第12話
静かな夜だった。
蚊帳の内で哉の寝息が聞こえる。
その向うで新島が同じように静かな寝息をたてて寝ていた。
襖向こうの部屋では頼子が寝ている。耳を澄ませば頼子のゆっくりとした寝息が護の耳に響いた。
開かれた縁側から先程流れて行った雲の切れ間から覗いた月明かりが見えた。
(穏やかな夜だ)
護は横を向けていた身体を向き直すと天井を見た。
久しぶりに兄と頼子と過ごすこの時間がとても幸せに感じた。
両親は既にこの世にはいない。自分はその後この乾家で実子同様に大事にされている。
今は疎開している憲介の妻と息子の洋一郎も自分を大事にしてくれている。
薄ぼんやりと見える天井の隙間を見て自分の将来を考えた。
憲介はもし自分が成人すれば自分の会社で働かせたいと思っている。そして立派な成人として見守り育てたいと人伝で聞いている。
(しかし)と護は思った。
(自分の人生については自分で決めたい)
自分の手を上げて見つめた。
(もしできることなら画家になりたい)
だがそれは難しいことだと思っている。戦争が激しくなっている中でそれは難しい。人々の娯楽や芸術は隅に置かれ、今は戦争に勝つことだけに社会全体が動きだしている。そんな中で画家として自立して生きて行くことは皆無の様に思えた。
両手をじっと深く見つめた。
(それならば両親の様に漁師として生きたい。両親の家業を継ぐことは決して悪くないことだ)
「何を考えている?」
護はその声の方を見た。
「夜に手を見つめて何を思い悩んでいる?」
新島だった。いつ起きたのか半身身体を起こしている。
護も身体を起こした。
「寝ていなかったのですか?」
護の声に新島は低く言った。
「神経が敏感なのだ。隣で誰かが起きていればすぐ目が覚める」
護は薄い暗闇の中で自分を見つめる新島の目を見た。
護をじっと見つめていた。
その目を見て護は言った。
「将来の事を考えていたのです。どうすべきかと」
「そうか」と新島が答えた。
「大事なことだ。次の時代にどのようにして生きて行こうとするのか、それを思い悩み考えることは」
優しくどこか言い聞かせるように新島が言うことに護は驚いた。
その護の表情を見て新島が言う。
「意外かね、俺みたいのが言うのが」
護は小さく頷いた。
声には出さないが口を小さく動かして新島は微笑した。
「新島さんはどのように生きるのですか」
護は思い切って聞いた。
急にこの新島と言う男がどのように将来を考えているか聞きたくなった。
(しかし、年下などに言うだろうか)
護は聞きながらそう心の中で思った。
月明かりがゆっくりと陰るのが分かった。
その陰りが部屋全体を覆うと新島の声が聞こえた。
「俺か・・」
少し間を置いて新島が言った。
「俺は新しい時代に政治家として生きる。そしてこの混迷した国を立て直す」
「政治家に?」
護は驚いた。
「ああそうだ。既にドイツは負けた。こんな愚かしい戦争を続けている国はもはや日本だけだ。この国はいずれ戦争に負ける。その後は米国をはじめとする連合国がこの国を統治下に置くだろう」
再び月明かりが部屋に差し込み始めた。
「俺はその後に訪れる時代を見ている。その時俺は連合国の支配下で息を詰まらせるように生きる様な事はしない。俺は奴らと取引をしてそしてこの国を新しい場所へと向かわせる、そんな政治家になる」
差し込んだ明りが新島の顔を映した。
その表情に感情は無く、切れ長の瞼が薄く閉じられていた。鼻筋は真っ直ぐに伸びており、月明かりに照らされた頬は白く映った。
護は初めて新島の相貌を見たような気がした。
目深く被られた帽子の下でとても才能が溢れている知的な顔立ちが隠れていた。
(これが新島さんか・・)
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