Easter Holidays 「迎え」

 これまで以上に仲睦まじく、常に一緒に行動していた所為もあったがテディはもう朝の点呼に遅れることもなく、授業にもきちんと出るようになった。

 夜は丸テーブルを移動してテディのデスクの傍で勉強をするルカに教わり、遅れていたぶんもしっかりと取り戻した。喫煙はふたりとも続けていたが、誰かに見られることのないよう人気ひとけのない場所で、偶にこっそりと吸うに留めていた。

 テディがひとりでジェレミーたちのところへ行くことはなくなり、その代わりではないが、ジェシが頻繁にルカとテディのところへ来るようになっていた。土曜の午前中には音楽室、夕食後、ハウスのミーティングが終わったあとにはルカたちの部屋で、三人は音楽の話に夢中になった。それ以外――たとえば、昼食を済ませたあとの昼休みに中庭で見かけたりすると、ジェシは嬉しそうに駆け寄ってくるようになった。

 もしもジェシに尻尾が生えていたなら、それはちぎれんばかりの勢いでぱたぱたと振られていたに違いない。





 春季スプリングタームも終わり、寮のなかでは寮生たちが荷造りに追われ、外では迎えに来た保護者たちの車で軽い渋滞が起きていた。春季タームと夏季サマータームのあいだの、イースター休暇ホリデイである。



 イースターとは、十字架に磔刑たっけいになったイエス・キリストが三日後に復活したこと記念して祝う、キリスト教において重要な意味を持つ祝日である。

 欧米のキリスト教圏の国には様々な復活祭イースターのための特別なごちそうや風習があり、盛大に祝われる。ホットクロスバンズに十一個のマルツィパンが飾られたシムネルケーキ、ラムのロースト――そして、イースターといえばなんといっても卵料理である。

 殻を破って新しい命が生まれてくる卵は復活の象徴とされていて、イースターではたくさんの茹で卵が振舞われたり、カラフルにペイントされたたまご――最近はペイントされた茹で卵だけではなく、卵形のチョコレートや中におもちゃの入ったプラスチック製のたまごなども多い――を庭などに隠して子供たちが探す、エッグハントというゲームが行われたりする。

 欧州の多くの国では、当日のみならず直前の金曜や翌日の月曜も休日としており、イギリスでもイースター前々日の金曜をグッドフライデー、翌日の月曜をイースターマンデーと呼びその四日間は祝日になっている。学校もその連休に合わせ、二週間という長めの休暇が設定されていた――要は春休みだ。

 ただし、イースター当日は『春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日』となるので日付は定まっておらず、長くて一ヶ月ほどのずれが生じることもある。この年も、春休みのスタートとしては少し遅めだった。



 テディはその日、朝から憂鬱そうな顔をしていた。ラゲッジに着替えなどを詰めながらルカはその様子に気づき、どうかしたのかと尋ねた。すると、テディはなんでもないと云いつつ、ルカと一緒にいられない休暇なんていらない、と呟いた。それを聞いてルカはテディを抱きしめ、大いに同意した。

「俺もだよ、テディ。……よし、決めた。テディ、今回はもう無理だけど、今年の夏は一緒に過ごそう。またどこかのサマースクールに一緒に参加したあと、俺の家でステイできるよう頼んでみる」

 それを聞いてテディは大きく目を見開き、声を詰まらせた。

「ルカの家に……ほんとに? いいの、そんな……できるの?」

「ホームステイは認められてるんだから、保護者の許可があって学校に届けさえすればできるはずだよ。大丈夫。一緒に勉強するって云えばきっと許してもらえるよ」

「ルカの家に……。えっと……、家族って、何人いるんだっけ」

「うちの家族はおやじとおふくろと、じいさんとばあさんとひいばあさん、それと妹がふたり。それに犬が二匹と猫が六匹。あと敷地内にある別の棟に叔父夫婦と従兄弟いとこが住んでて、しょっちゅう母屋に入り浸ってる」

「母屋……別棟って……、ルカの家っていったい……」

 あまりの家族の多さと、本のなかでしか馴染みのない言葉に驚き、テディは眉をひそめてルカを見た。ルカは別になにを気にすることもなく、当たり前のように答える。

「郊外にある古い屋敷を買い取って、改装して住んでるんだ。うちは楽器がいっぱいあって、よくパーティをするんでお客も多いし、部屋も余ってるよ。テディがひとり来るくらい、まったく問題ないさ」

