13.老人の託しもの

「お前さんに、渡さねばならぬものがある」

 告げながら、一歩、また一歩と、老人は闇の中からゆるやかな足どりで寄ってくる。

 私は、そっと片足を後ろに引こうとした。

 その瞬間に、足下を揺さぶる振動が来た。さっきの砲撃だ、近い!

 よろめき、バランスを無理に取ろうとした私は前に倒れ込みそうになった。そして前に突き出した右の手を……老人のしわだらけの手が、優しく取った。

 あたたかい。いや、重ね合わされた手のひらが、熱いぐらいだ。

 宙に浮いていた左の足を一歩前に置き……私は、小柄な老人に向かって片膝を突くような姿勢で、どうにか踏みとどまった。

「この大地はな、三つの鎖に縛られておる」

 言いながら、老人が掴んだままの手にそっと力を込める。

「なんのこと……ですか?」

 私にかけられたであろう、待っていた、という言葉。そして、渡さねばならぬもの。そのことについて、訊いたつもりだった。

 しかし老人は、私の目をしっかりと捉え、鋭い眼差しを突きつけながら三つの言葉を紡ぎ出した。

 ひとつ、古代より伝えられし秘術と遺産。

 ふたつ、条約機構に与えられたる平和。

 みっつ、文明と技術にいまだ怯える心。

 それらを唱えて、ようやく、握られたままの手が放された。手の内側が、まだ、熱い。

 いや……違う。なにか、熱を放ち続ける、小さな小箱が私の手に掴まされている。

「胸に刻み、そしていつか見つけてくだされ。この三つの鎖への『アンロック』を」

「アンロック……?」

 一歩踏み出し、老人の忘れ物を返そうと差し伸べる。しかしその瞬間に、また揺れが来た。今度は自分の足で踏みとどまるが……その、ほんの瞬きするほどの間に、老人の姿を見失ってしまった。

(さっきまでそこに居たはずなのに……!)

 いくら探しても、老人の影は見当たらない。闇の中に溶けて消えでもしたのだろうか。

「電気を生む遺跡さえ無ければ、荒野も生まれず、戦争もやっては来なかった。はてさて、それは正しき捉え方かな……?」

 消え入るような声だけが響く。

「待って……!」

 呼びかけはするが、闇の奥へ飛び込む勇気がわずかに足りずに、立ちすくむ。声は、最後にこう告げた。

「信じなされ、自分自身を」

 こんな時は、そうだ。ミラ様の導きを信じなくてはいけないんだ。

 私は、自分のミラ様を信じている。その私だけは、私を裏切らない。

 前に足を進めようとした、その時。背後を薄く照らしていた明かりが、弱くなった。驚いて振り返ると、またひとつ、廊下を照らしていた明かりが消えた。

 このままだと、戻り道が分からなくなる!

 私は急いできびすを返し、長い廊下へ取って返した。順に失われていく電気の光は、駆ける私を急かすように、廊下を次々に闇へ落としていく。

 視界の先、奥の通路からも、光が順に失われはじめている。間にある角を曲がった先は、まだ光に満たされているようだ。私は光の残された道を求めて、曲がり角をターン。追いかけてくる闇はちょうど角で合流すると、なおも私を追いかけてくる。

 そのまま、どのくらい走り続けただろう。光から闇への反転は、地上階の明かりが見えてくる所まで私を導き、そこで伴走を止めた。

 壁に手をついて、息をつく。

 地上の光まで消えてしまうことは、ないはずだ。二回吸って、二回吐いてきた息を、ゆるめて、ひとつにまとめていく。

 その、かすかな呼吸を耳にしていると……通路の先から、かすかな声が聞こえてきた。

「……たしかなんだな?」

 ……キョウヤの声だ!

 向かう先、地上へ上る階段の中ほどで、彼は壁に手を突き……その内側で縮こまるシセインに、何かを問いかけていた。

 ぇぅ、という、いつもの声を、彼女があげている気がする。

「頼む……」

 何か言いかけようとしたまま、キョウヤは次の言葉を紡ごうとしない。しかし、シセインを壁際で怯えさせているのは確かだ。

「キョウヤ!」

 何してるの、と声をかけると、その隙をついて、シセインが胸元を隠しながら飛んで逃げていった。

 私は肩をいからせ、足音を強く響かせながら、歩み寄ってやる。それに気付いた彼は、階段の半ばからじっと見下ろしてきていたが、

「すまない」

 それだけ告げて、足早に階段を上って、去った。

 先に逃げていったシセインとは、逆の方へ曲がっていくのを見て、少しだけ……本当に少しだけ、安心した。彼女を追いかけていったわけじゃないようだ。でも、なんだろう。胸の中がひどくムカムカしている。

 また走り出したい。そう思って地上階まで駆け上がると、あたりの妙な騒々しさに気がついた。

 条約機構の職員たちが、慌てふためいた様子で走り回っている。

「サオリ君!」

 アリデッドの声がかけられた。駆け寄ってくる姿を振り返ってみると、深く眉根を潜めたその表情は、緊迫した事態を示していた。すぐ目の前まで近づき、声を潜めて、告げてくる。

「シセイン君を連れ、一緒に自室で待機して。……すぐに出なくてはならないかもしれない」

「なにか、あったんですか?」

「発電遺跡が、停止した。今から調査隊を地下へ向かわせるが……」

 言いながら、さらに耳に口を寄せて、ささやいた。

「支部長は、シセイン君を引き渡す心づもりだ。その前に、君たちを外へ逃がす」

 アリデッドはそう告げて、駆け足で去っていった。

 彼に向けて振り返ろうとした足が、強く震えて、言うことを聞かない。思わず胸に強く手を押し当てる。その手の内には、あの強い熱を持つ小箱が握られたままだった。

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