4.記憶たちの彩画

 私が道を決め、キョウヤが先にドアを開く。

 そうして部屋をいくつか抜けると、やがて四度目の玄関ホールの二階に出た。

 ドアを開けた正面、吹き抜けを挟んだ向かい側に、あの少女の影が見える。

「いた……!」

 彼女はなんだかおびえた表情で、半開きのドアの陰から、玄関の方をのぞき込んでいた。

「あれは……!」

 キョウヤが声を上げ、少女と同じように玄関へ目を向ける。

 その先に、二つの人影が見えた。身なりの良い大柄な男と、もう一人……灰色のローブをまとい、灰色のフードを深くかぶった少年。その顔つきはフードに隠されてよく見えないが、口元が妙に歪んだ笑みをしている。

「これは、まだ一部でしかないね?」

 ねっとりとした、どこか責めるような少年の声が、その口から走り出た。

 ローブからわずかにのぞかせた白い手には、小さな手帳のようなものが収められている。

「喚び出すだけなら、十分なはずだ!」

 大きな男の方が、腰を低くして必死に弁明する。そして拝み倒すような言葉を継ぐ。

「それで精一杯だったんだ……頼む、もうこれ以上は……!」

 それに少年は、さらに冷たく、刺すように告げる。

「……残りの在処ありかは?」

 これは本当に、あんな小さな子どもが出せる声なのか?

「……リュミエール神殿が、『秘術』として隠している」

 私のすぐ隣で、息をのむ声が聞こえた。そうだ、シセインの神殿の名前を、この人たちは口にしたんだ。

「そうか……。まぁ……いいさ」

 言い捨てて、少年は男に背を向ける。

「どうか……どうか、この話は……」

「ああ。誰にも漏らしはしないさ。もちろん……」

 重い扉に手をかけながら、少年が振り返る。その瞬間に、フードの隙間から鋭い金色の瞳が光って見えた気がした。

「ボクのことも、キミは誰にもしゃべれはしない」

 ぞっとするような言葉を残し、少年は扉の外へと消えた。

 それと同時に、見送る男の姿も、そして階段の上からのぞき見る少女の影も、薄らいで消えていく。

「アイツは、ここに来ていたのか……」

 キョウヤが歯がみするようなつぶやきをもらした。

「知ってる人なの……?」

「ああ……。アイツが俺に、現実世界へ戻る魔法を使わせた」

「それって……」

「……沙織を喚んでしまった、おそらくは元凶だ」

 言いながら、階段の上に立って彼の居た場所をじっと見下ろす。

 さっきの少年、灰色のフードに隠れて特徴とかよく見えなかったな……。

 それよりも、だ。私たちが目にしたものは……。

「これも、あの少女の、えっと……」

「記憶、だろう。おそらく、今の男が父親で……その父親がおびえる姿を、目に焼き付けてしまったんだ」

 幼い少女にとって、それは衝撃的な光景だったことだろう。その場面が、幻として示されたわけだ。

 少年が消えた玄関を、キョウヤはなおも見つめ続ける。なんだかとても、怖い目つきをしていた。

「……追うの?」

「いや、無駄だろう。ここが少女の迷宮ならば、アイツを追う事に意味はない。それより……」

 言って、少女がホールをのぞき込んでいたドアに目を向ける。半開きのままのドアの先には、暗がりが顔をのぞかせている。もしも闇というものに意思があるなら、それは私たちを誘っているようにも見える。

「彼女の方を、追おう」

 私が同意すると、シセインも少し遅れてから、ためらいがちにうなずいた。


 ドアの先は、長く、少し広めの廊下になっていた。

 他の場所と違って、ここのランプたちはほんのわずかしか明かりを発していない。かろうじて歩みを進める事はできるが……なにかが潜んでいそうな、そんな予感すら覚えてしまう。

 キョウヤが先頭に立ち、歩みを進めていく。薄闇の中で、カーペットを踏む三人の足音が、辺りに響く。

 その先に、不意に明かりが射した。

 前方の壁に掛けられた額の絵から光があふれて、それが真っ直ぐ床の上に降り注ぐ。最初は映画館のスクリーンを思い起こしたが、それは明らかに違う性質のものだとわかった……床の四角い光の中から、淡く輝く立体の像が立ち上がったからだ。

