密蜜ヴァニラ

「...はぁ」

「どーしたのよ猫宮ちゃん。ため息なんてついてさ」

 上条先輩を連れずに路地裏に行けば、彼はいつだって待っていてくれる。そもそもが探偵部とやっていた時だって、彼ーーー隼人はいたのだ。ただ、隼人は他人に探偵部のことを話すとき、美容師の親戚が全てやったことにしてほしいと頼んできた。兄である上条先輩に知られたくないのか、それとも別の何かを考えているのか。とにかく私たちは旧知の仲で。隼人が情報を集めて、飛鳥が情報を精査し、部長がいとも簡単に解き明かした謎を私が実行してバックアップ、という流れでよく活動していた。本当に懐かしい。隼人の情報能力は恐ろしいまでにあの頃より上達していて、今や久しぶりにあったかと思えば、説明の付かない超常現象にも思えるほど色々な事を知っているようになっている。

「いやぁ...別に」

「いやいやいや、そんな事ないでしょ。例の殺人犯の弟に会ったのに」

「...やっぱり知ってるじゃああああああああああん!!!」

「逆に知らねぇと思ってたのかよ」

「思ってないです」

「だよなぁ」

 倉庫の上で足を揺らしてからからと笑う様は気ままな猫のようだ。やっぱり全然変わってない。

「無知は罪なり、知は空虚なり。英知持つもの英雄なり、ってな。俺の座右の銘」

「えーと、つまり?」

「知らない事は悪い事だけど、知ってるだけじゃ何にもならねぇ。知ってるやつはその分行動する義務と高貴さがあるってこった」

「いや、それはもう耳タコ」

「あり...?そっか...そうだったっけなぁ」

「で?今回は何を企んでるの?」

「人聞きの悪い事言うなよな...データくれてやらねぇぜ?」

「誰の?」

「弟さんの」

「ま?」

「ま」

 頭がいいのか悪いのかわからない会話とともに、ひらりと落ちてくる紙。パシリ、と両手で挟んで受け止める。

「石黒明久。面布やお面を被ってたり、猟銃を持ってたりする明らかーにヤベーやつだ」

「それは知ってる。というか、怒ると警察に発砲するレベルでヤベーやつなのも分かってる」

「え、マジ?ちょー怖いじゃん」

「それね」

「というかやられたのそれ」

「まぁね。でも治してもらった」

「それよ。それ」

 びし、と上から人差し指を指してくる。とてもうざい。

「そのなんかよくわかんない神様みたいなの...林檎だっけ?」

「そう、林檎さん」

「にさぁ、加護を受けてるっぽいのよね」

「それはわかるけど...」

「”目立たなくなる”効果の加護を」

「...」

「今の地位じゃ兄貴もお前も指名手配なんざ出来やしないけど。でももし指名手配したとしてもギリ捕まんねぇくらいの補正がかかってんの。面布とかお面とか猟銃とか、抜きにしたらの話だけどさ」

「つまり?」

「お前だけで探すのははっきり言って無駄」

「だろーなぁ...」

「背景としてはまあ例の殺人鬼の弟で、あれに実の両親を殺されてる」

「誰に?」

「兄に」

「...っ、」

「初恋だったんだろーな」

 その気持ちはよく分かるぜ、俺も。そうぼやいた隼人は、俺の初恋もかーさんだったクチでさぁ、でもとーさんもかっこよくて超いい人だったから、恨みきれなかったのよね、と続けた。

「でも、殺人なんて...許されるわけない...!」

「ほんとそれな」

「軽くない?」

「軽くねぇ、軽くねぇ」

「...ほんと?」

「あーっとこっからは料金がかかるぜお客さん」

「ちょっと...話逸らしすