3.嘆きのフミ
牢に戻されてから、私はずっとフミのことを考え続けていた。
彼女の考え込む姿、疑うような顔……。
それがなんだか、気になってしょうがなかったのだ。
牢に明かりなんてものは用意されておらず、月や星の明かりも厚い雲が遮ってしまっているから、辺りは完全な暗闇だ。
窓からは、雨の降り注ぐ音が流れ込んでくる。冷たい湿気が下りてきて、それが私に妙な胸騒ぎを覚えさせる。
「ねえ、シセイン……起きてる?」
「ぅ、ぅん……」
か細いけれど、答える声。私は緩やかに上体を起こし、隣の牢へと話しかける。
「ここで魔法なんて……無理、よね?」
「使える……と思う」
あまりに意外な答えに驚いた。てっきり魔法なんて、全て封じられるモノだと思っていたからだ。
「使えるの?」
「ノンマジック・タイルはここには敷かれてない……たぶん、敷地の境で
「でも、それだと牢を……」
抜け出せるよね、そう口にしようとした瞬間に、私の首に付けられていたチョーカーが鈍く光って、その言葉をかき消した。
胸の辺りに苦しさを覚えて、思わず両手を当てる。
そうか……このチョーカー、こういう代物なんだ。
だったらあの時……キョウヤは、私が求めた言葉を口にできるはず、なかったんだ。
「全部封じちゃうと、魔導具で生命を維持している人とか、応急手当する時に困るよ。それに、牢の中の異常は、やっぱり魔法で記録されてる……と思う。だから、逃げようとしても、きっとすぐバレちゃう……それで、捕まったら……もっと……ひどい目、に……」
私に説明を続けてくれる、そのシセインの声が、そこで突然、途絶えた。
「ふにゅう……」
「どうしたの?」
問い掛けたけど、彼女は寝言のような声しか返してこない。
その時、牢の外で重い扉が開け放たれる音が響いた。
続いて、階段を急いで駆け下りてくる、激しい足音。
何事だろう、と起き上がった私の耳に飛び込んできたのは、フミのひどく取り乱した声だった。
「どうしよう、沙織!」
「フミちゃん……どうしたの!」
こんな時間に接見など許されるはずがない。
彼女の顔を確かめられないけれど……彼女が泣いているのだけは、はっきりとわかる。
「貸出カードが一杯になったから……もう、本は見せられない、って……!」
「フミちゃん、落ち着いて……まず、どうやってここへ?」
「どうしてもって言うから、僕が、ね」
私の質問に、少年の声が答えた。彼女の背後から、金色のまぶしい明かりを灯しながら近づいてくるその影は……間違いない、大灯台で私たちに帰還の儀式を行わせたアイツだ。
「あなたは……!」
「ねぇ!」
フミの強い声が、少年ではなく、自分の方を振り向かせようと仕向ける。
「私、どうしたら……!」
とにかく落ち着かせよう。街には大きな図書館もある……そうアドバイスしようとしたが、そこに少年が口を挟み込んできた。
「……僕と一緒に来るといい」
驚きに、声が喉元で引っかかってしまう。格子戸の向こうで、少年は手に金色の明かりを、目にはもっと強く輝く金の瞳を浮かべている。そしてフミに、甘く優しい声をささやきかける。
「カルルッカにある、条約機構の本を好きなだけ読んでいいよ。禁書庫に隠された本も、読み放題だよ……」
「あなた……!」
ダメだ、この少年の言うことをきいてはいけない。今度は、フミをだます気に違いない。
「信じていい……んですか、アルティールさん……?」
フミが、私と、少年の顔を交互に見やる。
「フミちゃん!」
「キミは気付いているんだろう、条約機構の真実に」
その声に、フミが表情をこわばらせたのが気配でわかった。
私も声を強くして、フミを戒めるように言葉を掛ける。
「ついてっちゃダメ! でも……どうしても行くのなら……!」
『私も一緒に行く』
そう告げたはずなのだが。
その瞬間に、私の首元がまた鈍く光った。
そうだ、チョーカーだ。チョーカーの魔法で、私の言葉がフミちゃんに届かない。
胸に今度は激痛が走った。手を当ててそれを必死に押さえ込み、なおもフミに声を掛けようとするが……かすかな呼気すらも、喉から思うように出てくれない。
「さあ……」
アルティールと呼ばれた少年が、フミの手を強引に取る。
「行こう……」
走りたい。走って、すがり付いて、なんとしてでも引き戻したい。
でも、目の前にはだかる鉄の
扉の向こうでアルティールが小さく指を振ると、私は急に、強い眠気に襲われた。
「ミラ、様……」
おそらくは魔法の力だ。抗おうとしながら、その名を呼ぶのが、今の私にできる精一杯だった。全身から力が抜けていき、私はその場にゆっくりとくずおれてしまう。
(どう……しよう……)
そのまま、意識が沈んで、絶たれていく。
重くなった雨が外壁を打つ音だけが、耳の中に残された。
これから、どのくらい眠り続けるのだろう。
あとで目が覚めたら、全て夢だった事になっててくれないかな……。
誰かが膝枕をしてくれているみたいだ。とても温かくて、気持ちいい。
私がかすかに頬を揺らすと、膝枕の主は私の身体をそっとベッドまで運んで、横たえさせてくれた。
肩にそっと、掛布がかぶせられる。
そのまま甘えて、ベッドに身を預けようとして……そこで、おかしいと気がついた。
ここはまだ、牢の中のはずだ。
あわてて起き上がり、確認する……だが、やはり私は、牢の中に居た。そこに人の影など、あるはずもない。
……フミの姿も、少年の姿も……何も残されてはいなかった。
シセインの、小さくうなされている寝息が、壁越しに聞こえてくる。
外の雨は止んでいた。かすかな月の明かりが、窓からそっと射し込みはじめる。
人がここに入り込めたはずはない。
だけど、肩には掛布が掛けられていた。そしてこの頬は、覚えている……いつものあの声が、私に膝枕をしながら、言い聞かせてくれたんだ。
大丈夫、きっと大丈夫だから……と。
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