2.母のひと文字
あの夢を見た事、そして記憶を取り戻した事には、なにか深い意味が込められているに違いない。
そう思った私は、朝食を取りながらシセインに相談してみた。
今、最も身近で、魔法にも詳しい仲間である彼女は、食事の手を止めて真剣に考え込んでくれた。
「おそらく……だけど」
紡がれる言葉に、身を乗り出して耳を傾ける。
「記憶を封じる魔法がかけられてたんだとしたら……術者の魔力が弱まった時に、その魔法が解けてしまうことが、あるんだ」
「それって……ミラ様が傷を負ったせい?」
シセインは深く視線を落とし、しばらく押し黙っていたが……やがて、意を決したかのように、私に告げた。
「おそらくは……ミラ様の力の源……信じる心だと……」
「ミラ様を、私が疑ったから……」
目の前が暗くなる。悔しさと悲しさで胸がいっぱいで、朝食の味も、シセインがかけてくれる気遣いの言葉もわからなくなる。
私は、あれほどミラ様を信じ、そしてミラ様に助けられてきたのに。
どうして、その存在を疑うなんて事ができてしまったのだろう。
いや……あの記憶を取り戻した今、心はさらに揺れている。
いったいどうやったら、信じる心を取り戻せるのか。……見当も付かない。
(……人って、こんな簡単に自分自身を裏切れるものなんだ)
涙がにじみそうになる。
自分だけは自分を裏切らないと、強く信じてきた私なのに……。
「……サオリ君?」
アリデッドの声に気付き、驚いて顔をはね上げる。彼は何度も私に呼びかけていたようだ、ひどく心配する声を掛けてきた。
「……ずいぶん落ち込んでいるようだね?」
否定も弁解もできない。素直にうなずくと、彼はなにやら深く気に病まないことを助言した後、「あとで話がある」と告げた。
食堂を出て、いつも重要な相談を行う部屋に向かうと、アリデッドは私に椅子を勧めながら訊ねてきた。
「……怪我は良くなったかね?」
「……ミラ様が、かばってくださいましたから」
今では頬のガーゼも取れ、火傷の跡もほとんど残らないだろうと言われはした。しかし、今の私にとって深刻な傷は……ガーゼも『手当て』の魔法も届かない、心の中にある。
「そうか」
うなずいて、アリデッドは向かいの席に着く。
「……そういえば、サオリ君の二倍の魔力の源について、まだ話してなかったね」
おそらくそれは、ここに呼び出された直接の理由ではないのだろうけど……興味のある話なので、静かにうなずいて先を促す。
あの時はたしか、原因の片方だけを聞いた瞬間に出撃が決まったんだっけ。
「いいかい。これはあくまで推測でしかない。だが……」
あくまで真剣に、しかし慎重に。アリデッドが言葉を選びながら語りだす。
「サリサが、こう言っていたんだ……」
「
「ああ。この条約機構支部で、今も保護を受けている。そのサリサが……君の背後に、人影が見える、と」
「人影……ですか?」
背後霊とか、そういう……? いや、違う。それはきっと……。
「その、背後に見える、もう一人の君……あえて言うなら『ミラ様』が、君に魔力を与えているのではないか……と我々は考える」
「ミラ様が……!」
「あくまで推測だ」
決めつけるには早い、と宙を手で払う仕草を示しながら、彼は続ける。
「だが、君の『生まれるはずだった双子の妹』が魔力を与えているのなら、君の魔力が二倍であることにも納得できる」
私はそっと、胸に手を当ててみる。
生まれるはずだった、双子の妹……
護天星騎士ミラヴェル・カオリ・ホシミヤ様。
本当に、存在したんだ。それは、疑いようのない事実なんだ。
私のその様子を見て、アリデッドがそっと、口を開いた。
「……ひとつ、昔話をさせてくれ。あまり愉快な話じゃ、ないんだけどね」
彫りの深い、褐色の整った顔つき。そこに、薄く汗がにじんでいるのがわかる。
おそらくは、辛い過去の話だ。私も居住まいを正し、彼に正面から向き合う。
「……僕の母さんは、バルバロイなんだ」
言われて、一瞬、あのユーモラスな仮面の男を想像する。
違う、そっちじゃない。
この『C世界』の言葉を話せない人たちのことだ。
私がそれを理解するのを待つように、アリデッドはゆっくりと語り続ける。
「母さんは落訪者だったが、条約機構に発見されるのがあまりにも遅くて……転移後の『処置』を受けることが出来なかった」
統一された言語のある世界で、言葉を話すことができないのは、あまりにも大きなハンデだ。
その上……お腹にはすでに、僕を身ごもっていた。
母さんは僕を産んでから、必死に言葉を学ぼうとしたらしい。
そして、ようやく理解したひとつの単語……『愛』……この字だけを書き残して、息を引き取った。
(カルルッカの支部の、あの墓石……!)
