Summer Term 「ターゲット」

 食堂に入ると同じハウスの同級生、トバイアス・ウィルフレッド・エッジワースとデクスター・オニールのふたりが先に列に並んでいて、ルカを見て片手をあげた。


 食堂での食事はセルフサービス方式で、各自トレイを持ってメインの料理――今日はチキンとひよこ豆のキャセロール、ボイルドポテトだった――とスープを職員からもらい、サラダバーで欲しいだけの生野菜やフルーツを取ったら思い思いの席に着く。大抵は同じ寮、同じ学年の仲の良いグループが、毎日だいたい決まった場所に陣取っていた。


 ルカもいつもと同じように、先に坐っていたエッジワースとオニールのいるテーブルまで迷いのない足取りでやってきてトレイを置いた。そして――なんとなく後ろを振り返ると、サラダバーまではルカの後をついてきていたヴァレンタインが、ずらりと並ぶテーブルの端のほうへ歩いていくのに気がついた。

 ビュッフェボードからも出入り口からも遠いのでいつも空いている隅っこに、どうやらヴァレンタインはひとりで坐ることにしたようだった。別にずっとつきっきりで編入生の面倒をみるつもりだったわけではないが、こうして黙って離れていかれるとなんだかなあ、とルカは小さく溜息をついた。

「よおルカ。あれか? 噂の編入生ってやつは。なんだかとっつきにくそうな奴だなあ」

 エッジワースも似たようなことを感じたらしい。隣の椅子を引いて坐りながら、ルカはひょいと肩を竦めた。

「人見知りがひどいらしい。ま、もうさっき案内は済ませたし、ほっときゃいいよ」

 ふうん、と頷きながらエッジワースが食べ始めようとするのを見て、オニールがこつこつと指先でテーブルを鳴らした。エッジワースは面倒臭そうに隣に坐るオニールに倣って両手を組み、ルカも一緒に食前の祈りをした。


 このセント・ローレンス・ウィンスタンリー・カレッジは英国国教会に属していて、他の信仰を持っていることは問題ないが、無宗教でいること、無神論を唱えることは許されていない。祈りを捧げ、食べ始めたら私語も禁止されている――が、本当に黙々と食べている生徒はさすがにほとんどいなかった。


「――ひとりで食べるのは無理だったみたいだね」

 オニールが小声でそう云うのを聞き、ルカは振り返ってヴァレンタインのいるテーブルを見た。

 ふたりの生徒がトレイを持って、ヴァレンタインの正面と隣に移動していた。既に食べ終わったらしい五人ほどのグループも、その周りを取り囲んでいる。

 やれやれ、積極的というか好奇心旺盛というか、暇な奴が多いんだなあとルカは初め、気にもしなかったが――何人かがくすくすと笑う声と、かたんとカトラリーを置く音が妙に耳について、もう一度振り返った。

「……どうやら友達になりたくて寄っていったんじゃなさそうだ」

「ああ? ……なんだ、なにやってんだあいつら」

 オニールとエッジワースも、ヴァレンタインを取り巻く不穏な空気に気がついたらしい。にやにやと話しかけられながらヴァレンタインは険しい表情で相手を睨みつけていて、まったく食事どころではないようだった。

 よくよく様子を見てみれば、取り囲んでいる数人がヴァレンタインになにか云ったり肩を小突いたりしていて、ルカはむっと不快そうな顔をした。見られていることに気づいていないのだろう、ひとりがヴァレンタインの髪に触れたと思ったら、ぐっと掴んで引っ張る。

「おい!」

 がたんと椅子を蹴って立ちあがったルカを、周囲の席を埋め尽くしている生徒たちが一斉に見た。反対側の端のほうで食事をしていたらしい体育教師のゴードンも、席を立って「何事だ!」と駆け寄ってくる。

 ヴァレンタインの周りにいた五人はそれを見てそそくさと離れていき、テーブルを移動したふたりは素知らぬ振りで食事を続けた。

「――大きな声をだしたのはおまえか? ブランデンブルク。いったい何事だ」

 ゴードンにそう訊かれ、ルカはどうしようかと一瞬迷いヴァレンタインを見た。ヴァレンタインもこっちに困った顔を向けていた。ルカはしょうがないなと小さく息をついて、ゴードンに云った。

