第23話

少年は暫く憲介の屋敷に居た。

日に日に体の状態も良くなり、そして次第に笑顔を取り戻していった。

洋一郎とも気が合うのか良く話をした。

少年は庭から見える小さな小屋にいつも護が入るのを不思議に思っていた。

ひとりのときもあれば頼子と一緒の時もあった。

洋一郎も入ることがあった。

そこで少年はある日洋一郎に聞いた。

「ねぇ、洋一郎君。あそこには何があるの?」

 権田少年の問いかけに洋一郎が口もとで指を立てるとしーっと言った。

 そして耳元に口を寄せた。

「清君、あそこにはすごい絵があるのだよ」

「絵?」

 うんと洋一郎が頷く。

きょとんとして少年は洋一郎に聞いた。

「絵?なんの絵?魚とか?」

「違うよ」

笑いながら洋一郎が言う。

「何なのか分からないよ」

 困り顔で権田少年が言った。

 すると洋一郎が少年の手を取った。

「一緒に来て」

 すると庭先で下駄を履いて二人が護の小屋に入った。

 中は暗かった。しかし窓があってそこに陽が差し込んでいた。

 見渡すと奥で護が何かに腰かけているのが見えた。頼子を前に立たせて何かをしているようだった。

油の何とも言えない匂いがした。

「護さん」

 洋一郎の声に護が振り返った。

 頼子も同じように気付いた。

「洋一郎君、どうしたの?」

「ねぇ、あの向日葵の絵を清君にも見せてもらえないかな?」

 洋一郎の後ろに立つ権田少年の姿が見えた。

少し難しそうな表情をした護を頼子が見た。

 護があの空襲以来、あまり向日葵の絵を人に見せないようにしているのは知っている。恐らく山本家に対する遠慮だと頼子は思っていた。

「護さん」

頼子が言った。

「清君にも見せてあげて。別にいいじゃない。この絵はこれから生きようとする子供たちには是非見てもらいたいものでしょう?それに清君にとってきっと良い思い出になるから」

護は少し考えると頼子の声に「そうだね。君の言う通りだ」と頷くと奥の暗闇から大きな木箱を出した。

「さぁ」と言って洋一郎が権田少年の背を押した。

 少年は恐る恐る側に近寄った。

護が木箱のふたを開けてそれをイーゼルに置いた。

「清君、これは普段はお見せできない秘密の絵だけど、特別に君に見せてあげる」

 そしてゆっくりと護が絵の側を離れた。

 権田少年の前に大きな青色が広がりそして太陽の輝きが見えた。

 権田少年は声もなく目を見開いた。

 青い空の下で輝く黄色い向日葵に権田少年は誘い込まれた。

(美しい。そしてなんて幸せで希望に満ちている向日葵なのだろう)

 少年は思った。

「どう?清君」

 そう聞く洋一郎に瞬く声が出なかった。

「びっくりしたかな?」

 再び洋一郎が聞いた。

それにはコクリと頷いた。

そしてすごいなぁと言った。

「ね?凄いよね」

再び少年は頷いて護に聞いた。

「これはお兄さんが描いたの?」

 それには護はゆっくり首を横に振った。

「これは僕が描いた絵じゃない」

「ゴッホさ」

 洋一郎が言った。

 それには少し護は困った顔をした。

 この絵がそのゴッホの向日葵の模写だとは洋一郎には言っていない。

 まだ子供にそのことを言うのはもう少し大人になってからでもいいだろうと実は憲介と実は話し合っている。

そして大人になった適切な時期に憲介から洋一郎に話をするまでこの絵を護が預かることも決まっている。

(できればその時までにはこの絵の模写を完成させたいものだ)

 はしゃぐ洋一郎を見て護は思った。

(しかし、これからどうすべきか)

護ははしゃぐ少年を見ながら思った。

(画家になると僕は新島さんには言ったけど、しかしまず自立しなければ・・・)

そして頼子の横顔を見た。

(結婚したいと言っても、今ではとても・・・)

 二十歳をこえるのはもうすぐだ。しかしまだ何も社会で生きていく術がない。

 護は向日葵を見て思った。

(兄はどうしているだろうか)

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