絶命フルコース

 貴方の喉からひゅ、という息が漏れる。残酷な選択を眼の前にして、それでも貴方はこの邪神を満足させる術がわからない。わからないなりにあたなは手を打った。交渉材料はこの身一つだけだ。だからこそ、医学に強いと思しき青年にも協力を仰いだ。青年...景久は未だ貴方の選択を待っている。貴方が結花を殺すことのない選択を取ることを待っている。貴方の肺の奥底から、一つ一つまるで噛みしめるかのように貴方は声を吐き出した。

「お前が...”兎司光の魔女”、猫宮と頼久の遺伝子を合わせて石黒花という女の子をカルト集団に造らせた理由」

「それはきっと石黒頼久を気に入っていた、というだけではないはず...だ」

「お前は」

「人間を人間が食べるところが...っ、見たい、んだろう...?」

『正確には違ってくるけれど、まぁ、そうだねぇ』

「そして」

「お前は過去に行ける」

「違う、か...?」

『そうだねぇ』

『調理器具は現地で調達しなきゃだけども』

「なら」

「なら、ば!」

「愛花に...俺の妻に!俺を食べさせればいい!」


『...うーん、それじゃあつまらないなぁ』

「これ以上何を要求する気なんですか」

 ぴしゃり、と言い放つ景久、ぎっ、と上条八雲の中にいる”店長”を睨め付ける結花。構わず飄々とカウンターに足を組み腰掛けたまま、”店長”ーーー悪夢の権化のような何かはケラケラと笑った。

