5.剣を抜く覚悟
「よくうまれてきてくれた」
「なまえ……どうしましょう? ずいぶんながく、かんがえてきたけど……」
「そうだな……いっそ、あたらしくかんがえよう」
「……いろいろ、なくしちゃったわね。いえも、ちいさくなっちゃった。でも、わたしたちのもとにきてくれた……」
「そうだな。それなら、このこのなまえは……」
ボロをまといながらも、優しそうな笑みを浮かべる夫婦。その腕の中に抱かれた赤ちゃんを……その化け物の口が、無残に噛み砕く!
「やめて!」
思わず強く叫んだ声に、ヤツはわざとらしく大きな笑み声を返した。
「フハハ……あせるなよ。お前らのその心の痛みも、あとでじっくり喰らってやるからよ」
赤ちゃんが描かれていた絵は、むごたらしく割られて、宿らせていた光を散らしていく。それをぞんざいにつかんだまま、化け物は私たちをじろりと見渡した。
「ほほぅ……?」
べとついた舌でなめるように、ひとあたり眺め回して。ヤツは私たち一人一人を指さしながら、言葉をかけてくる。
「光ってるお前、過去に怯えてんな?」
指さされ、シセインが「ひっ」と鋭い悲鳴を上げる。
「前に出てるお前、過去をひどく悔いている」
今度はキョウヤ。ぐっと奥歯を噛みしめるのが指先から伝わってきた。
「どっちもうまそうだ。そんで、間ですがってるお前……」
両手で二人をつないでいる、私の事だろうか。ヤツはひどく残念な食べ物を見る目を向けてきた。
「過去を無理に消して、書き換えてんな?
吐き捨てるように告げるだけ告げて、こちらから視線をそらし、手に持った絵を口元へ運ぶ。
「俺はこの子の記憶を喰うので忙しいんだ。お前らの相手はしてらんねえよ。ああ、
そして背を向けたまま、大きな口を開けて残された絵を……。
もう、黙って見ていられなかった。
「ごめん」
告げるなり、私は両手を二人から離して、地を蹴った。
走るんだ。走って、こんな時こそ……。
左の腰に吊った剣を、手で探ってつかみ、つっかえさせながら抜き放つ!
(剣を抜く覚悟だ!)
「いけない、さがれ!」
不意に飛んできた声に、足を強く前に踏んで、とどまる。
その瞬間に、私の右の肩を、黒い影が貫いた。
背を向けた化け物が、その尻尾の先をとがらせて、こちらに突き出してきたのだ。それに一瞬遅れて気がついた。
影の尻尾が、私の右の肩当てから引き抜かれる。肩に痛みは感じないが……頭に上り切っていたはずの血の気が、一気に引いていく。
(アリデッドさんの声がなければ、傷を負っていた……!)
声のした方に、シセインの光が向けられる。化け物のすぐ脇の床に、アリデッドが倒れ伏していた。その脇腹には、新しく作られた血だまり。
「挑発に乗るな、サオリ君……!」
苦しそうに、しかし、強く声をかけてくる。その額に大量の汗がにじんでいる。
「ハッハッハァ、あと一歩踏み込んでればな、残念だなぁ!」
あざ笑うその声が、私の頭の中で何かと重なった。
(おら、かかってこいよ、そら!)
幼い私をいじめ、口々にからかう記憶の中のいじめっ子たち。
(……負けたくない)
ここで引きたくはない。私はもう、剣を抜いてしまったのだ。ならば……相手を倒すまで、それを収めてはならない!
今まで私は、暴力を拒み続けてきた。相手に暴力を与えれば、相手はかつての私のように痛がり、悲しむことになる。それが結局、私を苦しめる事になる。
だけど……今だけは、この化け物に対してだけは、容赦なく剣を振り下ろさねばならない。
剣の持ち方なんて、まともに想像した事もなかった。振るとか突くとか、扱いも作法も、知るわけがない。テニスラケットとは、重さも、重心も、振り方も違う。
だけど、必死だった。今、戦わなければ、目の前で小さな子どもが辛い目に遭う。その思いが、私の身体を突き動かした。
怒りの任せるままに剣を強く握り、飛び込んだ勢いとともに振り下ろす。
ずしゃり。油を吸った砂を叩いたような手応え。あまりに重い反動に負けて、剣を握り込んだ指の股に強い痛みが返ってくる。
「ぐえぁぁぁ!」
化け物が、痛がっている。胸にちくりとトゲが刺さる感触を振り払い、剣を引き抜く。指の股が訴える痛みに、もう一度は耐えられそうにない……ならばと、剣を逆手に握り直し、黒い身体に突き立てる!
