7.第一のアンロック
自室に戻ると、シセインはまだ横になっていた。
しかしとうに目は覚ましていたようで、私がドアを開けると、ゆっくり掛布をめくって顔を出す。
「おかえり……」
その声に元気は欠片も感じられないけど、よかった、私に対して怒ったり不機嫌になったりしている様子はない。
「ただいま。外出実習、クリアしてきたよ」
それに彼女は、力なく、おめでとう、と返してくる。
「……まだ落ち込んでる?」
「……いつもの、ことだけど……」
言って、横になったまま首をすくめる。
「ねえ、さっき言い忘れていた事があるの」
隣のベッドに腰掛けて、彼女の目を真っ直ぐに見据えてあげる。彼女はちょっとだけ目をそらしてから、また私の方へ視線を戻してくる。
「シセインはね。戦力にならないから神殿のおつかいに出されたワケじゃない」
これは嘘でもおだてでも、素人の勝手な推測でもない。
「神殿のみんなは、その秘術を渡したくなかった。それと同じぐらい、シセインだけは敵の手に渡したくなかった。だから、シセインを神殿の外に出したのよ」
彼女の目が、開かれたまま大きくなる。私はさらに言葉を継ぐ。
「それに、敵が狙ってる神殿の秘術なんて大切なモノ、実力も信頼もない人に持たせるわけ、ないでしょう?」
その言葉に、彼女は口を開けて声を漏らした。
「あなたは、大切にされ、信頼されてるの。そして、全てを託されたの。秘術だけじゃない、神殿の命運、みんなの命、それから……その秘術を、どのように扱うのかまで」
「で、でも……」
「重いよね、それ。でも、シセインはちゃんと条約機構に届ける事ができた」
条約に届いたときの経緯がちょっと情けない事は、ここでは言わないことにしておく。彼女にもそれを思い出させないよう、言葉を続ける。
「シセインは、ちゃんとできるの。本当はすごいの。すごいけど、もっとすごくなってほしいから、周りが厳しく言うだけなの」
灰色の瞳が、潤みはじめている。女の子を泣かすなんて、私の主義に反するけれど、こういうときだけは別だ。
「だから、ね……信じよう。シセインはすごい、って」
ベッドから前に進み出て、床に膝をつき、彼女が掛布を強く握りしめる手に、私の手を添える。
「私は、信じてる。シセインは、すごい」
手が強く握り返される。彼女はぐっと目を閉じ、またしても涙を流し始めた。
正直に言うと、罪悪感で胸がいっぱいだ。今日だけですでに何度も涙を流している彼女をまた泣かせ、そしてこれから利用しようというのだ。
「私は……サオリに、なにも……」
「いっぱい、くれたよ。シセインがいたから、私はあの街から外に逃げられたし、地下道を進む勇気も出せた。それに、シセインの素敵なところ、私はいっぱい見つけてる。そんな風にならなくちゃと思ってるし、いっぱい勉強していくよ」
私の手に、彼女の額が押しつけられる。そのぬくもりを感じ取りながら、私は穏やかな笑みを浮かべているつもりで……でもたぶん、
そのまましばらく、私は彼女が泣き止むのを待った。
すぐに切り出したら、私は本当に悪人になってしまう。もう遅いのかもしれないけれど、それだけは避けたいと密かに願う。
「サオリ……」
小さく息をのんで、彼女は何かを決意したのか、声を掛けてくる。
そして、ゆっくりとベッドの上に身を起こし、私の前で横座りになる。
「ホントは……とても、いけないこと……なんだけど」
ぼそぼそと、小さく声をこぼしながら、彼女は身にまとっていたローブの胸元に手を差し入れた。
その領域を広げた白い肌が、目に飛び込んでくる。
「サオリが……望むなら……」
息がやけに熱を帯びている。紅潮しはじめた頬の上で、小さな目がきゅっと引き閉じられた。
しまった。やり過ぎて、いけない領域に踏み込ませてしまったか。
そう思って上半身をのけぞらせていると、彼女は胸元から小さな紙の束を取り出した。
「これを……サオリのために、使いたい」
紙幣、という可能性も一瞬頭をよぎったが、それも違う。彼女が胸の内の、たぶん隠しポケットから取り出したのは、手書きで何かを記したメモだった。
「それは……」
「……神殿の秘術。星渡りの儀式を、完全にするための。もしかしたら、サオリのためになるかと……こっそり、書き写して……」
彼女はその目を、じっとつむらせたままだ。
おそらく彼女は、今、心の中でおそろしい罪悪感と戦っているのだろう。
こんな性格だ、親とか周囲に逆らったり、悪い事をした経験に乏しい事が想像できる。
育てられた神殿が、戦争に巻き込まれてもなお、人手に渡そうとしなかったモノ。それを、自分の感情のために差し出そうとしている。