『黒野まつりに君が食べられるってーのはどうだい?』

「却下だ!」

『安心しなよ、”こちらの”寂しく独りで夜に泣いている黒野まつりさ。”君の”この身体の持ち主の隣で幸せに笑っている黒野まつりじゃーーー』

「だ...としてもあり得ない!」

『ああ、黒野まつりとこの身体の持ち主の子供に選ばせても構わないけれどーーー』

「それも却下に決まっているだろう!」

 悲痛な貴方の声が喫茶カンパニュラに広がれば、店長はまたもやくっくっ、と笑った。

『うーん、なら。逆ならばいいよ』

「...石黒さんが?食べるの、奥さんを...?」

 それくらいなら私が、と続く言葉に噛みつくように、

「石黒さんが許しても僕が許さないよ」

 景久の凛としたまっすぐな声が響く。

「やるさ...それで、全てが守れる、ならば」

 孤独な痛々しい自己犠牲の愚直な宣言が場を揺らした。側の少年少女は息を呑む。

『よし!なら決まりだ。京ちゃん、ちょっと体貸して〜』

「...全く、仕方のない人ですね」

『じゃあ行くよ...さん、にい、いち...』

        ぜろ。

 冷酷なカウントダウン。沈殿し濁ったような青の八雲の瞳がキラリと橙に光る。

「...っは...な、ぜ、...ここは...結花?」

 息を切らす八雲。結花は駆け寄ることすら出来ず、ああ、と安堵のため息を漏らす。

「八雲お兄ちゃん!」

「...」

「いいの、おじさん?...私が食べてもいいよ?」

「結花っ!」

「いいさ。愛花は...俺が食べる。俺以外に食べさせるなんてのは...ああ、だから大丈夫だ、お嬢さん」

 一つの白くシンプルな皿を持って京が現れる。瞳が紅い。まだ彼は金ヶ瀬京その人だと、貴方ははっきり解るだろう。

「...ごめんなさい、八雲お兄ちゃん...今状況を説明している暇は...ない、かも...っ」

 ことり、と貴方の目の前に皿が置かれる。サラダだ。手足の指がはっきりと見えるように前衛的な配置で置かれている。

「アンティパスト...前菜ですね。愛花様の指のボイルでございます」

 貴方がえずくように呑み込めば、時間を立たせずに置かれる皿。中の目玉が貴方をまっすぐ見つめる。

「プリモピアット...愛花様の脳髄のパスタだよっ!」

 貴方と食事を飲み込んだ腹のステーキ。生々しい肉汁とバター。

「セコンドピアット、愛花様の腹部のステーキです」

 貴方の隣を歩くために使われていたヒレ肉。

「次は温野菜だねっ。秋の味覚と愛花様のヒレ肉ササミです!」

 あの笑顔を生み出していた頰肉。

「次はチーズになります。愛花様の頰肉でお作りしました生ハムとクラッカーになります」

 愛しい我が子のかつての揺りかごだった子宮。

「デザート!もう終わりは近いよ!愛花様の子宮バニラチョコレートがけになりますっ!」

 優しく暖かい体温の元だった彼女の血潮。

「最後です。愛花様の血液の珈琲となります」

 それらをぐっ、と無理矢理呑み込んで仕舞えば、芳醇で甘く、鉄臭い匂いと後味が貴方の口に広がる。頭を抱え未だ頭痛と戦っている八雲と口を押さえ衝撃で黙りこくってしまった結花の隣で、真っ青になりながら飲み込み切った貴方を見、景久は貴方に駆け寄って呼吸を促した。

「吸ってください石黒さん!呼吸をしてください!いいですか、吸って、吐いて、吸って...そうです...その調子です、」

「っ、っあ、ふ、う、」

「...結花を犠牲にすることのない選択を取っていただいて、有難うございます」

「...っ、はぁ、う、う... 」

「貴方は尊敬出来る人です...本当に、有難うございました」

「ゔ...っ、はは...おじさん、尊敬されたの、いつぶりかなぁ...」

「...おじさん、そんなこと言わないで。私、おじさんのことすごく大事に思ってるんだから...」

 貴方が少年少女に文字通り”手当て”を受けたその直後、邪神のからかうような声が降ってくる。いつも京が放つ声とは似ても似つかない、邪悪で無邪気な悪意を含んだ声だ。

『で。君はどんな”もしも”を願うんだい、人間』

「俺は...」

 息を吸い込む。吐く。今なら言える、と貴方は口を開く。

「”石黒頼久が健康体の、殺人鬼ではない普通の人間だったら”」

「”上条八雲が死ななかったら”」

「”この世界で俺を殺した怪物が存在しなかったら”」

「この三つを...願おう」

 ふんふん、と目を閉じ邪神はうなずいていたかと思えば、おもむろに両腕を広げ、ニヤリと笑ってこういった。

『では...代償を頂こう!』

 瞬間貴方の頭の中に貴方の悲惨な過去の映像が流れていく。...いや、違う!これは貴方だけの記憶ではない、そう貴方は気付くだろう。グロテスクな整った夫婦の変死体、側で美しく邪悪に微笑む少年。同じくグロテスクな別の顔の整った夫婦の変死体、側で膝をつき涙さえ出さず沈痛な面持ちのまま固まった、美しい少年。次の瞬間別の少年が飛び出してそばにいた少年に摑みかかる。どちらの映像の中の少年達も、一方的に先に映像に映っていた少年を責めているらしかった。あまりにも痛々しいその光景は、貴方のものとは全く別の記憶だ。つい先程まで凄惨な交通事故の現場が貴方の頭の中をリフレインしていたというのに...よりによってこの光景か。そう貴方は歯噛みするかもしれない。

『願いに関わる人物が体験した”死”に関わる出来事が見えるんじゃないかい?...うんうん、いい夢、いい悪夢だね!』

『人間の精神値を食べて僕は権能を取り戻してゆけるからね』

『必要があってこんなことをしているのさ...ただいじめたいだけじゃあないってこと、忘れないでくれ給え』

『あ、でも、その映像はオマケだけどね!』

 遠くで結花や景久、八雲の声がぼやけて聞こえる。まるで水の中にいるようだ、と貴方は思うだろう。そんな貴方の頭の奥で、

『生きろ...生きてくれ、藤沼ァ!!!』

 聞き覚えのあるようなないような、悲痛な声が鳴り響いた。

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