湿りきった砂にシャベルを突き立てたような、重い感触。今度は小指の側面に激痛、剣の柄からの反動を受けたんだ。
これで化け物は反省しただろうか、非道をやめてくれるだろうか……そんな思いが脳をよぎったのが、私の甘さなのだろう。
化け物はこちらを振り向き……殺意に満ちた、ギラついた目を向けてきた。
その途端に、私の足が、膝が、腰が、胸が、震え始めた。心臓までが激しく震え、口元が開いたままなのに声も出せない。
化け物が、言葉にならない怒りの声を吠え立てる。
(私は、勝てないのか)
あの時のように。
みじめに泣きながら、打ちひしがれるしかないのか。
「大丈夫……!」
その手を、震えるこの手を、握ってくださる温かな感触。
「しっかり足を踏んで」
よくなじむ柔らかさと、頼もしい力強さ。
私の背中を抱きながら、あのお方が……護天星騎士ミラヴェル様が、剣を握る手を包んでくれている。
「ミラ様……!」
息をのみながら、声を上げた、その瞬間。私の脇に、もう一つの影が飛び込んできた。
キョウヤだ!
両手に握り込んだ剣を、化け物に押し込んでいる。
「ブースト……!」
背後から、今度はシセインの声が響いた。その瞬間に、私の剣に光が宿りだす。
「さあ、押し込んで」
ミラ様の言葉に頷く代わりに、足で床を強く踏みしめて剣をねじ込む。
右手が再び痛みを訴えだしたが、ミラ様の手が淡く光ると、それがすぐに消えていく。
「おのれぇぇぇ!」
ヤツの尻尾が飛んできた。とっさに横に身をよじって、かわす。攻撃がかすめた脇腹に、鋭い痛みが走って、マントを深く貫かれたが……それが、なんだ!
私は、さらに剣をねじ込む。効率も見た目も、みんなうち捨てて、ただ目の前の化け物をえぐる。
目の前に立ちはだかっていた影の塊が、悲鳴と呪いの言葉を吐きながら、その姿を小さくすぼませていく。そして泥水が排水溝に流れ出すように、床の小さな穴の中へヤツの身体が吸い込まれ……私たちの前から、姿を消した。
突き立てる相手を失った、私たちの剣先が床を突く。二本の剣は、ともに主の手から滑り出て、あらぬ方へと飛んでいった。私たちは同時にバランスを崩して、折り重なるように床の上へと転がった。
「あいた……!」
キョウヤの上に倒れ込んだ私は、あわてて床に手を突き、どうにか上体を起こす。キョウヤが苦しげにうめいていて申し訳ないけど、動ける私が今、確認すべきは……。
「倒した?」
急いで辺りを見回してみる。あたりの床には廃油のような黒い液体が散っているけど、それが動き出す気配はない。
「まだだ! ヤツの本体が、どこかに!」
アリデッドが伏したまま、叫ぶ。シセインが周囲を光で照らしてくれるので、私はそれを追いながら、部屋の中を順に見渡していく。
古びた木の板は目の前で赤いカーペットに変わり、壁もきれいな純白に変わる。そこから先は洋館のリビングだ。赤いソファが据えられて、応接用の低いテーブル、その奥に大きな機械時計、隣のダイニングへの入り口があって……。
「お姉ちゃん、時計……!」
また、ミラ様の声が聞こえた。
「時計……?」
シセインのライトが、大時計を再度照らした。その装飾の隙間から、黒い泥のようなモノがわずかにはみ出て、うごめいている!
私は駆けながら剣を拾い上げ、再び逆手に構えて飛びかかる。
「ブースト……!」
再びのシセインのかけ声とともに、剣が光を帯びる。剣を握る手に、ミラ様の手が添えられる。その切っ先が、時計盤に真っ直ぐ、突き立てられた。
耳をつんざく、化け物の絶叫。
それとともに、時計の鐘が鳴り出した。ひび割れ、狂った音をたてて、何度も、何度も。
それとともに、辺りの景色が溶けながら渦を巻き、空間、時間、私の意識すらも巻き込んでいく。
あたりが一瞬だけ闇に包まれ……そして気がつくと、私たちは淡い光の中に戻ってきていた。
リビングの壁のランプの灯が、私たちを照らし出している。
私は片膝を突いた姿勢で、剣先を大時計に突き立てていた。時計は内部の機構を破壊され、一度だけカチリと音を立てたきり、完全に動きを止めてしまっていた。
化け物の気配は、もう感じられない。その代わりに……背後から、あの少女がすすり泣く声が聞こえてくる。
「もう……パパとママが、帰る時間が、来ない……」
館に残された少女の、涙ににじんだ声が、私の耳に辛く響いた。
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