「すみませんでした……虫が、飛んでいたのでびっくりして」

「虫?」

 ルカははい、と頷いて、ヴァレンタインのテーブルの上辺りを指さした。

「なんだか気味の悪い、変な虫だったんで……あの辺に飛んでいったんで、教えようとして、つい大きな声がでてしまいました。申し訳ありません」

 ルカの理路整然とした説明と殊勝な態度にゴードンは、以後は大きな声をださず冷静に対処するように、とだけ云ってさっさと席に戻っていった。

 その後ろ姿をちら、と見やると、ルカはヴァレンタインに手招きをした。ヴァレンタインは少し迷ったようだったが、すぐに自分のトレイを持ってルカたちのいるテーブルへとやってきた。

 オニールの正面、ルカの隣に坐ったヴァレンタインは、俯いたまま小さな声で「……ありがとう」と云った。ルカはなにも云わず、頷いただけで黙って食事を再開した。

 その様子を、今度は取り残されたふたりが気に入らなさそうな目をこっちに向けて見ていた。オニールもそれに気がついて、やれやれと肩をすくめる。

「あいつらも、さっきの連中もみんなオークス寮の奴だね。背の高いのはマコーミック、一緒にいるのはコネリーだ。あいつらはいつもあんなふうに暇潰しの標的を探しているんだ。君についてはいろいろと噂が広がってたけど……まあ、ああいう奴らは相手にせず放っておくに限るよ」

「でもなんかあったらすぐに云えよ。俺がとっちめてやるからよ」

 オニールとエッジワースにそう云われ、ヴァレンタインは少し驚き、途惑ったようにルカを見た。

「ああ、ふたりとも同じ寮のクラスメイトだよ。そっちがトビー、そいつはデックス」

ルカが簡単に紹介すると、オニールはカトラリーを置いてヴァレンタインを見た。

「うん、自己紹介が遅れたね……デクスター・オニールだ。デックスと呼んでくれていいよ。でも、僕のほうは学校の慣習に従ってファミリーネームでしか呼ばないけど、気にしないで」

「こいつはちょっとクソ真面目なとこがあるんだ。気にすんな。俺はトバイアス・ウィルフレッド・エッジワース。かっこいいフルネームだろ、自分でも気に入ってんだ。おまえは?」

 エッジワースがそう云うと、ヴァレンタインは少し迷うように俯き、小さな声で云った。

「……セオドア・ルシアン・レオン・ヴァレンタイン」

 エッジワースはにっと笑った。

「いい名前じゃん、俺ほどじゃないけどな。セオドアか、じゃあセオって呼んでいいか?」

 かしゃん! とカトラリーと皿がぶつかる音がした。

 見ればヴァレンタインがフォークを取り落としたまま、なにか怖いものでも見たかのように顔を強張らせている。隣に坐っていたルカはその様子に眉をひそめ、「おい、どうした?」と声をかけた。はっと我に返ったように、ヴァレンタインがルカを見る。

「……なんでもない……」

 しんとしたきり、なんとなく妙な空気になったのをなんとかしようとしたのか、エッジワースが「あー、そういえば」と切りだした。

「なんでこんな中途半端な時期に入ってきたんだ? 親の仕事の都合とかか?」

 カトラリーを持ち直してキャセロールを口に運ぼうとしていたヴァレンタインがぴく、とその動作を止め、いきなりがたんと席を立った。そのままトレイも置きっぱなしで歩み去っていこうとするのを「おいヴァレンタイン――」と、エッジワースとオニールが声をかけながら目を丸くして見る。

 ほとんど反射的に席を立ち、ヴァレンタインの後を追おうとしたそのとき――ぽんと肩に手を置かれ、ルカは足を止めて振り向いた。

「なんだ、ハーヴィーか。悪い、今ちょっと――」

「わかってる。ずっと見てた」

 ハーヴィーと呼ばれたのはルカたちと同じウィロウズ寮の上級生シックスフォーマー監督生プリフェクト、ハーヴィー・ミルズだった。その背後に同じく上級生、監督生、そして寮長ハウスリーダーでもあるオリバー・エルドレッド・ルーカスもいた。

 こんなときになんなんだと思いながらルカがもう一度振り返ると、もうヴァレンタインは食堂を出ていってしまったのか、どこにも姿が見えなかった。

 しょうがなくミルズに向き直り、「なんか用だったのか?」とぞんざいに訊く。

「おいおい、僕もいるんだがね。それに、ミルズだって監督生なんだぞ? せめて大勢いるなかではそれらしい態度をとれないか」

 ルーカスの云うとおり、アッパースクールの生徒が上級生にこんな口の利き方をするなどありえないことだ。ミルズとルカは、以前ちょっとしたことから気の置けない友人付き合いをするようになった、ちょっと特別な例だった。

