4.重すぎる贈り物

 シセインは左の袖の中に右手を差し入れると、そこから短い金属の棒を取り出した。

 眠るときにどうしてそんな重そうな物を服の中に……と一瞬思ったが、彼女は『ポーチ』の魔法を使ったのだ、と一瞬遅れてから気がついた。

 そうか、同じ魔法でも、流派によってやり方が違う……というのは、こういうことでもあるのか。

「初心者でも、扱いやすいはず……だから。これを、使って」

「これも……杖?」

「うん、短杖ロッド。コンパイラとして、人間の言葉をマナの言葉に翻訳してくれる」

 バトントワリングで手にするような長さだけれど、両手で受け取ると、ずしりとした重みと金属の冷たさ。こんな重い物を振り回したら、練習中に怪我人が出てしまいそうだ。

「とりあえずは、握って、そこに生気オーラを送り込むだけでいいから。空間に生気を放出して固定するのは、高等技術だから……それは、私がサポートする」

 言いながら、彼女は部屋の窓を閉ざしていく。室内が薄暗くなったところで、彼女は私の向かいのベッドに腰掛け、両の手のひらを上に向けて見えない球を抱えるように構えた。隙間から射し込むかすかな明かりが、彼女の頬を淡く照らしている。

「この手の上に、杖を向けて……意識を、集中して。距離は九十くらい、かな?」

 その声がいつもより固い。彼女も緊張しているのが感じ取れる。

「呪文、要るの? 難しい?」

「コンパイラを使うから、条約語で、できる。私に続けて、同じように唱えて」

 私はベッドに腰掛けたまま姿勢を正し、神経を張り詰め、耳を澄ませる。

 潮をわずかに含んだ風が穏やかに流れる音、彼女の小さな息づかい、そして鈴を転がすような少女の声が胸の奥にまで届いてくる。

 彼女は短く言葉を紡いでは、私が続けて呪文を唱えるのを待つ。まるで、なだらかな坂道を一歩ずつ進んでは振り返り、私に手を差し伸べてくるように。

 先の景色は見渡せないけど、この坂を登り切るのは難しくない、そう示してくれている情景を胸に思い描く。いったいこの先に、どんな景色が見えてくるのだろう。かすかな潮騒の音に心臓を高鳴らせながら、彼女の後をゆっくりとついていく。

『世界はゼロ。先へ九十。けい三十。私は要求する。光の幻。アクセス。リュミエール・テンプル。ロード。コズマリウム……』

 二人の声が、交互に薄闇の中に響く。やがて、手の内に感じる金属の杖がほのかな熱を帯び始め……シセインの手の上に向けて、周囲の風が集まりだした。

 成功させるんだ。なんとしても成功させて、私も、シセインも、うまくやれる事を確かめるんだ。

 気がつくと、私の肩にそっとミラ様が手を乗せてくれていた。

(大丈夫……いける。私たちは……できる。私はミラ様のお姉さんなんだ……)

 長く続いた呪文の最後は、やはりあの単語で締められる。私たちは思いのたけを込め、それを力強く叫んだ。

「走れ」

「走れ……!」

 高く声をあげた瞬間に、空気が渦を巻いて流れだし、杖の先から力と熱が抜けていく。そして私たちがともに見つめる先、シセインの手の上に、ぼやけた光がともりはじめた。最初は豆粒のようでしかなかったそれは、いびつながらも徐々に膨らんでいき……いつかシセインが見せてくれた、あの淡い青色の球を形作った。

 あの時よりも小さくて、ちょっと歪んでて、あまり澄み切ってもいないけれど……私、これを作ったんだ。

「安定した。もう、大丈夫」

 その声に、腰掛けていたベッドから身を浮かせ、私たちの作品に思い切り顔を近づけて、まじまじとそれを眺め回す。

「できた……できたよ! 私、並の魔力しかないのに。一発じゃない!」

「サオリは……やっぱり、すごいから……」

「違う違う、シセインの教え方がすごいの! アリデッドさんよりも、ずっと!」

 あの時はたぶん、意地悪されていたんだと思うけど、ここは必死にシセインを持ち上げる。

 それにしても不思議だ、私は『星泡コズム』なんてものをまだよく知らないのに、ちゃんと小さな粒が中にたくさん浮いている。

「これ、実際の世界たちを映してるの?」

「うん。リュミエール神殿で観測した情報をここに呼び出していて……あ……」

 一緒に光の球をのぞき込むシセインの顔が、上にはねあがった。彼女が思い至った考えはたぶん、私と同じ……。

「それって、神殿は無事ってこと!」

「うん……うん! よかった……よかったよぉぉ……」

 ぽろぽろと、引き閉じられた目から涙がこぼれ出る。それでも彼女は、両手をそのまま維持し続けて、なんとしても光の球を消すまいと抱え続けていた。私はそっと指を差し伸べ、彼女の代わりにしたたる滴をぬぐい取ってあげる。

