5.新しい街の外出実習

 すっかり泣き疲れてしまったシセインは、しばらく眠りたいと口にして、そのまま私のベッドに倒れ込んでしまった。

 彼女にそっと掛布をかぶせ、隣に座り込もうとしたところで、条約機構の職員が私を呼びに来た。

「本日は外出実習を行います。すみやかに準備を整えるように」

 事務的にそう告げる声が、ずいぶんと固い。

 私は仕方なく外出用に服を着替え、鏡もなしに身だしなみを整える。そして小さく寝息を立てだしたシセインを起こさないように、そっと部屋を後にした。

 支部の裏口で待っていたのは、アリデッドではなく、はじめて顔を合わせる職員だった。

 カルルッカの街の時と同じように、外出実習の目的と注意事項を聞かされる。その口調と態度から、私はかなり警戒されているのがわかる。

 ……無理もない。前回は大失敗をして、条約機構に借りをひとつ作ってしまったのだ。

 今度は失敗しないように、ちゃんとやってみせる。そう意気込んでいると、職員から白いチョーカーをひとつ手渡された。

「これを首に付けていてください。もしもの時に、あなたの位置を知るための措置です」

 色は違うけれど、キョウヤが首に付けていたのと同じものだ。

 おそらくだけど……これは魔法の発信装置なのだろう。キョウヤもこれと同じか、もっと強力な物を、逃げ出せないように着けさせられていたんだ。

 その指示には大人しく従うことにして、職員とともに裏門へ向かい、ミラ様の名を念じてから、外へ向けて一歩を踏み出す。

 空には雲がかかり、弱々しい光が降り注いでいる。

 現実世界ほどではないにしても、街並みは清潔で整った造りをしていて、往来には身だしなみを整えた人たちの姿が見られる。

 この街の名前は、ニュー・アレクサンドリア。港にやたら大きな灯台があって、丘の方にこれまた巨大な図書館がある。

 そのことについて、キョウヤはなんだかすごく興奮しながら熱く語っていた。なんでも、現実世界にも似たような街があったけど、それはもう失われてしまったとか、なんとか。

 キョウヤも一緒に連れてきて、案内させたら面白かったかもしれないのにな……。そんなことを思いながら、私に同伴してくれる職員の方を何度も振り返る。シャツにロングパンツというシンプルなスタイルの彼は、私の後方で一定の距離を保ちながら、ずっと無言のままついてくる。

 見守られているというより、なんだか監視されている気分だ。

 そんな気まずさも少しは晴らせるかと思って、とりあえずは海を見に行こうと歩いてみた。

 切りそろえた石を敷き詰めた路面はとてもなめらかで、海へ向けてなだらかな下り坂が続いている。自動車はさすがに無理だろうけど、馬ならすれ違えるほどの幅を持つ通りは、このまま進むとバザールらしき広場へ行き当たるようだ。

 遠くから広場を垣間見ると、そこではすごい密度で人々が行き交っている。ここまで歩いてきた道でも、たくさんの人や動物を見かけたけれど、広場へ抜けた先の賑わいは、きっと現実世界の都会にも引けを取らないほどだろう。その中には大小の動物たちも混じっていて、その背にかけられた鮮やかな色彩の織物、道ばたに積み上げられた荷物の数々、漂ってくる香ばしさの混ざり合った匂い、耳をいっぱいに満たす雑踏と喧噪けんそう、それらがうねりを生みながら、次々に流れ出てくる。

 あの中に飛び込んでしまったら、どこに流されてしまうかわからない。それに、同伴する職員ともきっとはぐれてしまうだろう。その恐怖感が私をためらわせ、その足を脇道へと向かわせた。

 広場の裏を走る小さな通りにも、敷物の上に様々な商品を並べた露店がいくつも並んでいて、人々が歩き回り、品々を物色し、大きな声で談笑している。

 道には、荷物を運ぶための馬や、それに似た動物たちもたくさんいるのに、彼らの落とし物はここではあまり見かけない。そういえば、それらは物流がちゃんと機能してさえいれば、郊外の畑で肥料として使われる……とキョウヤが言っていた。この街では、誰かがきちんとそれらを回収して、有効に使っているのだろう。

 異世界の人通りにも、動物たちにも、匂いにもだいぶ慣れてきた。私はおっかなびっくりながら、今日の目的である買い物をするために、道ばたの露店を眺めはじめる。

 まずは、大小の壺が伏せて並べられている店。形状はそれほど奇抜ではなく、現実世界とだいたい同じように見える。その隣では、鍋ばかりを重ねて陳列している。今はまだ条約機構で食事をさせてもらっているから、ここでひとつ買ってみたところで、置き場所に困るだけだろう。

(ポーチの魔法のこと、もっと勉強しておきたいな……)