「まあ、それはともかく……少し話をしたいんだ。あとで僕の部屋に来てくれないか。ミルズの部屋でもかまわない」

「……話って?」

「そう急くな。お菓子もあるから、コーヒーを飲みに来るつもりでちょっと顔だせ」

 ミルズがそう云うと、ルカはしょうがないなというふうに頷いた。





 昼食後、中庭の芝生で日向ぼっこしてから戻ろうと云うオニールたちと少し話してから別れ、寮へと戻ってくるとルカは自分の部屋のあるフロアを通り過ぎ、最上階にあるミルズの部屋をノックした。



 ここには一度だけ来たことがあった。

 ルカが入学したばかりの頃、当時の監督生だった上級生、ノートンがウィロウズ寮に入ってきた新入生のなかでいちばん目立っていたルカを部屋に誘い、一緒にいた他の寮生仲間に今日からこいつは俺の寮弟ファグだと高らかに宣言したことがあったのだ。

 ルカは寮弟制度についてまったく知らず、初めはきょとんとしていたのだが、上級生のひとりにおまえはこれからノートンの云うことには必ず従わなければいけないんだぞと云われ、ノートンには早速お茶を淹れろと命じられた。

 人に使われたことも、お茶を自分で淹れたこともなかったルカは、はぁ? と首を傾げ「俺は今いらないけど」と答えた。その返答に上級生たちは、なんだその態度は! おまえ嘗めてるのか! と激昂したが、偶々その場にいた、寮長の寮弟だったミルズのツボにははまったようで――彼は大笑いしてその場の雰囲気を変えてしまったうえ、ルカのことを有望だと褒めちぎり寮長を味方につけ、ノートンに寮弟宣言を取り消させてしまったのだ。

 それ以来、ミルズはすっかり気に入ってしまったルカをしょっちゅうかまうようになり、ファーストネームで呼びあうほどの仲になったのだった。



「お、来たな」

 聞こえたのはミルズの声だったが、ドアを開けたのはルーカスだった。ルカたちの使っている二人部屋と広さは然程変わらないが、ベッドやデスクが一人分なので余裕がある。その余裕のある空間を埋めるように二人掛けのソファとロッキングチェアがあり、テーブルにはお菓子の缶や箱と紅茶のカップが置かれていた。ルカがソファの前にあるオットマンに腰を下ろすと、ルーカスが「ブランデンブルクはコーヒーだったな」と電気ケトルのスイッチを入れた。

 コーヒーが出てくるのを待たず、ルカはソファに坐っているミルズの顔を見て話を急かした。

「……で? いったいなんなんだよ」

「まあそう慌てるな。新入り君はどうしてた?」

「いや、部屋には戻ってない。真っ直ぐここへ来たんだ」

「そうか。……ま、そんなに心配することもないかもしれんが」

 ガラスキャビネットの上でドリップバッグに湯を注ぎながらルーカスが云う。この学校で上級生にコーヒーを淹れさせるのはルカぐらいのものだろう。ミルズはジャファケーキの青い箱とファッジの入った缶を開け、ルカの前に押しやりながらチョコレートのファッジをひとつ口に放りこんだ。

「オリバー、俺もお茶のおかわり」

 ルカにコーヒーを出すと、ルーカスは溜息をついて湯の残っている電気ケトルとリントンズのエクストラフレッシュの缶を取り、ミルズの前に置いた。

「どうぞ次期寮長。あとはご自分で」

「どうもありがとう。現寮長のルーカス君」

 おどけたやりとりの後、デスクの椅子の向きを変えて坐ったルーカスが、ようやく本題を話し始めた。

「話というのは他でもない。さっきも早速ちょっとその兆しがあったようだけれど……これから、まず間違いなく噂の編入生は心無い生徒のストレスの捌け口にされるだろうから気をつけるように、ということだ。もちろん僕たちもできる限りのことはするが、まずはブランデンブルク、ルームメイトであるおまえに知らせておくべきだと思ったのでね」

「待ってくれ……間違いなく? あいつが苛められるって? いや、途中から来た奴がそうなりやすいのはわかるけど……それだけじゃないって話か?」

「まあ、そうだ。あの新入り君はな、母親を亡くしたことがきっかけでこの学校に入れられたらしいんだ」

 カップにミルクを注ぎながらミルズが云った。「母親が死んで祖父が引き取り、そこの使用人かなんかに連れられてきたようなんだが、その使用人が校長と話してるときに要らんことをぺらぺら喋ってたそうでな」

