けられている」

「ついに、準備が整った……と」

 キョウヤの言葉に、しかしアリデッドは重々しく首を振る。

「まだ詰め切れていない。主に科学帝国のせいで、諸国の連携が取れない。そこへ……つい先ほど、ツキノ・フミ君から通信が入った」

「フミちゃん……」

「今夜、再び大がかりな儀式が行われる、と。だが……文面と内容から察するに、これはアルティールが彼女に命じられて送らせたものと思われる」

 私に魔法で手紙を送ったことが、バレたんだ。

 ならばそれは、罠を張って待ち構えているからかかってこい、という挑発だ。

「それに……乗るんですか」

「乗るしかない。動かねば、条約機構が号令を掛ける大義名分を失う」

 手のひらを広げ、アリデッドが目を伏せる。

「だが……これは同時に、フミ君を取り戻し、アルティールを討つチャンスでもある。我々に合わせて、加盟国軍も侵攻を開始する。敵の主力は全てそちらに任せ……我々は、我々が為すべき目的に専念する」

「フミちゃんを取り戻す」

「アルティールを討つ」

「『星渡りの術』を……止める」

 アリデッドは皆を眺め回し、大きくうなずいて、告げた。

「そして、必ず生きて戻れ!」

 居合わせた全員が、強くうなずきを返す。

 そうだ……みんなのやるべき事を果たして、生きて帰るんだ……!


「はじまってるわ!」

 ポーラの声と共に、馬が激しくいななき、馬車が急停止する。

 勢いよく傾いた車内で、バランスを失ってしまったシセインを、私の身体で受け止めてあげる。すぐさま、アリデッドの指示が飛んだ。

「ポーラ、皆を降ろしたら後方へ! 出るぞ!」

 キョウヤとアリデッドがいち早く外へ飛び出す。私とシセインもそれに続いた。

 しっかり押し固められた土の地面に、勢いよく着地。魔法がなくてもいいシューズだ、衝撃をしっかり吸収してくれている。

 馬車がターンして走り去ると、森の向こうに、灰色の空へ向けて幾筋もの煙が上るのが見えた。あっちが、戦場だ。煙の下では炎が燃えさかり、大砲が放たれ、人が殺し合っている。

 震えそうになる足に、しっかりと力を込めていく。

 魔法の力は、生きたいと願う心だ。それをシューズに注いでいき……身体を、少しずつ浮き上がらせる。

「来たぞ!」

 キョウヤの声にはっと顔を上げると、木々の合間から、斧を手にした男たちが這い出てきた。その顔には……バルバロイの劇の仮面。

 彼らはおどけた表情をこちらに向けながら、斧を構える。

 その石の仮面の裏に、どんな素性や過去を抱えているにせよ、やらなければ、私たちが命を落とす。

 腰の剣を抜き、同様にベルトに固定していた魔導銃を左手に持つ。

 銃の訓練は徹底的に行ってきた。火薬を使わず、魔法の雷を撃ち出すこの銃は、軽くて反動をほとんど生まない。威力は……私とミラ様がそそぎ込む魔力次第。

「カエリ……タイ……」

 不意に、くぐもった声が聞こえてきた。

「オウチ……」

「カエリタイ……」

 悲しげな、歌うような声。それは、目の前に立つバルバロイたちが発していた。

「言葉を……話してる?」

「カエリターイ!」

 泣き声をあげるように叫びながら、バルバロイが斧を振りかぶり、私に飛びかかる。

 ダメだ、加速が間に合わない!

 そこに……アリデッドが素早く割って入った。

「はやく行け!」

 両の手に構えた曲剣を合わせ、斧を食い止め、はじきながら、叫ぶ。

「責任を、果たしてこい!」

 その声に我に返って、私はシューズとブレスレットに前進を命じる。

 すぐに加速が始まった。滑るように動きだした身体で、私は全力疾走の姿勢を取る。

 キョウヤとの特訓で、この姿勢が最も速く飛べることがわかっている。

 そのまま私は、バルバロイがやってきた方へ向け、宙を走る。

 地面と靴底の隙間はわずか十数センチ。段差を跳ねるように飛び越え、一瞬だけ足を着けた地面を強く蹴り、さらに前へ飛ぶ。

 その脇を、キョウヤ、そしてシセインが必死についてくる。

 アリデッドが剣を打ち鳴らす音は、もう聞こえてこない。私は彼の無事を、ミラ様に強く願った。

(どうか、アリデッドさんにも御加護を……!)

 おそらく、隊の皆が同じ気持ちを抱いているはずだ。私たちはバルバロイたちを振り切って、全力で奥へ向かい続けた。


 草木の間を縫って進むうちに、やがて大きく開けた空間に飛び出した。

 白い花畑が円形に広がるその先に……見覚えのある、白いなめし革のスカート鎧。

 横風に長い黒髪を流しながら、眼鏡の彼女が……フミが、声をかけてくる。

「来ちゃったんだね……沙織」

 いますぐ抱き締めないと泣き出しそうな、迷子の顔つき。その目は、深い悲しみに満ちていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る