第20話
鴨川を滑るような風が吹いて権田が握りしめているメモを揺らした。
(土岐さんの名前を再びお聞きする日が来るとは・・)
権田がメモの文字を指でなぞる。
(初めてお会いしたのは終戦直後のあの空襲のあった芦屋の焼け野原の瓦礫の中だった)
権田は顔を上げた。
(その日、私は疎開地の亀山から歩いて神戸の親類のところに向かっていた)
下駄の紐が切れた。
いや紐と言うものではない。朝にちゃんとした紐は切れた。だから近くの田のあぜ道から葉の長い物を選んで細くし、それを織って紐にした。
それが切れた。
(もうだめだ・・疲れて歩けない)
少年はもう体力が無くなっていた。その場に座り込むと瓦礫の土塀に背をつけて背負った荷物を下ろした。
荷物から生成りの巾着袋を取り出すと口紐をほどいて中を見た。
小さな砂の塊の中でやせ細った芋が見えた。
亀山の親類宅から神戸へ向かうときにはいっぱいだった芋はもう殆ど無くなっていた。
それだけでは無かった。
僅かばかりの路銀も途中でチンピラのような男に巻き上げられた。
その時抵抗したため男に殴られ、左頬には大きな青い痣が出来ていた。
少年は芋を取り出した。
それを食べればもう明日の分は無い。
先程道をすれ違う人にここはどこかと聞くと「芦屋」と言った。
とてもではないが神戸までは遠かった。
恐らくこれだけではそこまで体力は持たないだろうと思った。
少年は先程見た光景を思い出した。
野犬の群れが多く集まっているところに白骨した死体がたくさん集まっていた。
無残な骸だった。
それを飢えた野犬が咀嚼していた。
(自分もああなるかもしれない)
腹が低い音を立てた。
(だが生きたい、そしてできれば生きて神戸にいる母さんや父さんに会いたい。だって戦争は終わったのだから)
少年は疎開した学校の広場で多くの人が集まるなかラジオで終戦の事を聞いた。
そしてそれから一週間もたたないうちに疎開先の親類宅を出た。
親類宅では赤子を抱えていた。
それに食い扶持も少なく、少年はそれを思いそこを出た。
親類はせめてものの事を思い僅かな路銀と蓄えてあった芋を少し分けてくれた。
それらを荷物にして背負うと少年は旅立った。
しかしこの場所で力尽きそうだった。
少年は芋の土を払うと辺りを見回した。
近くに急造の門が見えた。
這うように少年はそこに向かった。
(火をもらおう。吹きいもか焼き芋にしよう)
そう思うと門の前に立った。しかし足が空腹の為力が入らない。震えていた。
声を出そうとしたが、力が出ない。
それでも何とか声を出そうとした。
「あの・・火を・・」
そこで少年は崩れ落ちた。
崩れ落ちた少年の握りしめていた芋が転がって行く。
(もう、駄目だ。父さん、母さん、ごめん)
そう思いながら目を閉じた。
だから少年は転がる芋を拾い上げた同じ年頃の少年が居るとは知らなかった。
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