2.ブックワーム

 ニュー・アレクサンドリアの条約機構支部にある図書室は、私たちの高校の図書室ほどは広くない。きっと、街の方にすごく大きな図書館があるからだろう。

 それでも、室内を見渡したフミは、いっぱいに目をきらめかせて感嘆の声を漏らした。

「異世界の……本が、こんなに……」

 さっそくそばの書棚から本を一冊取り出し、ページを次々にめくりだす。

「読める……ちゃんと読める……!」

「フミちゃん、ちょっとコワい顔してる」

 そんな声も届いているのか、いないのか。フミはその細い腕に抱えきれるだけの本を書棚から抜き取ると、貸し出しカウンターにどんと積み上げた。

「とりあえずこれだけ……読ませてください!」

 その様子に、女性職員が呆れかえってため息をつく。

「目覚めた初日に図書室の貸出カードを作るなんて、前代未聞だわ」

「フミちゃんは……こういう子なんです」

「そう言うサオリさん。あなたの記録も、この支部で話題になるほどよ?」

 言って、鋭い目を突きつけてくるけど、この女性職員さんの口調が、すっかり丸くなっているのを感じる。

「記録……? サオリ、何かやったの?」

 振り返ったフミに訊かれたので、私は言葉を詰まらせながら初日の様子をかいつまんで語って聞かせると、彼女はその場に転げるかと思うほど笑い出した。

「ちょっ……サオリ、それって!」

「もう……笑わないでよ。本気で身の危険、感じたんだから」

「ごめん……ごめん、でも……」

 そんなに笑うほどのことなのだろうか? 思わずジトっとした目をむけていると、やがて一通り笑い切ったのだろう、彼女は息を整え、目に涙を浮かべながら、なんだかやけに優しい声をかけてきた。

「ホント……ホント、よかった。沙織……」

 なんだか納得しきれないが、彼女の大きな懸念が晴れた様子なので、あまり責めないであげることにする。


 フミの前代未聞は、それだけでは終わらなかった。

 彼女もこの支部で身体検査を受けることになったのだが、大丈夫だから、と告げて送り出した魔力測定で、悲鳴を耳にすることになったのだ。

 悲鳴を上げたのは……フミではなく、女性職員の方だ。

「こんなに高い数値……はじめてよ。測定水晶が壊れるかと思ったわ」

 そう告げる青い顔を見る限り、よほどの事が起きたのだろう。

「チート展開? 私、もしかして主人公になれちゃう?」

「よくわかりませんが……主人公になどなれません」

 女性職員にたしなめられても、フミは心の中のドキドキを隠しきれていない。

 私は素質無しって言われたのに……。ちょっとうらやむ目でフミを見てしまう。

(フミはいいなぁ、この世界でも前途有望で)

 思わずそんな事を、心の中で思ってしまった。


 それからの数日は、あっという間に過ぎていった。フミにこの世界のことを説明してあげるので精一杯だったのだ。

 だけど……その数日が過ぎると、今度は私が、彼女からこの世界のことを学ぶカタチになった。

「で、大戦争を終わらせるために結ばれた条約に基づいて、条約機構が頑張って、大きな戦争のない世界を作ろうとしてるわけ」

 今も食堂で、私が今まで興味を持とうとしてこなかった世界情勢について教わっているところだ。

「だけど最近になって、『ラクタース科学帝国』ができあがった。それに続いて、『幻宗げんそう皇国』も勢力を伸ばしてる」

 現実世界の日本だと、若者が政治に関心を持つのは危険な病気だと見なされていた。私もなんとなくそう思っていたし、この世界でも無意識のうちに同じように振る舞おうとしていた。だけど……いつか自分の住む文明と国を選ばねばならない以上、無関心でいることは良くない、そう彼女に諭されてしまった。

「ラクタース科学帝国は、魔法文明との決戦を想定して必死に武力を高めている。一方の幻宗皇国の方は、科学文明と魔法文明の両地域に見境みさかい無く侵攻し、その両方の技術を取り込んで、条約機構に対して宣戦布告までしているの」

 この短期間に、よくそこまで知識を取り込めたものだ、とホント感心してしまう。

 フミはとても、飲み込みが早い。もともと成績優秀だったのもあるだろうけど、何よりこの世界に興味を持ち、積極的に知ろうとしているのだ。

 現実世界でも、そうだったな……。世界とかに興味を持てない私に、こんな風に私に勉強を教えてくれていたな……。

「科学帝国と魔法文明がぶつかるか。あるいは、皇国と条約諸国がぶつかることになったら。……ねぇ、沙織?」

「え、えぇ、うん。大戦争がまた起きるかも……だっけ?」

「しっかりして。沙織はその幻宗皇国と条約機構支部の戦争に巻き込まれてたんでしょ?」

 そうだった。私がこの世界に喚ばれたのは、ちょうど幻宗皇国が条約機構に戦争を挑みだした時だった。皇国は支部のあるカルルッカの街を包囲して、私たちはその最中さなかから命からがら抜け出してきたのだ。

「でも、なんで……幻宗皇国は、条約機構と戦争してるの?」

「それは……ね……」

 フミは、説明を続けようとして、そこで言葉を途切れさせる。

 どうしたのだろう。その顔をのぞき込むと、彼女は深く何かを考え……もしかしたら疑っている、そんな表情を見せていた。

「……ちょっと、調べてみる。先、失礼するね」

 言って、食べ終わった食器を載せたトレーを持って、足早に席を立つ。

 私はまだ食べ終わっていなかったので、また後でね、とだけ声を掛けて、その後ろ姿を見送った。

 今の様子から察せられるのは……フミは、条約側の言い分だけで事態を決めつけることをためらっているのだろう。

 ここは条約機構の支部の中だ、得られる情報に限りはある。

 でも……幻宗皇国に正義なんてあったりするのだろうか? 私にはとてもそうは思えない。なにしろ、街に大砲を容赦なく撃ち込んでくるような連中だ。極悪非道な連中に決まってる。

 その辺りのこと、フミとしっかり伝えておかないとな……。


 食事を終え、ちゃんと「ごちそうさま」を告げてから食堂を出る。

 フミがどこへ向かったか、探しまわるまでもない。おそらく、また図書室に向かったのだろう。

 貸出カードがもうじき一杯になる、なんて話を彼女はしていた。すごい話だと思う、私はそこまで熱心に本を読むことなんてできない。

(……フミちゃんは本当に書物が好きよね)

 つぶやきながら図書室に入ると、その隅の方に、居た、フミだ。

 声を掛けようとして……彼女の様子が、少しおかしいことに気が付いた。

 彼女は立ち尽くしたまま、長い髪を前へ垂らすほどうつむいて……なにかの表示をじっと見つめている。

「……フミちゃん?」

 そっと、後ろから声を掛けてみると、彼女は飛び上がらんばかりに驚いてから、こちらを振り返った。

「あ……沙織。なんでも、なんでもないの!」

 言って、慌ててその場を離れて、姿を隠すように書棚の間に飛び込んでいく。

 彼女はいったい、何を気にしていたのだろう? そんな事を思って、先ほどの視線の先に目を向けてみる。

 そこには、厚く重い扉があって、『禁書庫』と記された古びたプレートが貼られていた。

(ここに……入りたかったのだろうか?)

 まさかね……その時はそうつぶやいて、私はフミの後を追った。

 小さなガラス窓の外に、雨の滴が降りかかり始めていた。

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