「校長に父君はなにをしてた人なのかって訊かれてたんだよ。そしたらあの使用人は、父親はと答えたんだ」

 ルカは眉根を寄せた。

「最初からいないって……」

「私生児ってことだろ」

 ミルズが云うとルーカスは頷いた。

「彼の母親は結婚することなく彼を産んだってことだね。まあ、それ自体は昨今のイングランドでは別にめずらしいことでもなんでもないが、父親不在……というか、あの云い方じゃ不明と取れる。あれはまずい」

「あの云い方って、まさか立ち聞きしてたのか?」

「僕は偶々前を通りかかっただけだよ。だが、どうやら話を聞いていたのは僕だけじゃなかったみたいでね」

「どういうことだ?」

「なかでの話が終わってドアが開いたとき、僕はたった今通りかかったような顔をしてそこから離れたんだが……そのとき、部屋の窓の向こうにこそこそと動く頭がふたつ見えたんだ」

「……外からも立ち聞きしてた奴がいたってことか?」

 ジャファケーキを半分に割りながら、ミルズが頷いた。

「そういうことだ。ま、こんな半端な時期に編入してくる生徒がいるっていうのは数日前から噂になってたし、今日は見慣れないベントレーなんかが駐まってたから、好奇心旺盛な奴らはそりゃ覗くさ」

「それで苛められるって? まあ……そういう奴もいるのかな、俺にはわからないけどね。わかった、気をつけておくよ」

「それだけじゃないんだ」

 ルーカスが組んでいた脚を下ろして、膝の上で手を合わせた。

「問題は、彼のフルネームにもあってね」

「フルネーム?」

「ああ、彼のフルネームはセオドア・ルシアン・レオン・ヴァレンタインというんだ」

「ああ聞いたけど、それが? ふつうじゃないか」

「耳で聞くぶんにはね……。この、レオンだが、スペルは……」

 ルーカスが人差し指を立てて空中に文字を書こうとすると、ミルズが同じように指を立ててそれを制し、ミルクティーのカップにその指を浸けるとテーブルの上に『Leung』と書いた。

「わかるか? ルカ」

 レオンと聞けば普通は『Leon』と思い浮かべる。見たことのない綴字スペリングにルカは眉をひそめた。

「いや……変わってるな、としか……」

「これは、正確にはレオンじゃなくリャンとかリョンと読むほうが正しい。中国人の姓だ」

「中国人の?」

 では噂になっていた中国人との混血だとかいう話はここからきていたのか、とルカは思った。でも、それはおかしい……と考えていたら、ルーカスが続けた。

「彼の髪の色や顔立ちを見る限り、中国人の血を濃く引いているようには見えないが、なにか縁があるのかもね」

「ま、遺伝子の悪戯いたずらってやつは稀にあるけどな。黒人にしか見えない両親のあいだに金髪碧眼で白い肌の赤ん坊が産まれたり」

「問題は、このスペルに気づいて弄る材料にしようとするような輩は、遺伝の法則や見た目なんかは無視するだろうってことだ。ってだけで、標的にする材料としては充分なはずだ」

「だな。特にオークスの連中なんて、ただでさえ家柄だの血筋だのって話が好きな奴が多いんだ。ねちねちと苛めて楽しむには恰好の獲物だろうさ」

「そんな」

 ルカは頗る不愉快そうにミルズの顔を睨んだ。

「俺が苛めようってんじゃないんだ、そんな目で睨むなよ」

「ちなみに祖父君はバーミンガムに大きな屋敷を持つ、引退した投資銀行家バンカーだそうだ。祖父君のところへ母親の訃報を届けたのはヴァレンタインじゃなくて警察だったとも云っていたな……ひょっとしたら彼は、それまで祖父君とは会ったこともなかったんじゃないのかな」

「なんでそんなことが云えるんだよ」

 眉をひそめて訊くルカを真面目な顔で見て、ルーカスは云った。

「あの使用人は、帰り際にこう云ったんだ……じゃあ、あとはよろしくおねがいします、と校長たちにね」

 ルカは首を傾げた。

「それのどこかおかしいか?」

「祖父君が自分に代わって大切な孫をここに連れてこさせるくらいの者ならふつうは、じゃあ坊っちゃん、お元気でくらい云うだろう? それがなかったんだよ。あの男はやれやれ、やっと一仕事終わったとでもいうように、ヴァレンタインの顔も見ずにさっさと部屋を出ていったんだ」