 シセインはそのまま、泣き続けていた。私が頬をなぞる手を拒まず、また私の作った幻を壊さないように。指の先から、熱い滴が伝い流れて、袖をじっとり濡らしていく。

 この提案をして、本当によかった。

 胸の内が温もりでいっぱいだ。私たちは……頑張れば、ちゃんとできるんだ。


 かなり長い時間を、そうやって過ごしたと思う。大切な時間は深さを持っていて、実際の時計の針の進みよりもそれを長く感じさせると耳にした事がある。シセインはようやく泣き止むと、私に何度もうなずきかけながら、深く感謝を告げてきた。

 それから私たちは、隣に並んで身体をくっつけ、私たちで作り上げた光の球をそろってのぞき込んでいた。

「綺麗、だよ……」

「シセインには、まだまだ届かないけど」

「そんなこと、ない、よ。私……最初は……」

「今のシセインは、魔法、すごいじゃない。それを受け入れて。シセインは、すごいの!」

 彼女はためらいがちにうなずいて、少しだけ口の端を上げ、うれしそうなはにかみ声を漏らす。

 こんな姿、はじめて見た気がするな……。

「この中のどこかに、私たちがいるんだね」

「うん……かなり下の、端っこの方だけど」

「どれ? 表示とかできる?」

「えっと……呪文」

 言われて、私はまた杖を構えて、球に向ける。そして教えられたとおり「名を示せ」と命じると、球の中にたくさんの光がじわりと湧いて出た。

「これが……世界の名前?」

「うん」

 小さな球の中は文字でごちゃごちゃになってしまったけど、たしかここは『C世界』という名前だったから、短くてわかりやすいはずだ。そう思って球の下の方に現れた文字を探してみるが、それらしき文字が添えられた粒は見当たらない。

「どれ……?」

「えっと。忘れてた。自分が居る世界には、自分の名前が表示される」

 そう言われて探してみるが、星宮とか沙織を示す文字も見つからない。

 代わりに……『シセイン』と読める文字が、球の中央の最下部に見えた。

「これ……? シセイン、って読めるけど?」

「え……?」

 彼女は目をしばたたかせ、球の中を深くのぞき見る。

「あれ……え……それ、もしかして……え……?」

 何度も、何度も、光の粒に添えられた文字をなぞって。そして、ごめん、と告げて両手を合わせて、光の球を押しつぶしてしまった。

 そして袖にまた右手を差し入れて、今度は手のひら大の水晶玉をあわてたそぶりで取り出した。それを両の手ではさみ、いくつかの呪文を唱えだす。

 水晶玉の中に光が宿り、様々な文字が中を流れていく。それらを目で追う、シセインの顔が、どんどん青くなっていくのが見て取れた。

「……どうしよう……」

 そうつぶやいた声が、すくみきっていた。

 私はそっと彼女の肩を抱き、何があったのかを訊ねた。

「私たちの……この星」

「『C世界』よね?」

「『C』は『混沌ケイオス』の頭文字だと、今では言われてる……けど……ずっと昔に、違う名前が、もう一つ、あって……」

 肩の震えが、止まらない。彼女は絞り出すように、言葉を継いだ。

「それが……『シセイン』……」

 水晶玉の中に示された文字が、大きく拡大される。『シセイン』と発音するそのスペルは、たしかにアルファベットの『C』に相当する文字ではじまっていた。

「す、素敵な名前じゃない!」

「……重すぎるよぅ……」

 消え入りたい、そう心から念じる声が室内に響いた。

 両親から与えられた、名前という贈り物。洋館の小里咲さりさにとっては、何よりも大切なひとかけらだった。だけど、今のシセインにとって、それはあまりにも大きすぎたのだ。

 プレッシャーに押し潰されきって、まだ十分な自信を得られていない彼女に、私はさらに重石おもしを載せてしまったのか。

 めそめそと声を上げて泣きだしてしまった彼女に、それ以上かける言葉を、思いつくことができなかった。

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