3.家庭教師

 『青の条約機構カルルッカ支部』。その図書室で、私は手書きのノートとにらみ合って格闘していた。

 異世界であっても、図書室とは静かにすべき空間である。そうとわかってはいるけれど、思わず情けないうめき声が漏れてしまう。

 部屋には私とキョウヤの二人きり。他に見とがめる者が居ないのをいいことに、ついに耐えきれなくなった私は、机の上にだらしなく突っ伏した。

「ううう、どうして異世界に来てまで勉強とテスト……!」

 本当は、キョウヤにだってこんな姿を見せたくない。だけど、設定ノート以外のためにじっと机に向かうのは、どうしても性に合っていないのだ。

「何も知らないままの人を、外に放り出すわけには、いかないから……」

 キョウヤはそう言うが、そもそもの原因は全てコイツにある。

 このC世界にやってきた人たちは、条約機構によって保護され、しばらくの間だけ生活の面倒を見てもらえる。その間に、この世界のことを学び、どう生きていくかを決めなくてはならない。

 その過程の一つとして、講義を受けて、その内容を理解したかのテストを通過する必要があるのだ。

「最短記録で第一の課題をクリアしたんだ。その勢いで、なんとか」

 そうは言うけれど、あれは事故が産み出した偶然の結果だ。

 第一の課題というのは、『外の世界を知ろうとすること』だったらしい。自分の意志でドアを開け、外の世界を確かめることができればクリア。私はそれを、ちょっとした勘違いから、目覚めた直後にやってのけたわけだ。

 本当は部屋の片隅に、外を見渡せるベランダへ出るためのドアが用意されていた。私はそれを、思いきり無視してしまったわけだけれど。

 思い返すだけで、恥ずかしさで死にたくなる。机のおもてに押し付けた顔を、さらに奥へ押しやる。

(なんで、勉強もできない、取り柄もない、異世界への興味すらも無い……こんな私が選ばれたんだろう?)

 その悩みに、キョウヤは気づきもしないのだろう。私が取り落としたペンを丁寧に拾い上げると、隣から優しい声をかけて、なだめにかかる。

「次の口頭試問は、要点さえ押さえていれば問題ないはずだから……」

「要点って?」

 不機嫌なまま言葉を返すが、キョウヤはあくまで親切に答える。

「この世界のこと、それから自分のいた世界との関係を少しだけ。いいかい……」

 教えながら、条約機構から支給された筆記用具箱から、赤いペンを取り出す。

 それは現実世界で使っていた金属製のボールペンによく似た作りをしているが、中身は全く別物らしい。なんでも、持ち手の魔力でインクを吐かせる魔道具、なのだとか。

 魔力といえば。この世界には魔法があって、希望すれば『魔法文明』の国に送ってもらうこともできるらしい。

 その魔法の才能である『魔力』というものを、身体検査と一緒に測定してもらったけれど……私の結果は『いたって並』。魔法使いになるつもりなら、かなりの努力がいるそうだ。『科学文明』の国の方で暮らすことを、強く勧められた。

 一方のキョウヤの魔力は、プロも志望できるぐらいの『高め』だったらしく……正直、それがうらやましい。

 真剣な眼差しでノートに向かうキョウヤを、思わずうらやむ目で見てしまう。

 その視線の意味にも、鈍感なキョウヤは気付くはずがない。講義の時に私が必死で取ったノートに、赤のラインを引いていく。魔力の違いなのか性格の違いなのか、私とは違って、安定した美しい線がペン先から走り出る。

「俺たちのいた世界の呼称は『現実世界』。たくさんある世界の中でも、『ほぼ頂点』の座標にあった。そして、ここ『C世界』は『かなり下』に位置する。人やモノは基本的に、『上から下へ』移動する」

「だから、現実世界では異世界人なんて見かけなかった……と」

 先ほど受けた講義で、アリデッドが説明していたのを思い出す。

 講義……とはいうが、生徒は物覚えの悪い私一人だけ。先生役も相当苦労したことだろう。しかし、大変申し訳ないことに、肝心の内容がこの頭には残っていない。

 だからこうして講義が終わったあと、テストまでの空いた時間を使って、復習にいそしんでいるわけだ。

 そんな私に、キョウヤはつきっきりで指導をしてくれている。

(責任を持つ、って、言い切ったもんなぁ、コイツ)

 なんだか、とても不思議な感覚だ。学校にいた頃は、キョウヤとは何の縁も接触もなかった。それなのに突然、こんなふうに勉強を教えてもらう関係になっている。

 学校でのキョウヤは、人付き合いとか苦手そうな印象だったけど、こうして接してみると、とても優しく、紳士的で、教え上手だ。

「……上から落ちてきた異世界人は『落訪者らくほうしゃ』と呼ぶ。C世界の住人は、ほぼ全て『落訪者とその子孫』。異世界にたどり着いた『直後』の落訪者は、条約機構で処置を受ければ『読み書き会話と最低限の常識を習得』できる。その処置の仕組みについては……覚えなくていい」

「テストに出ない箇所?」

「条約機構でも正しく把握できてないんだろう。世界のまわりを満たす情報の海……なんて、目には見えないだろうしね。覚えるべきは、むしろここ……『落訪者は青の条約に基づき、条約機構によって保護される』『処置を受けていない落訪者を見つけたなら、直ちに条約機構へ届ける義務がある』」

 そこで彼は声をひそませた。

「……これが、今起きている戦争に大きく関わっているからね」

 どういうこと、と訊こうとした。でも、その時鳴り響いた鐘の音で、それどころじゃないことに気が付いた。図書室の端に据えられた大きな機械時計は、テストの開始時間が間近であると告げていたのだ。

「あとは、ここと、ここ……。どれも簡単な質問をされるだけだから、気を楽にして」

 キョウヤは急いで赤線を引き終えると、ノートを手渡しながら、励ましの言葉をくれた。

「そうは言われても、テストというだけで……」

 気が重い。気が重いのだ。

 こんな時は……そうだ。

 顔を上げ、気持ちを切り替えて、あの言葉に力をもらう。

「……大丈夫。ミラ様が、見守ってくれている……」

 普通の人なら、私がこれをつぶやくと、首をかしげて苦笑いする。しかし、キョウヤだけは違う。力強くうなずきを返してくれるのだ。

「ああ、ミラ様がついている。無事に筆記試験をパスできたら、外出実習に行けるから、頑張って」

「外出実習……?」

 おもわず間延びした声が漏れてしまう。

 目の前のテストのことで頭がいっぱいで、その先の予定を確かめていなかったのだ。

 そう……テストの後も、その後も、ずっとずっと……この世界で生きるための勉強は、続いていくのだ。

 コイツと一緒に。

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