「あの新入り君はおそらく、じいさんの家に遊びに行ったりしたことすらない。だから使用人に馴染みもないし、連絡先すらわからなかったんだろう」

「うん、使用人が冷たい態度なのはひょっとしたら、彼の出生にも関係しているのかもしれないね。家の名誉を汚すようなかたちの恋愛の結果だったとか……許されない相手と駆け落ちしたとかね。だから母君は、一度も孫を見せに祖父君のところへ帰らなかった」

 ルカはこのふたりの推察に舌を巻いた。しかし、自分も気になるとはいえ、こんなふうに他人ひとのことをあれこれと話すのは気に入らない。

「……あいつが苛められるかもってのはよくわかったよ。実際もうちょっかい出されてたしな。でも、それ以外のことはどうでもいいだろ」

「わかってないなルカ。庇ってやろうと思ったら、敵よりもちゃんとそいつのことを知っておかないといけないんだよ。ちゃんと知らないと庇ってるつもりで余計傷つけてしまったりすることがあるからな」

「そうだよ、ブランデンブルク。君がなにも知らずに親の話をしたり、今度の夏休みは家に帰るのかなんて聞いたら、ヴァレンタインは暗い顔をするだろうしね。……そういえば、家で思いだしたけれど、その祖父君がバーミンガムに居るというのにホストファミリーが登録されていたようだよ」

「ホストファミリー? なんだってそんな、留学生でもないのに――」

 云いかけて、ルカはヴァレンタインの持ってきたあの大荷物のことを思いだした。

「そうか……だから、あんな大荷物を――」

「なんだって?」

「冬物までぎっしり入ってたんだ……あんなのまだいらないのに、要領が悪いなあって思って見てたんだ。もう帰らなくていいようにぜんぶ持ってきてたんだな……」

 ミルズはルーカスと顔を見合わせた。

「……それは……逆なんじゃないか。もう帰ってくる必要がないように、持たされたんだ。……どうも祖父君と母親とその相手のあいだ、よほど拗れた気配がするね。ほんとなら孫は可愛いはずなのに」

「結婚を許さなかった相手との子供、か。孫なら引き取らないわけにもいかないしな。さすが元バンカー、年に三万ポンドかけて体面を買ったうえでの厄介払いか」

 それを聞いてはっとする。そうだった……ヴァレンタインはラゲッジから中身を取りだすごとに、いちいち広げて確かめながら片付けていた。あれを詰めたのは彼本人ではない。

「厄介払い、か。残念だけど非常に的を射た見解だろうね。ホストファミリーだってただじゃない」

 ルカはなにかが沸々と肚の底から沸きあがってくるのを感じた。ぎゅっと唇を引き結び、両手は硬く拳を握りしめている。

「……最低だ。どいつもこいつもクソばっかりだ」

「その言葉遣いは注意しなければいけないところだが、気持ちとしては同感だね」

 吐き棄てるように云ったルカを見て、ミルズはふっと微笑み、まあコーヒーを飲んで落ち着け、と云った。ルカが素直にコーヒーを飲み、ファッジをひとつ取って口に放りこむ。

「甘っ! なんだこれ」

「ん? ファッジだよ、初めて食べるのか? ま、そんな感じでいろいろと心配なところのある新入り君だが、不幸中の幸いというかなんというか、編入の申し込みのとき親がいないせいかオークス寮に撥ねられて、ここへ入寮の申し込みが来たわけだ。で、我がウィロウズ寮の一員となる資格を充分に満たしていたヴァレンタイン君を、偶々独居生活を満喫していたブランデンブルク君の部屋に招き入れることができた――ってわけさ」

「初めはそんな事情を抱えてるとは思わなかったから、嫌がらせのつもりだったんだけどな」

「ばらすなよオリバー。……で、まあ、難しいところもあるかもしれんが、気をつけていてやってほしい。こうして同じ寮の仲間になった以上、暇な連中に勝手なことをさせたくはないんでな」

 ルカはしばらく考えていたが、やがてミルズの顔を見て頷いた。

「……わかった。ちょっと面倒な気もするけど、俺も自分の見えるところで胸糞悪いことはされたくない。同室になったことだし、部屋の居心地をよくするためにもまずは仲良くなれるよう、なんとかやってみるよ……嫌がらせだったってのはとりあえず預けとく」