 そんなことを思いながら、次の露店を冷やかしてみると……私はそこで、意外な物を見つけ出してしまった。

 極彩色の織物の上に、いくつもの靴が山と並べられている。形状も色も大きさもバラバラで、ここがいろんな文明が混ざり合う世界だという事を実感させてくれるが……その中に、テニスシューズに似たデザインの靴が一足、紛れ込んでいたのだ。

 素材には白いメッシュらしき物が用いられている。それほど細かくはないので、通気性と強度をどれほど確保できているかはわからないけれど、今履いている蒸れるブーツよりは快適そうだ。茶色い靴底は合成ゴムには見えない、動物の革の柔らかい部位とかだろうか。黒い靴紐を結ぶ構造だから、大きさもある程度調整できそうだ。中敷きは……

「嬢ちゃん、いいモノに目を付けたねぇ」

 しまった。まじまじと観察していたから、敷物の上に座り込んでいた店主に目を付けられてしまった。

 水色のターバンを頭に巻いた男は、見るからに悪人という顔つきではない。素肌に袖のないシャツを一枚まとわせ、ふくらはぎで大きく膨らんだロングパンツを穿いて胡座あぐらをかいている。

 こういう時は、いい人そうに見えても、十分に気を付けなくてはならない。欲しがっている様子を相手に見せると、骨までしゃぶられてしまうモノだと耳にしている。

「試しに片方だけ、履いてみるかい? 抜群の心地よさを保証するよ?」

 誘う言葉に、思わず身体を引き寄せられながら、頑張って頭を後ろにのけぞらせる。なんだか薄い胸を張っているかのような姿勢になってしまったが、店員はそれを笑いもせずに、甘い言葉をかけてくる。

「しかもこの靴、東方の島から渡ってきた魔法の靴でね。ここだけの話……」

 身を乗り出しながら口元に片手を当てて、私だけに聞こえるように、ささやきかけてくる。

「宙を浮いて、飛べるんだ」

「魔法の……?」

 靴なんですか、と、思わず訊ねてしまうところだった。しかし店員は満面の営業スマイルでそれに頷いて、さあさあどうぞ、ものはためしだよ、と右の靴をこちらに差し出してくる。

 わかってはいる。仮にだます気がないとしても、売りつける気は満々だ。

 しかし、己の欲と好奇心を抑えきる事はできなかった。地下道を歩いた時からこっち、履き心地の良いシューズに強く焦がれ続けてきたのだ。それに、なにやら魔法の力が備わっているとなれば、それをこの目で、足で、体験してみたい。

 私はこわごわ、右足からブーツを抜き取って、素足をさらしてみせる。

「やあ、お客さん。綺麗な足をしていらっしゃる」

 そんなセールストークに乗せられはしない。褒められた素足を魔法のシューズにそっとあてがって、中にゆるゆると潜り込ませてみる。

(ここで汚したり歪めさせたら、無理矢理買わされるんだろうな……)

 条約機構にまた借りを作ってしまう悪い想像がこみ上げてくるが、それがどんなに膨らんでも、今の私を止められはしない。私の足はすっぽりと、まるで運命を覚えさせるかのように、シューズの中にはまりこんだ。まるで私のためにあつらえられたかのようだ。

 現実世界でも、自分に合う靴を探すのなんて、大変なのに……。

 軽く穴に通しただけの靴紐はそのままにして、地面をそっと踏んでみる。靴の内側はザラザラしていて、快適とまでは言いがたかったが、私の足にしっかりと応えてくれる。

「靴に魔力を込めて、浮いてみろ、と念じてご覧なさい」

 生気オーラを送り込む要領でいいのだろうか。私はほんのわずかだけ足の力を抜いて、そこに巡る血と生命の流れを意識してみせた。

 ぐらり、と身体の重心が崩された。私はあわてて両腕を振ってバランスを取る。右足が……地面から離れて、数センチ離れた高さに浮いている。まるで見えないクッションを踏み固めているかのような感触だけれど、不思議な安定感を覚える。私が半ば無意識に念じる高さと位置に足がとどまり、体重を乗せると、そこに柔らかい床があるかのような反発を返してくる。こわごわ、左の足を地面から離してみると、右足は宙をしかと踏んだまま全体重を支えてくれる。

「あまり高くは浮けないけど、両足に履いたら、とても速く走ることもできるんだよ」

 私は現実世界での癖で、この魔法の靴を誰かに見せて、自分の驚きぶりと体験を伝えたい、そう思ってしまった。腰のベルトに下げていた小さな袋を探って、スマートフォンを取り出し……その瞬間にようやく、バッテリーなどとうに尽きている、という事実を思い出した。

