7.粥と少女

「なんでもいいから、この子に食べさせてあげて!」

 幸いにして、近くに食堂らしき建物があったので、私はそこへ飛び込むなり、奥へ向けて声をかけた。店員らしきおじさんが、びっくりした表情を向けてきたが、今はそれどころじゃない。さっきの少女のもとへ舞い戻り、ゆっくりと抱え起こす。どうにか歩ける様子だったので、店内まで支えながら連れていき、近くにあった椅子に座らせた。

「痛む?」

 彼女は怯えきった表情で、わずかに顔をかがめたまま、細かく、音もなく、首を横に振る。

(怪我を隠しているかもしれない……)

「ちょっと、確認するね?」

 告げてから彼女の前にかがみこみ、上衣の襟の乱れを直そうと手をかけた。

「ひっ!」

 あわてて伸ばされた細い手が、拒む。

「あ……ごめん」

「す……すみませ……」

 二人の謝る声が、同時に、重なって出た。まだ若い女の子には、失礼な行為だったな……。

 胸元や腰の周囲は避けて、まずは脚を痛めていないか、確認してあげることにする。長いスカート状の裾にためらいがちに手を伸ばすと、今度はまるで抵抗しない。声も上げずにされるがままなのをいいことに、左脚のブーツに手をかけて、ゆっくり持ち上げる。

 重さをまるで感じない。

 薄暗い店内に目がまだ慣れきっていなかったが、それでも、肌の白さが目に刺さる。脚のラインは、細くて流麗。

 砂の舞う中を歩いてきたのだろう、細かな擦り跡がいくつも見えたが、血が出るほどの大きな傷は無いと思えた。

 その左脚を丁寧に床の上に降ろしてあげると、少女が鈴のような声を絞り出した。

「私、ダメだなぁ……」

 上品な声色とあまりに裏腹な、情けない台詞。視線を上げると、彼女は瞳に涙をためて、潤ませていた。きらりと宝石のような光が、今にもこぼれ落ちそうだ。

「いや、スピード出してたのは、明らかに私の方だから!」

 悪いのはこっちだ、と言おうとしたのだが、彼女はますます縮こまる。

 そのまま、気まずい沈黙が流れようとしていた。

 だがそこに、恰幅のいいおじさんがどかどかと現れ、脇のテーブルに景気よく料理を叩き付けた。

「はいお待ち!」

 それからまた奥の厨房へ駆けて行き、料理の皿を続けざまに運んでくる。

 店の中をあらためて見渡してみると、あまりのみすぼらしさがまず目に付いた。ホール部分は広いが客はほとんどおらず、隅の方で何人かが小さな皿をつついているだけ。簡素と言うより粗末なテーブルがでたらめに並び、石造りの床は砂だらけ。小さな窓が落とす頼りない光の中に、細かな塵が舞っていた。

 この世界の安レストラン、あるいは大衆食堂、といったところだろう。間違っても高級な料理は出てきそうにない。

 さらに料理の皿が運ばれてきた。おじさんの顔を見上げると、やけにニヤついた表情をこちらに向けてくる。

「どうぞごゆっくり」

 その上機嫌さは、なんだか気持ち悪いほどだった。

 運ばれてきた料理は、何かの穀物のかゆに、黄色いパン生地のような球体、そしてドレッシングのかかっていないサラダ。薄い陶器にそれぞれ二皿ずつ、雑に盛り付けられている。

 少女は脇のテーブルに並べられ料理の数々を、不思議そうにじっと見つめている。

「食べていいのよ。ここは私が出すから」

 腰を上げながら巾着袋の存在を確認し、声をかける。その身体が細かく震えていたが、それでも彼女は我慢しているのか、料理をじっと見つめたまま、手を出そうとしない。

 仕方ないので、私も彼女と同じテーブルの椅子に、向かい合うように腰掛ける。

「先にいただくね」

 私がそう告げて、木製のフォークを手に取ると、彼女もおずおずと手を伸ばしだした。

 それを確認し、穀物の粥を、まずは一口。

 どうしよう。……不味い。

 ドロドロして粘り気のあるそれは、ひどい雑味を感じると共に、妙に甘い味つけがしてある。思わず、顔がいびつに歪む。

 口直しにと、パン生地のようなモノをフォークで刺して、噛みついてみる。これは塩気のないチーズのようだ。が、味を確かめるよりも先に、強烈なにおいが鼻を貫く。目の奥から涙がこみ上げる。

 口の中を洗わなくては。サラダなら大丈夫だろう、そう思って思い切り口に含んだが、これも考えが足りなかった。とてつもなく苦い。そして、舌がしびれるほどに辛い。

 条約機構の食堂とは、比べものになんてならない。どれも、クセの強すぎる料理だらけだ。

 脳へと突き抜ける刺激の数々に、頬を涙が伝う。それを手の甲で拭き取ると、テーブルの向かいで少女の声がした。

「おいしいよう、おいしいよう」

 泣いていた。彼女もまたぼろぼろ涙を流していたが、一心不乱に料理を口に運んでいる。かすをひとつもこぼさない、品のあるゆっくりとした食べ方だったが、絶えることなく料理を小さな口にふくみ続ける。