私はようやく、あの場面の意味に気が付いた。
あの長官は、私のためではなく、アリデッドの意志を確かめるために墓場で話をしていたんだ。
「お母さんは……何故、その単語を?」
「わからない。この一番大事な記憶の周囲は……あの洋館で、バケモノに喰われてしまったようなんだ」
『おめぇのイチバン
あの化け物は、そう告げて……アリデッドの記憶を食い散らかしたらしい。
唯一の肉親に関する記憶の喪失。それは、どんなに辛いことだろうか。
「……だが、何故その単語が選ばれ、書き残されたのか、推測はできる」
動じた様子も、悲しむ様子も見せることなく、彼は力強く言葉を紡ぐ。
「……母さんが、産まれたばかりの僕に向けて抱いていた感情だから、だ」
固く信じているのだろう。
母が自分に向けていた感情がそれなのだ、と。
「……在りもしないモノを信奉するような話かもしれない」
重くなりすぎた空気を軽くしようとしてか、ちょっと自嘲するような声を彼は漏らすが……その目は、あまりに真剣だった。
「だが……それがなければ、今の僕はこの世に存在していない」
胸が揺らぐ音。
アリデッドにとってのそれは……私にとってのミラ様だ。
「僕はその単語から『アリ』と呼ばれ、条約機構で育てられ……後に星の名前からとった『アリデッド』を名乗ることにした」
「そんな由来が……」
知らなかった。いつも陽気で、皆を元気づけようと振る舞う彼に、そんな過去があっただなんて。
そして……彼があのカルルッカの街の支部で育ったのなら。そこを抜け出し、外への道を切り開こうと決意するまでに、どれほどの苦悩があったことか。
そのことをさりげなく訊ねると、彼は深く頷き、重たい声で答える。
「……たしかに、条約機構は父親代わりだ。今も、その恩は忘れちゃいない。だけど……父は、変わる必要がある。母さんのような悲しみを増やさないためにね」
告げて。私の顔を真正面に捉え、告げてきた。
「僕はね、サオリ君。条約によって救われるべきすべての人に、手を差し伸べたい。フミ君も、バルバロイたちも、そのただの一人とて、あますことなく。だから、ずいぶん無理を言ってまで、この『天星隊』を作り上げた」
「私も……」
反射で応えようとして。私はもう一度息を吸い、自分の意志をこめ直し、強い言葉を発する。
「私も、力になります!」
「ああ。そのためにも……君のミラ様を、大切にしてあげなさい」
「……はい!」
私のその返事に、ようやく十分な活力を見出せたからだろう。アリデッドは、懐から一通の封筒を取り出した。
「では……君あてに届いた、この手紙を渡す」
「手紙……?」
「正確には、魔法で届けられた念をこちらで文字に書き起こしたものだ。念の送り主は……」
その言葉は、最後まで聞く必要がなかった。
封筒には私の名前と共に……フミの名が、記されていたからだ。
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