10.魔法の勉強
シセインの魔法を目にした翌朝、私はアリデッドを探し当てるなり、早速訊ねてみた。
「魔法って、私でも使えますか!」
ちょっと鼻息が荒かったかもしれない。
魔法を学ぼうと思ったのは、星渡りの術を使うためではない。でも、魔法というモノをこの手で使えるのなら、一度試してみたいのだ。そしてもし、何らかの力を手に入れることができたら、自分やシセインの身を守るために役立てられる。
「ああ。まあ、可能だとは思うが……」
「是非、学ばせてください!」
頼み込む私を、不思議そうな目で見つめてくる。
「いずれ、『科学の国』か『魔法の国』のどちらかを選んで、そこへ行くことになるんですよね? 私、真剣に考えたいんです」
その言葉に、彼はしばらく顎に手を当てて何かを考えていた。ややあって、
「いいだろう」
告げると、私を連れて図書室へ向かった。
「まずは、この本がいいだろう」
言いながら、魔法の光を放つキノコの下に、一冊の本を据える。簡単に紐をとじただけの、簡素な造りだ。
もっと分厚くて大きな、いかにも『魔導書』と呼ぶべき書物を渡されるものだと思っていたので、ちょっと拍子抜けした思いがする。
『初級魔術の効率的学習』
そう手書きされた文字にも、表紙にも、飾り気がまるで感じられない。紙の傷みはほとんど見当たらないから、さほど古い本でないことがうかがえる。
これは、本当に魔法の本なのだろうか。
椅子に深く腰掛け、表紙を一枚めくってみると、難しそうな言葉の並んだ目次。
『魔法の根源:オーラとマナとエーテル』
『魔力:スカラー値とリソース値』
『無意識が生む抵抗力』
このあたりの難しい理論は後回しにするのだ。書を手に掴み、ぱらぱらとページをめくってみる。
文字は手書きのようだけど、インクの濃淡は均一で、書き直した跡も、筆者の手垢が付いた様子も感じられない。きっと魔法文明にも、コピーとか印刷の魔法があるんだろう。
魔法の名前が大きく記されたページが見えてきた。ここからはそれぞれの術の具体的な習得法が記されているようだ。『アースシールド』『アースバレット』『アンロック』……。
……これだ!
私は『アンロック』のページを開き直し、机の上に広げる。
閉じている錠を、鍵を使わずに開ける魔法。たしかにそうだと、説明書きに記されている。
私は小学生の頃、家の鍵をランドセルに紐でつないで持ち歩いていた。それを勝手にほどかれて、鍵をなくしてしまったことがある。閉ざされた玄関先で気付いた瞬間の、あの絶望感。寒さに震えながら両親の帰りを待ち続けた、寂しさと心細さ。今でも、鮮明に思い出すことができる。
あの時は本当に、魔法が使えたらいいのに、と思った。
それに、昔ちょっとだけやったファンタジーのゲームでは、鍵開けの能力はすごく重要だった。扉や宝箱の鍵を開けられるだけで、行ける場所が一気に広がり、損得が分かれる。
生物ではなく物を相手にする魔法だから、練習もしやすいだろう。まずはこれを覚えてから、難しそうだけど便利な魔法たち……移動や治療の術を学びに行こう。
見えてきた道のりに奮い立っていると、アリデッドの小さな笑いが聞こえた。
「面白いものに目を付けるね……まぁ、やってみるといい。空腹は最高のスパイス、意欲は至上の教師なり、ってね」
魔法についての説明文を読みふけっている間に、アリデッドはどこからか南京錠をひとつ持ってきてくれた。掛け金はU字ではなく一文字だったが、現実世界のものと同じ構造に見える。現実世界にもある構造のものをわざわざ選んでくれたのだろうか。
それを書の向こうに据え置いて、『意志付与式のソースコード』とやらに目を通す。どうやら、この形式がもっとも効率よく習得出来ると書かれているようだ。
『錠の意識にアクセスし、開く、という意志をもたせます』
その説明に続いて、複雑な発音の文字列が並ぶ。これが詠唱すべき呪文だ。脇には、平易な言葉でその文字列の意味も記されている。
(私にも……読める!)
こみあげてくる万能感。魔法の明かりに照らされる中で、思わず邪悪な笑みが漏れそうになる。
手順をもう一度読み返しながら、実際に魔法を試してみよう。
『まずは、開かせたい錠を手で包み、
生気と言われてもよくわからないので、くすんだ茶色の南京錠を両手でそっと包む。たぶん握力じゃなく、スピリチュアルな何かを送り込めばいいのだろう。金属の重く冷たい感触を、しっかり意識しながら、その存在に気持ちを集中させてみる。
それから、呪文を一語ずつ口にしてみる。
『あなたの名は、錠。
「……走れ!」
シセインの真似をして、思いの
何も起こらない。淡い緑色の明かりの中で、錠は微動だにせず、声もあげない。
……だめか。
呪文の発音は合っていただろうか。生気の注ぎ方が足りなかったのか。そもそも生気って何のことだ?
