2.小さな晩餐
純白のクロスが敷かれた、大きなテーブル。そこに据えられた燭台のロウソクに、少女は椅子の上から身を乗り出し、ひとつずつ火をともしていく。ほのかな明かりは、食卓に食べ物など何一つ載せられていないことを明らかにしていく。
彼女は、長い棒の先に小さな火を生む魔導具を、もとあった位置に丁寧に置いてから、今度は台所の方へ姿を消す。
私たちはその一挙手一投足を、固唾を飲みながら見守り続けた。
少女はやがて、大きなバスケットを抱えて持ってきた。背伸びしてテーブルに載せると、その中には小さな丸いパンがひとつだけ。
そしてパン切りナイフというのだろうか、波型の刃を持ったナイフを取り出して、硬くなったパンにあてがい、両断しようと必死の力を手に込めはじめる。
「沙織……」
キョウヤに促され、私はそっとうなずいて、彼女のもとへ歩み寄る。
「手伝うね」
言って、少女の小さな手に私の手を重ね、ナイフを前後に動かしてパンを削るように切り分けていく。
自分の力とやり方ではいけないと察したのだろう、彼女はそっと手を引いて、私の作業を見つめはじめた。
芯まですっかり硬く乾いたパンを、まずはひと切れ、切り落とした。少女が最初に刃を当てた位置と角度の都合により、ちょっと大きめになってしまったが……それを少女の手に渡す。
「はい」
「……ありがとう……」
「どういたしまして。……私たちも、いただいていいの?」
うなずきがかえってくるが、残りのパンを私たちで食べてしまったら、明日からこの子はどうするのだろう?
彼女の顔をじっと見つめる。細くなめらかな眉は、困窮した様子を見せてはいない。薄く開かれたままの口も、上手くものを言うことはできないでいるが、不平を告げたいわけではなさそうだ。
(大丈夫……なんだよね)
まだいくらかのパンか、他の食べ物が備蓄してあることを信じて……私はまた、目の前のパンの切り分けに取りかかった。
少し小さいのをシセイン、大きくなってしまったのをキョウヤ、中くらいのを私がいただいて……残りをアリデッドに取っておき、私たちはテーブルの周りの席に行儀良く座る。
「じゃあ……いただきます」
「いたださきます」
「イ、イタダキマス?」
シセインにはちょっと伝わりにくかったようだけど、客人が一斉に食前の挨拶を述べたところで、この
私たちはそれから、硬くなりきったパンと格闘をはじめた。顎がしっかり鍛えられそうな歯ごたえ、うすくカビの風味を覚える味付け。唾液がどうしても足りなくて、水が欲しくなる。
皆、黙々と食事をしていた。文句だなんて言えないし、会話を弾ませる余裕もない。
燭台のちびたロウソクが、ジジ、と音を立てはじめる。短くなりすぎて、周囲の装飾に熱を与えだしたんだ。
その時、リビングの大時計が鐘を七回、響かせた。
少女がぴくりと顔を上げた。そして七回ぶんの音を余韻まで聞き届けたあと、それまで丁寧に両手でつかんでいたパンを放り出し……跳ねるように席を立って、駆け出した。
「帰ってくる、時間……!」
彼女は真っ直ぐに、玄関ホールへ向かっていく。
この子の保護者が、七時に帰宅する、そう彼女に教えていたのだろう。
ならば、私たちも出迎えて、挨拶をしておかなくては。みんな食事を中断し、彼女の後を追って玄関ホールへ向かう。
少女は玄関ホールの中央の床にぺたりと座り込み、正面の重くて大きな扉をじっと見据えている。
私たちはその背後に並んで立つと、気をもみながらその様子を見守り続けた。
遠くで、大時計が小刻みに秒針を進める音だけが、かすかに聞こえる。
どのくらい時間が経っただろう。
玄関を凝視していた彼女の顔が、じわりと沈みだした。
淡い水色の髪は、なんだか、はかなさ、さびしさ、かなしさを連想させる。肩から胸元に流れた先端が、なんだか涙に濡れているようにも見えた。
今思えば、彼女が玄関先で、危なっかしい手つきでランプを取り替えようとしていたのは、保護者が迷わず帰って来られるようにするためだろう。
しかし、そのランプは落ちて、砕けてしまった。
ランプを取り替えるように申し出るべきか。
私が預かった魔導具のランプ……じゃ、ダメだ。あれは握ってないといけない。なら、アリデッドのランプだ、あれを代わりに掲げてもらおう。
声をかけようと、一歩足を踏み出し、手を差し出そうとした……その時だった。
大時計の鐘が鳴り始める。それと同時に、彼女は深く頭を垂れてすすり泣きはじめた。
「今日も……帰って、こない……」
涙混じりの声が
その中で、無情に時を告げ続ける鐘の音が、大きく歪みはじめた。
少女の涙に濡れた声が、渦に飲まれるように曲がり始める。
そして……同時に、目の前の色彩、空気、そして空間が、ぐにゃりとひしゃげる。
(これは、何……!)
私は必死に、震える小さな肩へ向けて手を差し伸べた。しかし……その手は、少女に届くことはなかった。
意識が、世界が、闇に落ちていく……。
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