彼女はメモを宙に差し出したまま、凍り付いたように動きを止めながら、かすかにその身を震わせる。
その心臓の高鳴りが、私の胸にも伝わってくる。
これは、私がまさに彼女に求めようとしていたモノだ。そのまま受け取れば、それで目的は果たされる。
しかし……差し伸べようとしている私の手も、彼女と同じように震えはじめ、思うように動いてくれようとしない。
(私は、それでいいのだろうか)
胸の内で、声が聞こえる。
(彼女は、それでいいのだろうか)
小さく息を吸い、かろうじて動く口を閉ざし。そしてまた開いて、告げる。
「……いいの?」
「サオリは……優しい言葉、くれた。いっぱい、親切にして、くれた。私を、はじめて、認めてくれた。だから……恩返し、したい」
胸が、揺らぐ。
小学生の時の私が、そんな気持ちだったことを思い出したからだ。
誰もいじめを助けてくれなくて、周囲が敵だらけになっていって、何も信用できなくなっていたあの頃。
転校した先で、最初に声を掛けてくれたのがフミだった。
フミは優しい言葉をくれて、いっぱい親切にしてくれて、そして私を認めてくれた。
そんなフミを、私はなかなか信じる事ができなかった。この子も、いじめっ子たちのように、親しげに近づいてから裏切って、からかうつもりなんじゃないかと、怯えていた。
その時……ミラ様の声を聞いたんだ。勇気を出して、と。
私はその言葉を信じて、フミに少しずつ近づいていって……今では、一番の親友になっている。異世界に来てまで夢に見てしまうほどに。
だから、私はフミと、アドバイスをくれたミラ様に深く感謝している。フミや、ミラ様が何かを望んでいたり、危機に陥っていたなら、なんとしてでも力になりたい。
その、力になりたいという気持ち……私なら、拒まれたくない。
それなのに、私たちは鎖に縛り付けられたように動けない。そうさせている考えに、鍵が……アンロックが必要だ。
「ねえ、聞いて」
嘘も、小細工も、結論を導くための理屈なんてモノも、今の私には生み出せない。だから、思いついた言葉をそのまま口にする。
「神殿のみんなは、秘術をシセインに託した。たぶん条約機構は、それを大切にしまっておくと思う。勝手に使われる事がないように」
この話の結論が、拒絶になる事を恐れているのだろう、シセインの震えが大きくなる。私も、そうだ。うまくお互いを納得させられる言葉が自分の口から出てくれるのか。だから私は、背中に当てられたミラ様の手を意識しつつ、先に結論の言葉を継ぐ。
「だけど、シセインはそれを、私に使って欲しいと願っている。私は、そう考える事、正しいと思う」
ここから先は、
「あげたモノ、託したモノは、ずっとしまっておかれるよりも、必要なときに大切に使って欲しいよね。たぶん、その秘術を作った人も、シセインにそれを託した神殿の人も、同じ気持ちのはず。だから……シセインがくれると決めた贈り物、私、受け取って、大切に使わせてもらうね」
告げたところで、シセインが薄くその目を開いた。その目から、滴がにじんで、こぼれだしている。
私の腕も、ようやく動き始めた。そう、この言葉は、私たちを縛り付けていた鎖をうまく外せるアンロックになれたんだ。
その時、不意に、カルルッカの地下室で出会った老人の言葉が頭の中に響いてきた。
『ひとつ、古代より伝えられし秘術と遺産』
それがこの世界を縛り付けている鎖なら。私はそれにこう告げる。
『伝えられたモノは、しまい続けるためじゃなく、正しく使ってあげなくちゃ』
これは、私のアンロックだ。
シセインの差し出す宝物を、私は両の手を添えて受け取り、胸にあてる。
長く空気に触れていたけど、それはシセインの体熱をまだ失っていない。そのぬくもりを受け止めながら、私は目を閉ざし、心からありがとうの言葉を告げた。
シセインが、小さく笑みを浮かべる音が耳に聞こえる。
「あとは……儀式の……」
「そこは任せて、アテがあるの」
そっと目を開くと、やや驚いた表情の彼女が軽く首をかしげていた。
「それから……私と、キョウヤを一緒に送って欲しいの。現実世界に。エネルギー、足りそう?」
「えっと……」
口元に手を当てる彼女に、私は小袋から黒い箱を取り出し、彼女に差し出す。
「私からは代わりに……これを、託すから。お願い……」
彼女もまた、それを両手で丁寧に受け取って、私の真似をして胸に押し
「うん……これなら、大丈夫。頑張って……みるね」
言って、浮かべた笑みに、もう不安やためらいは見られなかった。
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