第40話

居間に上がると権田は絵を開いた。

 それを見て護が言った。

「ピカソじゃないか。これは《泣く女》」

 黒い額に入っている60x40サイズのキャンバスの中の女が鳴いているピカソの作品だった。

 右半分薄い緑の部分が雨で濡れ、また塗料が落ちていた。

「どうです、護さん。できますか?」

 護は暫くじっと見ていいたが、権田に言った。

「日数は?」

「四日で、いや・・三日と言うところでしょうか」

「分かった。じゃぁ三日後に」

 権田が頭下げた。

「すいません。護さん、無理を言って」

破顔して護が言った。

「とんでもない、君のおかげで僕は毎日が命の燃焼が出来て嬉しく思っている」

 それを聞いて護の顔を見た。

「体の方は・・?」

 ああ、と低く護が言う。

「何とか薬のおかげで小康を保っている。何・・このピカソを仕上げるまでは命はあるさ・・」

 そう言って権田は部屋を見まわした。

 部屋に置かれた荷物がきちんと梱包され整理されていた。

「護さん、部屋の荷物が整理されているみたいですが・・」

 それを聞いて護が言った。

「ほらこの前、この裏で火事があっただろう。それでこの長屋もいくつか火の粉が飛んでね、被災を受けてとうとう駄目になった。それで家主からの紹介で最近建てられた別のアパートに越すことになったんだ。それも家賃が無料らしい」

「そうですか。しかしよくそんな良いところが見つかりましたね」

「そうなのだけどね。なんでも僕の病気だと、そうした行政補助が受けられるらしいと、訪ねて来た役所の人間が言っていたよ。清君、病気にはなって見るものだね」

 そう言って大きく笑うと、静かに言った。

「そしておそらくそこで自分の最後を迎えることになるだろうね」

 そういうと護は大きく笑った。

「冗談はよして下さい、護さん」

 真顔で権田は言った。権田の真剣な眼差しを見て、軽く頷いた。

「もしそこに移ったら、洋一郎君にも来て欲しいと思っている。でも海外へ行っている忙しい身の上だから・・難しいかな」

「そんなことないですよ、乾さんなら時間を作ってでもきっと来てくれますよ」

 護はうん、と言って頷いた。

「その時は、鍋井先生から預かった《芦屋の向日葵》を見ながら思い出話がしたいな」

「そうですね」

 権田は言って護の顔を見た。いつもと変わらない護の穏やかな微笑が見えた。

 そして三日後、見事に修復されたピカソの絵を受け取った権田は、それを持ち帰り近松へ渡した。

 しかしその日を最後に、権田は再び護に会うことは無かった。

 土岐護は新しいアパートに越した後、静かに息を引き取った。

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