6.少年の誘い
私は思わず、テニスコートでステップを踏むように向き直り、腰の剣を確かめた。
この少年は、私の名前を知っている。ならば、事件か。
身構えてしまった私に、少年は微動すらせずに言葉をかけてくる。
「違わないだろう? リュミエール神殿の少女が『星渡りの術』を成功させて、キミをもと居た世界に送り返す。そうすれば彼女は、自分に自信を持つことができる。キミもこれ以上条約機構に負担をかけることなく、平穏な生活へと戻れるだろう」
「なんで……」
勝手にそう決めつけるのか。最初は、そう言いたかった。しかし、悔しい事にそれは全て、私がうっすらと考えていたことだ。
だから、私は口にしかけた台詞を変える。
「なんで、わかるの」
「キミが心で、そう叫んだからさ」
悪びれもせずに、少年は答えてみせる。
魔法が存在する世界なんだ、心を読むぐらい、簡単にできるのかもしれない。けど……。
「だからって、勝手に……」
「心を読んでしまった事は謝るよ。でも、条約機構が付けさせたそのチョーカーがいけないんだよ」
言われて、首もとに手をあてがう。このチョーカーには、魔法が効きやすくなる仕掛けでもあるのだろうか。
そういえば、魔導書に何か書いてあった気がする。無意識が生む抵抗力。生物が無意識で嫌がっていることを魔法で行わせるのはとても難しい、とか。
「でも、そのお詫びとして……キミが『星渡りの術』で還るための儀式、ボクが用意してあげるよ」
「え……」
思わず声が漏れてしまう。
「誰も邪魔できない、ふさわしい場所を用意し、人払いをかけ、陣を描き、供物を捧げ、明かりを灯し、マナを集め、コードも用意する」
「でも……でも、エネルギーは? すごいエネルギーが要るんでしょう?」
「エネルギーなら、君が腰に下げているじゃないか。聖なる炎を……」
そうか、スマートフォンと同じ小袋に入れていた、老人からもらったあの黒い箱……!
「あとはそこに、リュミエール神殿の少女が持つ秘術さえそろえば、キミは元いた世界に戻る事ができるはずだ」
その言葉を聞いて、直感した。この人は、リュミエール神殿の秘術……シセインの持つ『書』を狙っているんだ。
「……見返りは何?」
確認するために問いかけたつもりだが、こちらの心を読む事ができるなら、無駄な駆け引きかもしれない。
「ボクはただ、儀式を行った時のデータさえ得られれば、それでいい。この世界には……もとの世界に帰りたがっている人が、たくさん居るからね。ボクは彼らの、助けになりたいだけなんだ」
その言葉が本当か嘘か、私には確かめようがない。フードを目深にかぶった少年からは、表情を読み取る事もできないし、やけに平板な声からは感情というものが感じられない。
「……ふたつだけ、約束して」
「いいよ」
「シセインに決して触れない事。彼女の安全が第一条件。それから……キョウヤも一緒でないと」
少年が口を歪めさせ、笑みを……どこか不気味さすら覚える笑みを形作った。
「ああ……約束する。キョウヤは、キミが説き伏せればいい」
「彼は、牢の中にいるの」
「彼の同意さえあれば、儀式の場に呼び出せるよう、手配しよう。『自分も一緒にもとの世界へ帰る』とその口に言わせればいい。そのひと言さえあればいい」
うますぎる話だとは思う。私が現実世界に帰った後、シセインが本当に無事でいられるかなんて、確かめようがない。だけど、キョウヤを牢から出すという約束がちゃんと果たされたなら……この少年の事を、信じてみてもいいかもしれない。
「今宵、雲に隠れながら昇った満月が、その姿をボクたちにさらす頃。あの大灯台で、待っている」
言って、彼は海の方へと顔を向ける。私もつられて、大灯台の姿を確かめる。川が海に流れ込む手前に三角州があって、その中央にピラミッドのような大きな建物がそびえ立つ。ちょうど雲の間から陽が射して、大灯台の全容を照らし出した。むきだしの階段の先には小屋があり、その上に時を告げる大きな鐘と、夜に光を放つであろう大きな球体が、きらきらと輝いて見えていた。
不意に雨音が消えた。木の葉の揺れる音、風のうねり、全てが失われ、世界が
少年の方へ顔を戻すと……彼の姿は、跡形もなく消え去っていた。
驚いている間に、雨の音がまた耳を打ち始めた。それが次第に弱まって、天気は回復に向かいはじめる。
まだ何か聞いておかねばならない事があったはずなのに、それらは全て取り落とされてしまった。
彼が立っていた床はたしかに濡れていて、今までの会話は夢などではないと示している。
彼の姿を、頭の中で必死に思い浮かべようとする。大灯台へ目を向けたとき、ほんの一瞬だけ、金色の瞳が見えていたような気がする。
あの声、言い草、そして不気味に輝く瞳。私はどこかで、見たことがあるような……。
その時、雨具をかぶった条約機構の職員が、図書館に至る坂を登ってくるのが目に入った。
いけない、またやってしまった。あとでこってり絞られることだろう。
予想通り職員に叱られてしまった私は、何度も頭を下げながら平謝りを繰り返した。
そして、時間があまり残ってないと迫られたので、図書館の売店に飛び込んで、表紙に白い羽根が描かれたスケッチブックと魔導具のペンを、ひとつずつ買った。
それで外出実習は、なんとかクリアとさせてもらった。
軒先で出会った少年の話は……もちろん、一言も口にしなかった。
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