 ルカがそう云うとテディは少し途惑っていたようだったが、続けて大きなスピーカーのステレオとたくさんのヴァイナル盤の話を聞くとがらりと表情を変え、目を輝かせていた。

 荷造りを終え、そろそろ階下したに下りていようかとふたりはコモンルームまで移動した。迎えが来るのを待ちながら、モーリンの淹れてくれたミルクティーとお菓子を楽しむ。今日のお菓子はスパイスの香りの効いたイースタービスケットだった。

 そうしているあいだに、何人かの生徒がコモンルームに顔をだした親たちに連れられ、車に乗りこんで帰っていく。じゃあな、と軽く手をあげ五人ほど見送ったあと――「ルーカー」と名前を呼びながら、ショートにした赤毛が印象的な女性が、ひょこっと姿を見せた。

「イヴリンだ」

 立ちあがりながら、ルカは「さっき云った別棟に住んでる、おやじの弟の奥さんだよ。前にジェルボー食べたろ? あれを作ってもらった人」と、テディに教えた。テディがああ、と思いだして、ルカに倣って立ちあがり、その女性のほうを向く。

「待った? 途中、道が混んでてね……みんな同じ、お迎えの車でしょうね。――こちらは、例のお友達?」

「うん。ルームメイトのテディだよ。テディ、叔母のイヴリンだ」

「はじめまして……。あの、以前手作りのお菓子をありがとうございました。とても美味しかったです」

 イヴリンは「会えて嬉しいわテディ」と云って、にっこりと笑った。鼻から頬へと綺麗に鏤められたそばかすが映えて、とてもチャーミングだ。

「ジェルボーはお口に合った? あんなものでよければまた作って、ルカに持たせるわよ。ちゃんと仲直りしてたみたいで、よかったわ」

 寮の前には何台も車が並んでいて、イヴリンのメルセデスベンツ・Eクラスは少し先のほうに停めてあった。ルカは革製のラゲッジをごろごろと引き摺ってイヴリンの後に続き、テディも見送るため、一緒に外へ出てきていた。

 イヴリンがトランクを開け、ルカはそのなかにラゲッジを積み込むと、それをじっと見ているテディのところへまた戻った。

「テディ、二週間も一緒にいられなくて寂しいけど……ちゃんと頼んでくるから。眠れないときは夏になにして過ごそうかとか、楽しいことを考えるんだぞ。俺がきっと実現してやるから」

「うん。ありがとう……」

 ルカが車に乗ってドアを閉め、すぐにまた窓を開けて顔を出す。運転席のイヴリンも同じように窓を全開にして、テディに向かって話しかけた。

「モーンクーヘンは好き? 芥子の実のケーキ、よく作るの。よかったら今度、ルカを送ってくるときのお土産にするわよ」

「えっ……好き、です。いいんですか、ありがとうございます……」

「お安いご用よ。じゃあ、楽しみにしててね」

「じゃあな、テディ。ハッピーなイースターを!」

 そうお決まりの挨拶を交わして、テディはルカとイヴリンが乗った白いEクラスが去っていくのを見送った。

 それが見えなくなると、テディは寮のほうへ戻りながら、ずらりと並んでいる何台もの迎えの車を眺めた。そのなかに、クレアのレンジローバーはまだ見当たらない。今日は遅いなと小首を傾げつつ、でもそろそろ来るだろうから、もう荷物を持って外に出ていようかと思ったとき――カーブを曲がって現れたその車に、ふと視線を止めた。

 この学校に子息を預けることのできる家の車である。当然のようにそのどれもが高級車で、さっきイヴリンも乗っていたようにメルセデスもまったくめずらしくはなかった。けれど、今こっちへ向かって走っているメルセデスには見憶えがある気がした――シルバーのCクラス。比較的ありふれたモデル、カラーではあるが、テディはなんとなく厭な予感を覚え、眉をひそめた。

 その車は並んで停まっている数台の脇をゆっくりと進み、いちばん前の、さっきまでEクラスがあった辺りに停車した。寮のエントランスに続く階段のところで立ち止まっていた自分の眼の前を通り過ぎるとき――テディはハンドルを握っている人物を見て驚愕し、その場に凍りついた。

 停車したCクラスのドアが開く音がして身構えるように振り向くと、運転席から降りてきたその人物――デニスは、テディを見て爽やかに微笑んだ。

「やあテディ。今日はクレアがちょっと忙しくて来られなくてね。代わりに僕が迎えに来たよ」

 テディは声もだせずその場に立ち尽くし、表情を失ったまま顔を強張らせ、すうっと躰が冷えていくのを感じていた。

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