「お仕事がうまくいって、森の中の大きなお屋敷で、暮らす事ができるようになった」

 あの少女の声だ。輝く像は、床にぺたんと座り込む彼女の姿に結ばれる。

「でも……パパもママも、帰ってきてくれない。外にも出させてくれない。私はいつも、お留守番ばかり。誰も、訪ねてくる人はいない……」

 寂しそうな声が胸を打つ。彼女の孤独が、私の心の中にも入り込んでくる。

 少女の像は、抱えていたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、その手を目元にあてがった。

「……小さいおうちでいいから、一緒に居てほしかったな……」

 涙ににじんだ声だけを残して、壁の絵画から射す光が絶える。少女の像も、光の粒になって宙に浮かびながら消えていく。

「これも、少女の記憶と心象だろう」

「ひとりぼっち……寂しい、よね」

 二人の言葉に、私も声を上げながら深くうなずく。

 孤独は人の心を確実にむしばむ。その辛さ、悲しさ、私にもよくわかる。

「……前に進もう」

 思わず足を止めていた私たちを、キョウヤが促す。

 せっかく暗がりに慣れた目が、今の映像でまた深い闇を覚える。

 ここで離ればなれにはなりたくない。

「腕、いい?」

 断りを入れて、私はそっとキョウヤの腕を確かめ、その服の端をつかんだ。

 彼はそれを拒みもしない。小さくうなずく声を出して、そろそろと前に進み始めた。

 シセインは相変わらず、私の腕にしがみついたままだ。

 そのまましばらく三人で歩いて、ようやくみんなの歩調がかみ合ってきたところで、キョウヤが声を上げた。

「床が変わった」

 段差に気をつけて、との声に、探りながらそろりと足を進める。気をつけて、と言うほどの段差は感じられなかったが、床からカーペットがなくなり、古びた木の板の感触を靴の裏に覚える。

 その時、次の絵画が光を放った。

「パパもママも、お仕事で忙しい」

 光が照らした床は、ボロボロに朽ちて小さな穴が開いていた。その上に座り、膝を抱える少女は、ドレスではなく、みすぼらしい服を一枚だけまとっている。距離がうまくつかめないが、身体も一回り小さく、そして痩せこけて見える。

「私の病気を治すために、借金がたくさんできたから。親戚のみんなも近づいてくれない。もう誰も、私と遊んでくれないのかな……」

 膝を抱えて、顔をそのなかにうずめて、すすり泣く。

 そこで光はまた消えた。

「この館に移り住む前、か」

 キョウヤがいつものように、冷静な分析を口にする。

「どうやら、前に進む度に古い記憶を見せられるようだ」

 そんな事よりも、私は彼女の境遇の方が気になって仕方がなかった。病気の治療、借金、深まる孤独……。彼女はいったい、どれだけの闇を抱えているのだろう。

 そんな不安に反して、次に目の前に現れた像は輝きに満ちていた。

「星の神殿で、治療を受けられる、って。私の病気は、きっと治る、って。パパとママが頑張ってくれたおかげ。私はまだ、生きられる。パパとママと、もっと一緒に居られるんだ……!」

 満面の笑みを浮かべる、さらに幼い姿の少女。

 よかった、これは良い記憶なんだ。そう思って胸をなで下ろした瞬間に、私の左腕がきゅっと引き寄せられた。

「星の……リュミエール神殿……」

 ……そうか。話に出ていたのは、シセインの神殿のことだったんだ。そこで治療を受けて、命は助かったけど、借金が残って……。

 その返済に追われて、両親が彼女から離れて行ってしまったのだとしたら、なんと残酷な運命だろう。

「シセインは悪くない……」

 言って聞かせながら、キョウヤを指先でせかして、前に進ませる。

 次に見えてきたのは、やはり、病の苦しみと、死への恐怖におびえる少女だった。

「ほら……神殿は、あの子を救う事ができたのよ。だから、責任ばかり感じる必要はないの」

 言って聞かせても、彼女は自信なさそうにうなずくだけだ。その頭をしっかりなでてやりたいが、くそう、右手をキョウヤからは離したくない。

「わたしのびょうきで、おうちがどんどん、びんぼうになる。たべるものまで、きりつめないと、って」

 両親の会話を耳にしてしまった、少女の嘆き。

 幼い子が、自分が重荷になっているとさとった瞬間だなんて、さぞかし辛い記憶に違いない。

 さらに歩みを進めると、次に現れた像はかなりおぼろげになっていた。もはや記憶もあやふやな、生まれて間もない頃の思い出に違いない。

「あのとけいは、わたしがうまれたきねん。しんせきのみんなが、おいわいにくれたって」

 像はすぐに粒となって消えるが、その中に見えた時計が秒針を刻む音だけがあとに残った。

「光の向こうに、かすかにソファが見えた。たぶん、この先にリビングがある」

 キョウヤの言葉がたしかなら、もしかするとアリデッドがそこに横たわっているかもしれない。

 彼の寝息でも聞こえないかと、闇の中に耳を澄ませてみる。すると、何だろう、時計の音に混じって、なにかを咀嚼するような音がする。

「ダイニングも近い?」

「かもしれない。だが……気をつけて、何か居る」

 キョウヤが足下をしかと踏むのが、音と気配から感じられた。

 その時、シセインの小さな声が聞こえだした。意味を聞き取れない、だけど涼やかなその言葉の連なりは……。

「走れ」

 声とともに、彼女の空いた左手の中に、清らかに輝く魔法の光が生み出される。

 その明かりが照らし出した先で……私たちは、おぞましいものを目にしてしまった。

 まるまると太った、漆黒の影。人間じゃない、動物でもない、油を詰めたゴミ袋のような得体の知れないナニカだ。落ちくぼんだ二つの穴の中に、光を鈍く反射させる瞳が座っている。そして、大きく開かれた口が……壁からはぎとった絵を、額縁ごと、むさぼり食っていた。

「おおう……まぶしいなぁ」

 その化け物は腕を目元にあてがって、粘っこい声を上げてきた。

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