書のあちこちのページをめくり、単語の解説を読んでは首をひねり、何度も何度も呪文を読み上げた。
昼食の後も、あきらめず練習を続けた。
知りもしない南京錠の仕組みを頭の中に思い描こうとして、頭痛を覚えたり。お腹の
どうにか目を閉じたままでも呪文をそらんじることができるようにはなったが、それを繰り返し唱えてみても、思いつく限りの念じ方を試してみても、まるで手応えが得られない。ミラ様の名前を告げてもみたけれど、錠はまるで動じもしなかった。
ずっと手の中で握っていたせいで、茶色の金属の塊はすっかり温かくなってしまったが、変わらぬ硬さを伝えてくる。
図書室の時計がまた鳴った。あっという間に夕食の時間だ。
「どうだい、難しいだろう」
アリデッドがやってきて、意地悪そうに笑んでみせた。
疲れ切った顔で、いじけた視線を投げ返す。手の中にあるこれは、本当に開く南京錠なのだろうか?
「普通は長い基礎訓練をした後に、何日もかけて学ぶような術だからね。昨日今日では、できなくて当然さ」
言いながら、小さな鍵を取り出すと……それを南京錠の鍵穴に差し入れ、いとも簡単に開けてしまった。
握った手の内で、バネがはね、掛け金が横に飛び出す振動。
「この関係は、科学と魔法」
小さな鍵を指先でつまんで、私に示す。
「この金属の鍵は科学だ。錠の中の仕組みを知らなくても、鍵さえ持っていれば、誰でも最小のコストで開けられる。ただし、ひとつの錠にひとつの鍵が必要で、その鍵をなくしたらアウト」
そして鍵を机に置いて、私の手の中の錠に手をかけ、元通りにロックさせる。
「一方の魔法は、錠の存在を理解しないといけないし、魔力のリソースを消費する。使い手の才能も必要だし、流派によって手順も呪文も違う。場合によっては杖や儀式も必要だ。だけど、習得できれば色々な錠を開けられる」
閉じられた錠から少しだけ離れた位置で手のひらをかざし、そこにぐっと力を込め、私が覚えたのとはちょっと違う呪文を唱えだす。
「走れ」
告げた瞬間に、錠がぱちりとはじけて開いた。
思わず目を見開いて、錠とアリデッドさんの手を見比べる。彼は大きくて温かそうな褐色の手をひるがえしながら私に見せて、得意げな顔をしてみせた。
「訓練次第だよ。サオリ君にも人並みの魔力はあるから、できないことはない」
むー。そうは言われても。
これだけの努力を、いったいどのくらい続けたら身に着けられるのか。
「頑張って一から魔法を学ぶか、君が既に持っている科学の知識を活かすか。『より才能のある道、より性格と嗜好に沿った方向、そしてより目的に合致する手段を選べば良い』……その本の著者の言葉だけどね」
だがね、そう告げて、アリデッドは声を低く落とした。
「この世界ではね……魔法と科学の、二つの文明が衝突している。君がどちらの陣営につくのか、それをしっかり決めておいてほしい。今日一日は、そのために時間を割いたわけだ。ここは条約機構の支部だから、どっちを学ぼうが禁止はしないし、こんな禁書も置いてあるのだが……」
「禁書なの、これ?」
思わず書の裏表を見回してみる。目次にも目を通してみるが、凶悪な魔法は書かれているようには思えないし、危険な仕掛けがあるようにも見えない。
「ああ。手法が科学的だ、という魔法使いたちの批判をうけてね。条約機構は両者に中立の立場だから、こっそり置いているが……。魔法文明でも、そしてもちろん科学文明でも、所持すること自体が禁止されている。その著者のシャドウという人物は……今君が手にしている本を書いたために、祖国で存在抹消刑を受けた」
存在抹消。耳にしただけで、恐ろしそうな響き。
違う側の文明に近づいたという、たったそれだけの理由で?
「僕としては、科学文明である現実世界から来た君は、科学文明側の国に行くことを強く勧める」
そう言われると、意地になって魔法を使ってみたくなってしまう私だが、その場はひとまずうなずいておいた。
「そうそう、念のため」
書をもとあった棚に戻し、南京錠と鍵を回収してから、アリデッドが念を押すように告げてきた。
「魔法文明には、初級のアンロックで開く錠なんて、そうそうないけど……この魔法は、公の場でむやみに使ってはいけないよ。科学側ではもちろん、魔法側でも、泥棒扱いされたくなければね」
……早く言ってよ。
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