3.闇の中のシセイン

 部屋に戻ると、シセインは目を覚まし、ベッドに静かに腰掛けていた。

 窓からは爽やかな朝の光が射し込んでいる。それが届かない暗がりの中で、うつむいたまま、じっと何かを考え込んでいた。

「おはよう、よく眠れた?」

 声を掛けると、かすれて沈みきった返事が返ってくる。

「……まだ、疲れてる?」

 音もなく、左右に振られる首。かすかに潤んでいた瞳が、ほのかな光をきらめかせた。

「悪い夢……見て」

 今朝はたしかにうなされていたな……そんな事を思いながら、彼女の隣に腰掛ける。こんな時、その夢の内容は聞かない方がいいのだろうか。私はそっと、肩を彼女に触れさせた。

「大丈夫……もう、夜は明けたよ」

「でも……」

 涙ににじんだ声が、漏れた。彼女の悩みを深くえぐるような、ひどい悪夢を見せられたのか。

 そのまま、彼女に私の体温を与えながら、じっくり言葉を待つ。

「……私、ね」

 ぽつぽつと、シセインが言葉を紡ぎ始めた。あせらず、ゆっくりと頷いて、先を促してあげる。

「街を、出た時の……ゴブリンと戦った時も。アリデッドさんの、手当ての時も。館の中でも。まるで役に立てなかったなぁ、って」

 言いながら、声と頭をどんどん低くさせていく。そして、いつもの彼女の口癖が出る。

「私、ダメだなぁ」

「そうは思わないよ」

 全否定にはならないよう、一拍おいてから、告げる。

「光を照らす魔法、すごく助かったし。アリデッドさんも死なずにすんで、サリサちゃんのために動けてたし。それに、私の剣に魔法をくれたのもシセインでしょ? とても役に立ってた。ダメなんかじゃないよ」

「でも、でも……」

 彼女はなぜだか、自分を否定することにかけてはひどく意固地になってしまう。その目元に、鋭く光る涙がたたえられていた。

「私は……神殿から、逃がされた」

 悪夢の核心は、そこなのだろう。肩を震わせ、小さく嗚咽を漏らしはじめる。

「私……戦力にならないから。秘術を届ける役にまわされて。神殿は……神殿は、きっと、もう……」

 皇国軍というのが、どれだけの非情さを持ち合わせているのかは知らない。だけど、秘術はもうここにはありません、と明かしたところで、攻撃の手を緩めるお人好しではないだろう。神殿はきっと攻め落とされたか、降伏することになって……中の人たちはどうなってしまったのだろう……今の私たちに、知る術はない。

 いつもの、大丈夫、という言葉も、このときばかりは掛けようがない。私たちの力も、ミラ様の力も、及びようがないのだ。ただ……無事を祈ることしかできない。

「私、神官長の娘なのに……できないことばかりで……本当に頑張らなくちゃいけなかったときに……何もできなくて……。私……私、ホントに……」

 こらえきれず泣きはじめた彼女を、私は胸で抱き留める。

 彼女の半生のこと、想像がつく。高貴な立場に生まれついたために、大きな期待とともに、厳しい教育を施されてきたのだろう。でも、その期待に応えきれず、お前はダメだと言われ続けて……その結果、自分を肯定することができなくなってしまった。

 なにをやっても、ダメだと言われる。そんないじめを、私も受けたことがある。それはいともたやすく、人の心の根をへし折る。そうなってしまうと、新しく何かをやってみようと試みた瞬間に、その体験が思い起こされてしまい、踏み出そうとした足がすくんでしまうのだ。

『お前、過去に怯えてんな?』

 洋館で出会ったあの化け物の言葉、憎たらしいけど、本当なのだろう。

 私も一時期は、自分にまるで自信を持てなかった。何をやってもダメだと言われるんじゃないかって、怯えて、何もできなかったことがある。

 だけど……私は、ミラ様に出会った。

 もう一人の私、ミラヴェル・カオリ・ホシミヤ様は、いくつもの辛い試練に頑張って挑んで、護天星騎士という素晴らしい存在になることができた。

 そのことを知って、双子の自分にも同じ力が眠っているはずと念じたら、何にでも挑めるようになれた。

 今、私の胸を濡らしているシセインに、ミラ様を分けてあげることは難しい。だけど……この涙に暮れる少女を、私はなんとしても救ってあげたい。

 彼女が自信を手にするために、何が必要なのか。私に、何ができるのか。

「……そうか」

 思わず、つぶやく。そして、今朝の夢の中で会ったフミちゃんに、小さく感謝の言葉をつぶやく。

「ねえ、シセイン」

 彼女はしばらく頭を上下させながら涙を飲み込み、そろそろと私の顔を見上げてくる。

 その目を真っ直ぐ見据えて、私は告げた。

「魔法……教えて! 簡単なのでいい、シセインが教えやすいヤツ!」

(教えることで、教える側にも、実力と自信がもたらされるの)

 フミちゃんは、確かにそう言った。ならば、シセインから魔法を学んで、私がしっかり身につければ……シセインに自信がついて、私も魔法を使えるようになる! 一石二鳥!

 それに……私自身、自分をなんとかしないといけない、って気持ちは強くあった。

 地下道で鍵を開けた時も、洋館で化け物を倒した時も、完全な自分の実力不足を、ミラ様の奇跡で助けてもらったのだ。

「……私も、しっかりした人になりたい。シセインに、シセインはダメじゃないとわかって欲しい。だから……お願い」

 私の言葉の意味を、彼女は時間をかけて飲み込んで、それから深く、ゆっくりと頷いた。

「沙織が……望むなら」

 そして口元に手を当てて、長い時間を掛けて悩み始める。

「『幻灯げんとう』を……呼び出すだけのコードなら……」

「げんとう?」

「あ、えっと。前にお見せした、多元宇宙を可視化したモデルを人に見せる……」

 うわ、一度見てるからイメージはできるけど、その中身をまるで理解してないから、ちゃんとできるのか、すごい不安だ。

「大丈夫……沙織なら、きっと」

 はにかむ笑みで向けられるその確信が、私にすごいプレッシャーを与えてくる。

 大丈夫……だよね、ミラ様……?

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