外伝2 キョウヤの夢

1.落下

 星宮さん……いや、彼女が俺をキョウヤと呼んでくれるように、俺も彩織と呼ばないと怒られるんだっけ。

 彩織の試合を、俺は観戦しに行った。これは、その時の夢のようだ。

 俺たちが高校に入ってまだ間もない、六月の末に行われた、対校試合。一年生による試合は、両校の得点には加算されない。新入部員同士の顔合わせと、試合を肌で体験してもらうために行われるものだ。

 それでも沙織は、激しい運動自体にあまり慣れていないはずなのに、汗をいっぱい垂らしながら、最後まで走り続けていた。その姿は、何者かのしっかりとした支えが得られているのだと、俺に強く感じさせた。今思えば、あの試合中も彼女は、ミラ様に何度も支えられていたのだろう。

 結果は惜しくも敗れたが……その顔は、持てる力を出し尽くしたという達成感にあふれていた。

 その表情があまりにもまぶしく感じられて、俺は観客席からそっと抜け出す。

 沙織が運動部に入ったと耳にした時は、正直、驚いたものだ。だから、つい不安になって、試合をのぞきに来てしまったのだが……全ては杞憂きゆうだったようだ。

 それが確認できたことで、俺は全てが満たされてしまった。

 目的は果たしたのだから、こんな活気に満ちた明るい場所に、長く居続ける理由など無い。俺なんかは正直、こんな場所にふさわしくない……だから早々に退散させてもらう事にする。

 県営のテニスコートから出て、大公園へ一歩踏み出すと、太陽の日射しが、じりじりとこの身をあぶる。見上げれば、梅雨にしては珍しいほどの澄み切った青空。誰かがそう願いでもしたのだろうか。

「ああ……彼女はもう、すっかり大丈夫なんだな……」

 思わず、つぶやく。

 それに引き換え、俺は……。

 言いかけて、うつむき、自己嫌悪の沼に浸りはじめる。

 こんな姿を沙織にだけは見られたくなくて、逃げるようにテニスコートに背を向けて歩きはじめる。

 大公園には緑が茂り、今朝まで長く続いていた雨はまだ路面の端を湿らせている。小学生ぐらいの子どもたちが、はしゃぎながら目の前を駆け抜けていった。

 彼女はもう、小学校の頃のことなど覚えてはいないのだろう。

 そうであるべきだ。

 あんな悲しい日々も。あんな衝撃的な事件も。

 忘れたままでいるべきなのだ。

 額の古傷がうずく。手のひらをあてがうと、あの瞬間の俺の、恥ずかしい記憶が蘇ってくる。

「若気の至り……か」

 長い前髪で古傷を隠し、テニスコートの音も届きそうにない雑木林へ向けて道を急ぐ。

 彼女は、思い出すべきではない。ならば……俺は、その視界に居ない方が良いのだ。

 姿を消そう。

 でも……どこへ?

 雑木林の向こうには、いくつかの灰色のビルたちが高い背をのぞかせ、その合間に夏の近づく空。空の向こうは世界に繋がっている。世界は……あまりにも広くて遠いのに、俺がどこまで行ったところで、沙織にまつわる思い出と、この額の傷はついてまわるのだろう。

 遠景の果てに見える山々は、青々と緑を茂らせている。

 あらゆる生命が活気づく季節。しかし俺には、気力の欠片も残されてはいない。

 俺は、何事に対しても、意欲というものを抱けない。

 高校に居ても、することなど、ない。偶然再会することとなった彩織に対して、声をかけるどころか、同性の友達すらも作ってはいない。休み時間には、独りで世界史の資料集をぼんやり眺めるだけの毎日だ。

