12.墓地の支部長

 重く響く轟音と共に、石の床が揺れた。あわててバランスを取り、壁に寄って身体を支える。条約機構支部の堅牢な建物がきしみ、天上からパラパラと粉が降る。

「なに?」

 地震だろうか。先導していたアリデッドを見やると、ずいぶんと落ち着き払っている。両足をわずかに曲げただけで、その場でバランスを保ったまま立っている。

「皇国軍の砲撃だ」

「砲撃?」

 思わずオウム返し。そういえば戦争をしていることを思い出し、街の壁に空けられていた大きな穴を胸に浮かべる。

「条約が禁じた火薬の大砲を、ああやって実験がてら、街に撃ち込んでくるのさ」

 苦々しげに言うが、避難を指示する様子はない。轟音は一度きりだったが、次が来るのはいつ、どこだろう。

「危険じゃないの? 逃げなくていいの? ここまで届くの?」

 落ち着いて、と大きな手が制する。私はそっと壁から離れた。

「アレはまだ技術が未熟で、金属の塊を飛ばすのがやっとだ。弾丸の直撃を食らえば吹き飛ぶが……その可能性は、限りなくゼロに近い。音は遠いから、必要以上に怯えないで……心身が保たないからね」

 丁寧に諭されて、顔を落とす。そんなに取り乱していたかな、私。

 遠い国のニュースで、頭は砲撃という言葉を知っている。でも、身体はその音や振動を知らない。実際に我が身に降りかかってきた時に、どのように振る舞うべきなのかが、まるでわからない。

 こんな私でも、目の前でじっと立ち続けるアリデッドのように、冷静を保つことができるようになれるのだろうか?

 建物の中からも、外からも、騒ぎ声が聞こえてくる気配はない。みんなもう、戦争という状況に慣れきってしまっているのだろうか。

「ここの人たち……ずっと、あの音を聞かされてるんですよね?」

「ああ」

 また歩き出したアリデッドが、妙に早足だ。

「音と振動、そしてゼロに近くとも、もたらされる死の恐怖。これらは、確実に人々の心を疲弊させている」

 置いて行かれないように、こちらも歩幅を広くして付いて歩く。

「かといって、止めさせる術を、我々はまだ持っていない」

 斜め後ろから見上げたその表情は、とても険しく、心の底から苦しんでいる様子だった。


 私が導かれた先は、支部の一階にある小さな中庭。土の中に緑の芝生がわずかに敷かれ、その間に白い石碑が等間隔に並ぶ。

 きれいに切りそろえられ、磨かれた石には、細かな文字がたくさん刻み込まれている。ひとつひとつ形も違うし、記されたシンボルマークも異なるが……これらはおそらく、墓石たちだ。

 その中で私を待っていたのは、食堂で見かけたことがある、いつも一人だけスーツ姿の老人だった。

「連れてきました」

 ご苦労、と言って、彼はずいぶん生真面目に名乗り、ここの支部長であることを告げた。

 どうして中庭に墓場があって、そこに自分が呼ばれたんだろう? 上の空で考えていたが、今は支部長の話を聞くべきだと気付く。

 こちらも丁寧に名乗り、日ごろお世話になっている事へのお礼を述べる。そして隣に真っ直ぐ立つアリデッドに目を配ると、彼は反射する眼鏡の先を、支部長の隣に据えられた墓石にじっと向けていた。

「ここにはね。この世界にやっては来たものの、この世界で生きられなかった人たちが眠っているんだよ」

 環境があまりにも違いすぎて、体調を崩す人が多いのだろうか? もしかしたら、生きている間にテストを全てクリアできなかった人もいたりするのだろうか?

 それとなく訊ねようとしたが、支部長が先に、やんわりと……しかし、穏やかならぬ話を切り出した。

「アリデッド君がね。君とリュミエール嬢ちゃんを、外に逃がす提案をしてきた」

「私……と、シセインを?」

「皇国軍がね、彼女の身柄の引き渡しを要求しているのだよ」

 『星渡りの術』が目的だ。

 あの子が軍なんかに引き渡されたら、無理矢理にでも術の使い方についてしゃべらされてしまうに違いない。

「逃げられる道が、あるんですか?」

 前にのめるようにして、問いかける。支部長は視線を横に向け、アリデッドと同じ墓石を見つめる。

「ああ。だが、安全を保証は」

「行きます!」

 走るのだ。あんな少女を、力尽くでどうにかしようとする連中に屈するなんて、絶対に御免だ。

 支部長は振り返り、私をまじまじと見て、その目をしばたたかせる。

「保証はしかねる。相応の危険が伴うぞ」

 墓場を選んだのは、威圧して怖じ気づかせる目的なのだろう。脅すようにも聞こえる、その重い声に、負けてなんかいられない。

 私に一歩を踏み出させて欲しいと、はっきりと告げてやる。

「私には……守護天使ミラヴェル様もついています!」

 自信はあった。だが、長官はそれを打ち砕こうと言葉を返す。

「……キミは、とても不安定であるように見える」

 胸に鋭い痛み。

 なんだろう。この人は、外の世界で見た老婆と同じ匂いがする。

「……まあ、君の意志は確認できた。もしも決まったら、連絡する。……さがっていいよ」

 アリデッドが深く頭を下げ、私を促してそこから連れ出す。そうしてくれなければ、私はミラ様の存在を証明するための物語を、ひとつふたつ、ぶつけてやっていたかもしれない。

 アリデッドを追う、歩幅が一歩ごとに、次第に広く、速くなっていく。

 中庭から扉をくぐり、屋内に入ったところで、私は彼を追い越して駆け出した。

「サオリ君?」

「ちょっと……走ってきます!」


 広い支部の中を、少しずつペースを上げながら走り抜ける。廊下の脇に並ぶ、食堂、医務・検査室、広いエントランス。正面玄関……に向かうのはやめて、大きな事務室の前を横切り、裏の出入り口……からも出たくない。このまま進むと一周してアリデッドのもとに戻ってしまうので、そばにあった階段を地下へと降りる。

 階段の先には、石造りの狭い通路が縦横に伸びている。小さな明かり……これは電気の光だろうか、ところどころで小さく廊下を照らしているのを良いことに、角をでたらめに曲がりながら、駆け続ける。

 こんな時に、キョウヤはどこに居るんだろう……。

 思考がそこに至ったのは不思議だ。こんな気持ちを分けあえるのが、ミラ様の他にいればいいと思ったからだろうか。

(シセインを思い浮かべてもいいはずなのに、何故……?)

 廊下の行き止まりにあった古い扉に勢いよく手をつくと、それは大きな音を立てて、はじけ飛ぶように私を招き入れた。

 闇で満たされた、広大な空間。明かりをつけてない体育館に飛び込んだ時のような、奥行きと広がりを肌に覚える。

 ただようホコリの匂いが、なんだか重くて、べとついた油の気配を感じさせる。そして、かすかに耳に届く、金属のこすれる音。

 この闇の中には、何があるのだろう?

 とまどいながら見渡していると、正面にうっすらと人影が見えてきた。

「待っておったよ……」

 それは背の曲がりきった、小さな老人の姿。しわがれ、かすれた声をあげながら、私を正面からじっと見据えていた。

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