「おや、お客さん……」

 店主の声のトーンが、一段低くなる。しまった、うかつな行動を取ってしまったかもしれない。

「いいモノ持ってるね……よかったら、ソイツを見せてはもらえませんかね。かなぁり勉強できそうですよ?」

「で、でもこのスマフォ」

 スマートフォンを懸命に両手で覆って隠し、冷たい汗をかきながら必死に弁明する。

「バッテリー切れてるし……つまりその、役になんてたたない、ただの金属の板だから」

「ええ、ええ。そうでしょうとも。それでいっこうに構わないんですよ?」

 どういうことだろう。その疑問の声が素直に顔に出てしまったのだろう。店主はその理由を丁寧に語り始めた。

「それは『すまぁとふぉん』だろう? ソイツの中には、たくさんの金を使って魔法文様が刻み込まれている。それを鋳溶かすだけでもいくらかの儲けは出せるんだ。それに、中や外を包む金属の箱も、この世界の技術ではそうそう作れない素材と形状だ。よく洗えば錬金術の容器にも使える。そして透明で丈夫な板は、実用にも装飾にも使い道はたくさん。なおかつ、中の魔法を解析できる人の手に渡りでもすれば、未知なる技術があるいは見つかり、ともすれば一躍、一攫千金!」

 指を細やかに揺らしてみせ、手つきで様々な形を示し、最後に両腕を派手に広げて、叫んでみせる。そして流れるように足下のソロバンをつかみ取ると、軽快な音を響かせながら珠を次々とはじきだした。

「さあさ、儲けの仕組みを聞いちゃったからには商談、商談。嬢ちゃんは見たところ、まだ条約機構の外出実習の……」

 逆らう事もできぬまま、そこまでを耳にした途端に。私の身体を、雷のようなモノが駆け抜けた。これはヤバイ。あの時と同じ匂いがする。

 私はすぐさまシューズを足から脱がし取って、できるだけ丁寧に敷物の上に載せ、脇に置きっぱなしにしていたブーツをつかみ取ると、背を向けて、ブーツを抱えたまま駆け出した。

「やっぱり、渡せません! ごめんなさい!」

 背後から、店主が大きく呼びかけてくる声が聞こえる。それが怒声に変わらない事を祈りながら、私は右足が擦り傷だらけになるのもかまわず、路地を駆け続けた。

 スマートフォンなんて、手元に置き続けたところで、用など為してくれないなんて、とうにわかりきっている。だけど……それを他人の手に渡してしまうことに、私はまだ強い抵抗を感じていた。

 これは、たとえ沈黙しきっていたとしても、現実世界への窓なのだ。

 中には、ミラ様に関する数々の設定も書き付けられている。

 それを手放してしまえば……私はもう、二度と現実世界に戻れないのではないか、そんな予感を強く覚えていた。

 私を背後からじっと見守っていた職員の脇を、一気に駆け抜けて、路地をひたすら走り続ける。

 私は、いったい、どうしたいのだろう。

 外出実習を終わらせて、自分の足で立ちたいのではないのだろうか。

 いつまでも条約機構にぶら下がっているつもりは、もちろんない。でも支部から出ることになってしまえば、今落ち込んだまま眠りについているシセインと離れる事になったり、牢の中のキョウヤの安否もわからなくなったりするのではないか。アリデッドとの関係も切れて、小里咲がこれからどうなるのかも、教えてもらえなくなるのではないか。

 ならば、どうすればいい。どうすることが私を満たし、みんなを幸せにできるのか。

 不安。不安が、この身を濡らす油のように、まとわりつく。走っても走っても、それを振り落とす事ができない。

 いつの間にかすっかり厚くなっていた雲が、しとやかに雨を注がせ始めた。私はあわててブーツを履き、フードを頭にかぶせて、宙に漂いだした水の粒をはね除けながら、さらに駆けた。丘を登る道をたどっていき、その先にそびえ立っていた大きな建物へと飛び込む。

 どうにか屋根の下に入り込み、足を止めて息を整えだしたところで、背後で降り注ぐ雨が勢いを増した。

 そばにあった石碑に手をかけると、そこには『ニュー・アレクサンドリア図書館』と刻まれている。

 駆け上がってきた坂を見下ろすが、あの商人が追いかけてくる気配はない。仮に追いかけてきたとしても、図書館で騒ぎを起こす事だけはしないだろう。

 しばらくここで、雨宿りをさせてもらおう。そう思ってフードを下ろすと、解放された耳が周囲の音を拾い始める。強い雨足にまぎれて、鳥たちが急に飛び立つ音。こんな雨の中なのに空へ向かっていくんだ、そんなことを思っていると、誰かがこちらに歩み寄る靴音が聞こえてきた。

「やあ……」

 それは、私よりも背の低い、だけど重くて美しい声をした少年だった。彼も雨の中をやってきたのだろうか、白いフードを深くかぶっている。どこか親しげに私に声を掛けてきた彼は、次に、どきりとする言葉を投げかけてきた。

「サオリ・ホシミヤ。キミは今……『星渡りの術』を、欲している」

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