 唖然としながらその姿を眺めてしまう。根本的に味覚が違うのか、それとも空腹というスパイスのせいなのか。

 考えていると、少女の背後……店の入り口から差す光の中に、長身の影がすっと現れた。細身ながらも頼もしいフォルム、すじの通った手足、白く光っている眼鏡。靴音を高くあげながら、こちらへ向けて歩んでくる。

 アリデッドだ。

 私たちの姿を認めると、彼は肩をいからせながら、テーブルの方へ寄ってくる。

 顔は努めて平静を装っている。だけど、この雰囲気は……わかる。とても、怒っている。

 彼はそのまま、夢中で食べ続ける少女と私に隣り合う椅子に、どっかと腰を下ろした。

「僕が戻るまで、待つぐらいのことは出来なかったのかね?」

 今まで聞いたことのない、圧のある声。

 私はただ、すみません、と告げることしかできなかった。

 胸の内にミラ様を思い描く。大丈夫、きっと大丈夫だから、彼女はそう告げながら、そっと私の手を握ってくれている。

 アリデッドは深く、重いため息をついた。

「この店の主人が私を呼んで……目の玉が飛び出るような請求書を握らせてくれたよ」

「え……?」

「……相手が保護中の落訪者であると嗅ぎつけて、とんでもない額の代金をふっかけたのさ」

 高く、乾いた響きがあたりに鳴り響いた。

 向かいに座る少女が、フォークを取り落としていた。薄く口を開いたまま、その手を大きく震わせていた。

「私のせいだ……」

 少女はその目に、さっきまでとはまた違う、重たい涙をにじませていた。

「違う!」

 思わず私は叫んだ。

「ここは私が出すと言ったんだから! あなたのせいじゃない!」

 言いながらテーブルの上に乗り出して、彼女の肩に手を伸ばして必死になだめようとする。アリデッドは開いた両の膝にそれぞれ手のひらを打ち付けながら、再び大きなため息をついた。

「こういう過失の場合、その代金は条約機構が負担する」

 言いながら、首を振る。その肩越しのはるか向こうに、店のおじさんのニヤけた笑みが見えた。

「取り締まらないの、そういうの?」

「残念ながら、条約機構は警察でも司法でもない」

 そのやり取りに挟まれて、少女は全身をぷるぷるさせながら、小さくうめきをこぼしだした。

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 すっかり青ざめた顔で、小さく嗚咽おえつを上げはじめる。アリデッドはそれを一瞥いちべつし、次に私を真っ直ぐに見据えた。

「ともあれ。ここは条約機構で片を付けておく。この度は注意するにとどめるが、条約機構にひとつ借りが出来たと思っておいてほしい」

「……はい」

 納得はできない。だけど、泣き出しそうな少女の前で、事を荒立てるわけにもいかない。私はしおらしくうなだれて、返事をした。

「……ぇぅ」

 少女も、一緒になって謝罪らしき声を出す。

 走り出したい。だけど、今はそうできる状況じゃない。だから……私は何度も、胸の内にミラ様の姿を思い描いた。私と同じ顔をした守護天使様は、そっと私の肩を抱いてくれる。

『時にはこういう失敗をすることもあるわ。でも大丈夫、あなたをずっと見守っているから……』

 その優しい声を聞いて、ざわついた心が少しだけ和らぐ。

 大丈夫……そう、大丈夫。どんな失態をしても、ミラヴェル様がいてくれる。見捨てたりしないで、そばに居てくれる……。

「ときに……」

 不意に、アリデッドの、落ち着きを取り戻した声が耳に入った。

「君は、もしかしてリュミエール神殿のシセイン君かね?」

 目の前の少女に向けられた問い。涙を目に浮かべ、おどおどとしながらも、彼女は深くうなずいた。

「は、はぃ……」

「よかった。皆で君を探していたところだ……。だが、どうしてこんな所に?」

 さっきまでとは打って変わって、あくまで穏やかに訊ねているのだが、彼女はますます縮こまって、「ぇぅ」と声を漏らす。

「そ、そちらに、行こうと、してたんだけど……。身分を証するモノを、忘れちゃって……。私、ダメだなぁ」

「そんなもの無くとも、来てくれれば良かったのだが……」

 アリデッドはそこから声を潜め、彼女に何事か確認した。

「『書』は無事だね?」

 たしかに、そう聞こえた。シセインと呼ばれた少女は、あわてて服の裾に手を当てて、無言でうなずいた。

「わかった……。条約機構は君を保護する。……ここは場所が悪いから、支部まで行こう」

 言うなり、アリデットは立ち上がって、足早に歩み出した。

 後ろに向けて招く手に従って、私とシセインも料理を置いて、店の外に出る。

「ありがとーございましたー!」

 店のおじさんの丁寧なかけ声が、心から憎たらしかった。

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