第19話

(七月の陽は、六月とは違うな。やはり夏と言う感じにさせてくれる。それに京都は盆地のせいか夏は暑い)

 権田は鴨川沿いの椅子に腰を掛けながら額の汗をハンカチで拭った。

 一時間ばかり前に会合のあったホテルに近松から電話があった。

「権田さん、今水野先生と一緒におるんやけどこれから大原と鞍馬を抜けて京阪三条へ向かうわ。多分、小一時間でそちらに着くと思う」

 歯切れのいい元気な近松の声でツーリングが良い成果を得たのだと権田は思った。

 鴨川には少し影が差し込み始めている。

 遠くの山に陽が少し傾き始めていた。

 暫く椅子の上から鴨川ではしゃぐ人達や間隔を置いて腰を下ろす大学生たちの姿を見ていたが、やがて胸ポケットから一枚の小さい紙を取り出した。

 折りたたまれた紙は少し汗で滲んでいる。

 そして滲んだ紙の中に鉛筆で書かれた文字が濡れていた。

 神戸のLEONを出た後、近松から電話を受けて調べてほしいことがあると言われたことを電話越しに書き留めたものだった。

 LEONで別れて既に数日が過ぎている。

 その間に玲子の容態が急変して三宮の病院に緊急入院したことを聞いた。

 それを聞いて権田は胸が痛むを覚えないではいられない。

(妹の綾子さんだけではなく、玲子さんにまで何かあれば私は乾さんに顔向けができない・・)

 そんな焦燥にかられた時、近松から電話を受けた。


「権田さん、少し調べてほしいことがあるねん」そう言って鼻をすする音が電話越しに聞こえた。

 近松が事件を担当して何か必要な情報を得たいときはいつもそう言ってから鼻をすすった。

 権田には勿論、それは誘拐事件に関連することだと分かっていた。

 だから答えることに躊躇いは無かった。

 近くに置いてある小さなメモと鉛筆を取った。

「どうぞ、近松さん言ってください。メモを取りますから」

 うんと言う近松の声が聞こえた。

「権田さん、土岐護と言う人物を調べてほしいねん」

(土岐護・・・!)

 権田は電話口で少し息が止まった。

 思わずえ?と聞き返した。

「あれ?権田さん聞こえへんかったかな。土岐護という人物のことを調べてほしいんよ。あとなぁ・・・その人物が信濃橋洋画研究所か中之島洋画研究所に通っていた頃を知っている人が居たらその頃のことを教えてほしいねん」

 権田は電話口で近松が言った人物の名前を聞いて驚きを隠せなかった。

 少しの間、無言が電話口で続いた。

 あれ?という近松の声がした。

「権田さん、聞いてる?」

 それに慌てて権田が言う。

「え、ええ。勿論聞いていますよ。すいません、今メモを取っていましたので」

 そうかと言う地松の声が聞こえる。

「いや別件でな。ほら例の詐欺事件があったやろ。それにその人物の名前が出てんねん」

「そうでしたか」

 冷静に努めて権田は言った。

「その人物・・昔自分も絡んだことがある人物なんやけどな、また詐欺事件で名前が出てな。もう俺も退職が間近やし、後任の刑事に引き継ぎしとかなあかんからせめてその人物の事を調べ直して刑事最後の仕事にしたいねん」

(最近の詐欺事件なのに土岐護の名前が出ている)

 権田は頬を摩りながら今書いたメモを見た。

 土岐護

 信濃橋洋画研究所

 中之島洋画研究所

 権田の心の中で思いがよぎった。

「権田さん、どう?調べがつくかな?」

 はっとして権田が答えた。

「10日に京都のホテルで関西のギャラリーの会合があるのですが、そこで聞いてみます。もしかしたら何か情報が得られるかもしれません」

 そうかと言う近松の明るい声が聞こえた。

「しかし、何分古い話しやからな。出てくる話もおとぎ話みたいなものやろうな」

「そうかもしれませんね」権田が頷く。

「会合は何時まで?」

「昼には終わります。昼の二時には時間が空きます」

「ほんならその日の午後三時に京阪三条の橋の下の鴨川のところで待ち合わせしよか」

「ええ、分りました」

 それで電話を切ろうとする近松に権田が言った。

「京都まで何で来られます?電車ですか?」

 いやと近松は言った。

「バイクで行くわ。連れが居るかどうかは分からんけど」

 ほんならと言う声で近松は電話を切った。

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