第27話

成人を迎えた日の夜、護は神戸から屋敷に戻った憲介を訪ねた。

 スーツ姿のまま憲介が椅子に腰かけて応接間で護と向かい合った。

 首にかけた手拭いをズボンのポケットに押し込むと護は真剣な眼差しで憲介を見た。

 その様子を見て何かを感じた憲介は、軽く頷いて微笑を返した。

 その微笑で少し気持ちを落ち着かせた護は、視線を下げて沸き上がる気持ちを押さえながら話し出した。

「お父さん、実は僕はこれから自立しようと思うのです」

 憲介が黙って頷く。

「両親を亡くした僕をここまで育てていただき、本当に感謝しています。そしてこれからはお父さんの支援が無くても生きていける様に自立していきたいと考えています」

 憲介が言う。

「護君、それで君はどうしようと思っているのかな?」

「はい」

 そう言って沈黙した。

 ん?という表情を憲介がした。

 中々その先を言い出さない護を憲介は急かすことなく、同じように黙って居間の柱にかかる時計を見た。

 ゆっくりとその時計の針が一周した時、護が言った。

「すいませんお父さん。僕はお父さんの乾海運でお勤めすることを選ばず、亡くなった両親がそうであったように漁師として一人前になりたいとおもっているのです」

 そのことを聞いて憲介は少し寂しそうな表情をしたが、唯黙って頷いた。

 実は護の心の内の事は妻からそれとなく聞いていた。

 妻が頼子からそれとなく聞いていたのだ。

 だからそれ程驚くことは無かったが、やはり本人から聞けば寂しさは隠せなかった。

 しかし憲介は一つ咳ばらいをして笑顔になった。

「妻から護君の心の中の事はそれとなく聞いていたよ。確かに私の会社に勤めていただけないのは非常に残念だと思っている。将来は息子の洋一郎を助けていただければと密かに思ってはいたけどね」

 憲介が顎を摩りながら、残念だと言った。

「すいません」護が頭を深く下げた。

「いや、護君。何も君が謝ることは無い。将来は自分で決めることだ。唯僕が少しだけ期待をしていただけだから」

 そして咳ばらいをした。

「頼子さんと結婚するのかね?」

 それには護はしっかりと頷いた。深く息を吐きだしながら護は言った。

「そう願っていますが、しっかりと自立できたからと思っています。できれば二、三年の内には、と・・」

愉快そうに憲介は護に聞いた。

「頼子さんも君の気持は?」

「はっきりとは言っていませんが・・理解してくれているようです。ただ明日から東京の方に行きますので。そうした話は東京から戻ったからにしようかと」

 うん、と憲介は頷いた。

 東京にいる護の兄の哉が体調を崩して入院していると手紙を三日前に受けた。

 手紙は新島からだった。

 取り急ぎ頼子が兄の容態を確認する為、明日東京へ汽車で向かうことになっている。

「お兄さんの容態が悪くないといいが・・」

 憲介の言葉に護が言う。

「すいません、東京までの汽車賃まで頂いて」

「いや、気にしないでくれ。会社の経費で処理することだから。東京も復興でかなりにぎわっているらしい。関西も早く大阪を中心に復興していかなければ」

 そうですね、と護が言った。柱時計が鳴った。

 低い音が居間に響く。

 音が消えると憲介が言った。

「いつ、屋敷を出るのかね?」

「はい、少し誰かについて仕事を覚えようと。両親の漁師仲間の方がいらっしゃるようなので、その方についてからですから来年の春頃になるかと」

 それ以上護の将来の事について憲介は何も言わなかった。

ただ何かを思い出したように護に言った。

「ところで護君、絵は続けてくれるのかね?」

 それには護は頷いた。

「はい、絵は続けようと思います。今でも鍋井先生の所には顔を出していますし、少し自分の事で落ちついたら、描こうと思います」

「画家に・・」憲介が言葉を詰まらせる。

 顔を護が上げた。

「画家になると言う夢は諦めないでほしい。何せあの鍋井先生が君にあの向日葵をお渡ししたのだから、きっと護君には素晴らしい才能があるのだよ。漁師として自立しながら画家になる道を模索して進む道も、簡単なことではないと思うが、若者が歩く光輝く道だと思う。もし息子の洋一郎が一人前の財界人として成長したら山本氏の様に芸術を保護できるようになれるといいとも思っている。その時はきっと二人が戦後の関西を、いや戦後の人々の心を光り輝かせるような人物になると僕は願っている」

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