3.フミからの手紙

 ざらついた紙の封筒は雑な灰色で、簡素で飾り気などまるでない。現実世界で彼女と何度もやりとりしてきた手紙との差に、心がざわめいてしまう。

 開け口にはロウのかたまりで封がされていて、そこに何かの紋章が押してあった。

 条約機構の印ではない。訊ねると、魔法の念を受け取ったのはニュー・アレクサンドリアの図書館で、これは図書館の紋章だという。

「君宛に送られた手紙である以上、君はその内容を秘匿する権利を有するが……」

「一緒に読んでください」

 告げると、アリデッドはほっとした表情をうかべる。

 おそらく、今の私が隠そうとしたところで、立場をかえって不利にするだけだ。

 それに……フミちゃんが伝えたいことは、なんとなくだけど、わかる。

 私はそっと、ミラ様の加護を胸に念じながら、封を解く。

 本当は綺麗に開いてあげたかったけど、心がいていたし、ロウによる封印なんてはじめて触るので、無理矢理引きちぎるようになってしまったが……どうにか、中から一枚の紙を取り出した。

 顔を近づけ、その紙片に飛び込んでいくように、目を落とす。

『ツキノ・フミより。内密の通信でお願いします。ホシミヤ・サオリ様へ』

 この文字に書き起こしたのは、たぶん事務に慣れた女性だろう。柔らかだけど力のある走り書きの字に、フミの声を思い起こして重ね合わせ、一文字ずつ胸の内で読み上げていく。

『こないだのこと、本当にごめんなさい。アルティールの目的は世界境界の破壊です。バルバロイたちがそう教えてくれました。このことを、条約機構の人に伝えて下さい。私は、どうしたらいいのか、わからない』

 記されていたのは、それだけだ。彼女が今、どんな状況に置かれているのか、これからどうなりたいのか、記されているわけではない。

 語彙の豊富なフミらしくない手紙だとは思う。だけど今の彼女は、どんな言葉を尽くしても、手紙だけでは自分の気持ちを伝えきれないでいる。それは、寂しいから、怖いから、そして……もろいから。

「……手紙には、何と?」

 不安そうに、アリデッドが私の顔をのぞき込んでくる。彼、そして条約機構としては、フミが私に投降を呼びかけたり、情報を求める事態を懸念していることだろう。

「フミちゃんは、助けを求めています」

 上手い要約ではなかったと思う。だけど、私は一番に覚えた感想から述べた。

 私の胸に浮かんだのは、幼子おさなごのフミが道の端で泣いている姿だ。彼女はいつだってしっかり者で、他人の手を引いて進もうとしてくれる。でも……だからこそ、手を引いてあげる者が居なくなった時、彼女はもろさを見せる。

 いつかの夏祭りの夜だって、最後はそうだった。悪そうな人たちに絡まれて、警察の保護を受けた後、彼女は「念には念を」と言いながら、私を家まで送ってくれた。

 家に着いた私は、玄関を閉じた瞬間に、彼女からハンカチを借りたまま返し忘れていたことに気が付いた。そのため、あわててフミを追いかけようと外に飛び出して……。

 その時、見てしまったのだ。フミが、道ばたで涙する姿を。

 本当は、彼女が一番、怖かったのだ。守るべき者がいたから、力を振り絞ることができたけど……それが手を離れた瞬間に、彼女はもろくなってしまったのだ。

 胸の中の彼女の影に、カルルッカの街で見た赤ちゃんの姿が重なりだす。自分で解決できない不快がある、助けてくれ、そう必死に泣き声で訴えている。

 そんな彼女を……私は、助けてあげなくちゃいけない。そういう責任を、負っている。

 アリデッドに『世界境界の破壊』という言葉を告げると、彼はひどく驚きながら、険しい顔をしてみせた。

「もし、その話が本当ならば……この世界の危機と呼んで差し支えない事態だ」

「破壊、が起きたら……どうなるんですか?」

「この『C世界』が滅びる。ついでに、周囲の『星泡コズム』もいくつか巻き添えにして、ね」

 『星渡りの術』で異世界から人や物をたくさん喚んでしまうと、世界の境目にどんどん傷が付いていく。それがひどくなると、やがて世界を包む膜が破けてしまい……文字通り泡のように、世界そのものがはじけて、消える。その衝撃は周囲の世界にも及び、引力が影響する各『星泡』の位置と軌道も乱すだろう。

「……大きな話、ですね……」

 言いながらも、すぐには実感が湧いてこない。だけど、『星渡りの術』をアルティールに渡した時、シセインが浮かべていた世界の終わりを知ったかのような表情を思い出すと……あり得ない話でもないと、思えてくる。

 そして……もし、フミの言葉が事実だとしたら。

 いや、この仮定は無意味だ。フミが嘘をつくはずはないし、フミがそう信じるのなら、彼女の中ではこれは現実なのだ。

 彼女は……彼女があんなにも知りたがっていたこのC世界を、その手で破壊させられている。

「フミを、助けないと……」

 うつむいたまま、震える声でつぶやく私に、アリデッドが厳しい口調で告げる。

「ことは、世界全体に関わり得る話だ。この話……上に報告しなくてはならない」

「でも!」

 顔を上げ、思わず声を上げてしまう私に、彼はひとまず落ち着くように手で諭す。

「可能な限りすみやかに対策を行う必要がある。そのためには、今すぐ動ける者たちが必要だ。つまり……」

 すこしだけ、意地の悪そうな笑みが口の端に浮かんだ。

「僕たちの出番だ」

「……はい!」

 うなずきながら、無意識に顔を輝かせてしまったのだろう。世界の危機だからね、と釘を刺されはしたが、彼は力強く私の背を押してくれる。

「僕たちは全力でツキノ・フミ君を救出に向かう。万全の準備を整え、彼女をその手で、めいいっぱい抱き締めに行くように!」

「はいっ!」

 全霊を込めて、その指示に応える。

 なんとしてもフミを止めるんだ……私たちの手で。

 今なら、何だって出来る気がする。どんな辛い訓練でも、勉強でも、試験……試験、でも……。

「まずは、資格取得のための試験、がんばってくれるな?」

「う……」

 反射で一歩、かかとを引いてしまう。

 しかし……そんな私の背を、ミラ様の手が、確かに押し返してくれた。

「……やります! できます……!」

「その意気だ。フミ君と、君の双子の妹のために、ベストを尽くしてくれよ」

 言って、アリデッドはまた悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべてみせる。

 ……なんだか、うまいこと手綱を握られてしまったような気がするぞ。

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