「おまえならそう云ってくれると思ってた。面倒臭がりのわりに生真面目で、正義感強いもんな」

 真面目なトーンでミルズに褒められて、ルカは気恥ずかしい気分で肩を竦めた。

「あ、そういえば」

 ふと気づいてさっきのミルズの言葉を頭のなかで反芻し、ルカは尋ねた。

「この寮の一員となる資格って、いったいなんなんだ? いつも思ってたんだ……オークスは親の肩書きや家柄、ビーチズは成績優秀で真面目な奴、エルムズは理系だろ? でもウィロウズだけはいろんな奴がいて、特色がなんなのかさっぱりわからなかったんだよな」

「ああ、それは……実は、代々監督生にしか引き継がれていない秘密なんだが……聞きたいのか?」

 難しい顔をして、顎を手で摩りながらミルズはルーカスと顔を見合わせた。

「おいハーヴィー……、それは、云わないほうがいいんじゃないか?」

「え……いったいなんなんだよ。なにか、プライバシーに関わるようなこととか?」

「いや、そういうのじゃないんだが……その、知られるとまずいかな、と……」

「まあ、なんとなく気づいてる奴も少なからずいるようだけどね」

「んんん?」

 ルカは小首を傾げながら考えた。気づく、ということは特に調べなければわからないようなことではなく、普通に寮生の共通点を探せばわかるようなことなのだろうか。しかし、得意な科目もやっているスポーツも背の高さも、共通している点などなにも思い浮かばない。

「……しょうがないなあ……。ルカ、絶対に口外しないこと、聞いても怒らないことを誓えるか」

 ミルズにそう云われ、ルカはますます訳がわからないという顔をしつつも頷いた。

 聞いても怒らない、とはなんなのだろう? 悩むルカの顔を見ながら、ミルズはふぅと一息ついてたった一言、こう云った。

「――顔がいいこと」

「――はぁ!?」

 ルカの反応に、ミルズはぽりぽりと頬を掻いて視線を逸らした。

「顔ぉ!? なんだそれ、え、たったそれだけ? って、それが代々ずっと――」

「あー煩い煩い。そうだよ、いつから始まったのか知らないが、ウィロウズ寮はずっと顔のいい、見目のいい奴ばかりを入れてるんだそうだ。思い浮かべてみろよ、オニールは知的で平均的なハンサムだし、エッジワースも目許がきりっとして硬派なハンサム予備軍だ。今はまだただのやんちゃなクソガキだが、もう少し大人になって落ち着いたらあいつはもてるぞ。ヴォルコフスキーも色白でビスクドールみたいだし……」

 ミルズの説明を聞きながら、笑ってルーカスが付け足した。

「そう云ってるハーヴィーがいちばん説得力のある顔をしてると思わないか。そのまんま映画に出てても驚かないようなハンサムだ」

「ふっ、そういうおまえは一昔前の歌手みたいなちょっと濃い男前だけどな。……ま、そういうことなんだわ。ルカ、おまえも毎日鏡見て、自分がどんな顔してるかは知ってるだろ」

 幼い頃から親戚たちに可愛い可愛いとちやほやされ、プレパラトリースクール時代も女の子にもてまくったルカは、自分の容姿が人並み以上であることは充分に自覚していた。こんなふうに云われたところで今更照れもしないし、手放しで喜ぶようなこととも思えない。

「……いちばん初めにそんなことを始めた奴の顔が見たいね」

「とびきりの美男子かもしれないぜ? ま、たぶんまだ当たり前に寮弟制度があった頃に、眉目秀麗な取り巻きに囲まれることがステイタスだったりしたんだろうさ。美少年趣味もあったのかもしれないな」

「……聞くんじゃなかった。いったいなんだろうなって考えてた時間を返してほしいくらいだ。なんかどっと疲れたわ」

 そう云って残っていたコーヒーを飲み干しルカが頭を抱えると、ルーカスがちらりとミルズの顔を見た。ミルズは苦笑でそれに答え、「よしよし。じゃ今日はそろそろ解散ってことで……残りのお菓子持っていっていいぞ。新入り君はさっき、ほとんどメシも食えずに食堂を出てっただろう? 腹を空かしてるはずだ」と、開けてあった青い箱を閉じた。

「ああうん、もらうよ……あ、そういえば」

 ジャファケーキの箱を手にして席を立ちながら、ルカはふと思いついて質問をしてみた。

「サモシュとか、シュトゥメルって知ってるか?」

 ミルズとルーカスは顔を見合わせ、そして首を横に振った。

「いや、知らないな……なんのことだ?」

「いや、いい。……じゃ、俺もう行くわ。コーヒーごちそうさま」

 そう云って、ルカはミルズの部屋を出ていった。

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