2.書の森を抜け言の葉を
すっかり荒れ果ててしまった図書室の中を、魔法のキノコが淡い緑の光で照らしている。
蛍光塗料のような、弱々しい明かり。もとは読書にも適した明るさを保っていたのだが、今ではすっかり弱りきって、かろうじて足の踏み場を
私はベッドから緩やかに起き上がる。そして床に積まれた書物たちを傷めてしまわぬよう、細心の注意を払いながら足を運び、ドアを押し開けて図書室から外へと踏み出した。
廊下は闇に沈みきっている。窓の外から見える空は、まだ夜明けには早い。支部の庭を見下ろすと、そこにバルバロイたちが焚いていた火が見えた。炎はすっかり小さくしぼみきり、灰色の煙をくすぶらせている。
たき火の周りには、バルバロイたちが集まって伏している。樹に寄りかかる者、レンガの壁に身を預ける者、あるいは地の上に直接横たわる者。
皆、昨日の戦いで疲れ切り、あるいは傷ついてしまっている。
魔導書で学んだ明かりの魔法を左手に宿し、それを頼りに庭まで降りていくと、彼らのかすかなうめき声が聞こえてきた。
「バル……バルゥ……」
「バルバルゥ……」
私の手の紫色の光でバルバロイたちを照らすと、彼らはかすかに身じろぎしてみせたが……すぐにそのまま顔を伏せ、うなだれてしまう。今にも消えてしまいそうな火に、新しい
彼らは私の魔力と、この街にわずかに残っていたエネルギーを用いて、無理矢理この世界に喚び出された。そしてアルティールの作った仮面をかぶせられ、事情もわからぬままに最前線で戦わされている。否も応も示すことを許されずに。
彼らの、互いの生存をどうにか確認するような声が、途切れ途切れに響いている。
その意味を、私は理解することが出来ない。
彼らは、この世界の言葉を話すことができないのだ。喚び出されてから一定期間の内に、条約機構で『処置』を受けさえすれば、私のように会話と読み書きが出来るそうだが……皆、それを受けさせてもらっていない。
『必要ないからね』
アルティールは冷たく、そう言い放った。
前線で戦うだけの駒に、そんなモノは必要ない。ただ、仮面を通して与えられる命令に従いさえすればいい。
そう告げた彼の考えに、私は激しい嫌悪を隠すことが出来なかった。
幻宗皇国の立場では、条約機構の『処置』すらも否定されるべき行いである。だが……本を読み、世界を知ろうとすることも出来ない、ただ破壊するだけの人生に……何の楽しみがあるというのか。
あの儀式から、もう何日も経ってしまった。おそらく彼らにはもう、『処置』は間に合わないだろう。
彼らに取り付けられた石の仮面は、おどけた表情を浮かべ続けている。しかし、その仮面の裏側で、彼らは互いに己の境遇を嘆きあっている。言葉はわからなくとも、声の響きだけでそれぐらいは推し
彼らは敵に殺されるまで、治療も満足に受けさせてもらえない。食事も温もりも楽しみも、ろくに与えられはしない。その辛さ、苦しさは、
「バル……バル……」
目の前に力なく横たわるバルバロイが、胸に受けた傷口を押さえながら、うめきを上げている。冷え切った風の中で、必死に痛みをこらえているのだろう。
私はそっとかがみ込み、彼に優しく声をかけてみる。
「……痛む?」
バルバロイが、仮面に付けられた大きな目を、私の方へ向けてくる。そして仮面の裏から、弱々しく、くぐもった声を返してきた。
私は左手で傷口を照らしながら、そこに右の手を添えてあげる。
淡い紫色の魔法の光が、彼の傷口に沿って走りだす。『手当て』の魔法だ。
「大丈夫」
「ダイ……ジョブ……」
バルバロイが、私の言葉をオウム返しに口にした。
それを耳にした瞬間……私の身体を、稲妻に例えるべき鋭い感触が貫いた。
霊感、あるいはインスピレーションと表現するべきか。あるいは率直に、庇護欲をかき立てられたと認めてしまうべきか。
私は消えかけた火を再び
それと同時に、短く声を掛けてまわる。彼らが感じているであろう思いや感情を、簡単な言葉で表して告げ、彼らにそれを口にさせていく。
……言葉を、教えようというのだ。
そのうちに、バルバロイの中の一人が、小さく重い音色で、歌らしきものを口ずさみだした。
胸を締め付けられる、短調の音程、せつないメロディー。その詞の意味はわからずとも、郷愁、あるいは母への愛を歌い上げていると想像できた。
「帰りたい……?」
私はその歌い手に、そっと声を掛ける
「カエリ……タイ?」
「おうち?」
「オウチ……?」
それから私は、現実世界の歌を口ずさんでみせる。故郷を慕い、そこへ帰りたいと願う歌。思いつく順に、一曲ずつ、バルバロイたちに聞かせてあげる。
彼らははじめ、不思議そうに耳を傾けていたが……やがて一人、また一人と、私の歌を真似て歌いはじめた。
燃えさかりだした炎を囲んで、たどたどしい合唱が流れ出す。
私は……
私は、帰りたいのだろうか、現実世界へ。
否。私は、この世界をもっと知りたい。この世界で、責任を果たし、何かを成し遂げたい。
私は、帰りたいのだろうか、彩織の元へ。
『否』の対義語は『応』になるだろうか。
私は……私は……。
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