 俺が小学生の頃に抱えていた万能感は……あの事件の衝撃で、消えてしまった。

「俺は……もう、この世界には必要ない……」

 そう、つぶやいた瞬間だった。

「……そうなのか?」

 重い、声がした。

 それと同時に、周囲の空気が一変した。まだ木陰までたどり着くには距離があるのに、日食でも起きたかのように、辺りが暗くなる。

 あわてて、大公園を見渡してみる……人の影が、すべて消えている。

 子どもたちのはしゃぎ声も、耳に届いてはこない。

 太陽のあった場所を仰ぎ見ると、空を覆うように巨大な金属の球が浮いていた。鈍色にびいろのそれには、大きな目がひとつだけ、付いていた。

「お前は、この世界には必要ないのだな……?」

 確認するように、それが訊ねると。

 足下が、いきなり崩れだした。

 落下感。

 落ちていく。どこまでも、落ちていく。

 気分が悪い。目がぐるぐる回って、船酔いのようだ。

 これは……転移酔いだ。異世界にたどり着いた人間が急激な環境の変化のために覚える身体の不調だ。そう、後にアリデッドが教えてくれた。

 転移酔いは、ひどい失敗をやらかした時の感覚にも似ていたな。

「みんな、見てくれ。この事態を打開する方法があるんだ」

 そう呼びかける、俺の声が耳に聞こえる。

 地面の中を落下していく夢の中で、俺の視界に、俺自身が情けない失態をやらかしている場面が映っていた。

 そう、ちょうどこの時の感覚だ。俺は外出実習の際、皆を街の広場に集めて、自信満々に叫んでみせたんだ。

 映像の中で、俺は紙飛行機をひとつ作って、皆の前で飛ばしてみせる。人々はそれを目にして、ただ不思議そうな表情を浮かべるだけだ。

「ふむ、紙飛行機だね?」

 未知の技術を目にした表情ではない。彼らは皆、当たり前のように、目にしたモノが何であるかを知っている。そのことに……俺の方が、驚いた。

「知っている……なら、話が早い! これを使って外部と連絡を取ったり、住民の脱出を」

「キョウヤ君。まことに残念ながら……」

 アリデッドのダメ出しをする声が、遠のいていく。

 そう。有用な飛行機を作るには、俺が持ち合わせていた『飛行機の飛ばし方』という知識だけではダメだったのだ。必要な機体の素材、動力、燃料、航路の設定、風向の予測……その他、ありとあらゆる知識と資源を、あの街では揃える事ができなかったのだ。

 幻宗ゲンソウ皇国軍の包囲を飛び越えて、隣の条約機構支部のある街、あるいは安全な着陸可能地点までたどり着けるような飛行機など……高校に入りたての俺の知識だけでは、作り上げる事など出来はしなかったのだ。

 作ろうと目論む品が、高度になればなるほど、それに必要な技術は専門化されていき、一人の人間の脳では持ち込めきれなくなっていく。つまるところ、ここで作る事ができる飛行機は、技術が分化する前のシンプルな代物でしかない。もっと高度な物を作りたければ、同じ技術体系の専門家たちが集まる必要がある。そんな巡り合わせなど……少なくとも、カルルッカの街では奇跡のようにあり得ない事だった。

 俺の知識に、この世界の住人の技術を掛け合わせる試みにも、何度か挑んでみた。しかし……この世界の住人に、飛行機という技術に関心を持つ者は、一人として存在しなかった。

 俺はそのことを、ずっと不思議に思っていた。だが……それからこの異世界をくまなく観察し続けて、やがて俺は、ひとつの結論を見出した。

 この世界の住人は、技術を発展させるという行為を大いに恐れている。

 たぶん、五百年ほど昔にあったという大戦争が原因だろう。技術の発展を追い求め過ぎて、世界を滅ぼしかけたと耳にしている。人々は、その再来をなんとしても避けようとしている。その最たる旗振り役が……他ならぬ、俺たちを保護してくれている条約機構なのだ。

 条約機構の最大の目的は、かつての大戦争を再び起こさない事。そのために、技術や兵器を制限し、おそらくは上の世界から降ってくるモノと人間も監視している。

 それらが合わさった結果、様々な文明がるつぼのように流れ込む『C世界』の技術レベルは、中世から近世の間……おそらく十五、六世紀前後で留まったままなのだ。

 中世のヨーロッパで、技術が極めてゆっくりとしか発展しなかった構図に近いのかもしれない。

 しかし、人口増加の問題を解決できる革命的食糧であるジャガイモは、この世界にたしかに存在した。

 その他にも、この世界の技術と生活を激変させられるような火種は、いたる所に散見されている。

 なにか……ひとつかふたつ、衝撃を加えることができれば……人々の考え方を変え、専門家を一カ所に集め、科学技術と魔法技術をブレンドさせるような……そう、意識の改革さえできれば、『独特の産業革命は起こせる』のだ。

 しかし……それは、俺のこの手には余る大事業だ。

 俺たちは……物語の主人公なんかじゃ、ない

 そのことにあらためて思い至り……俺は夢の中で、もっともっと深くまで落ちていく。

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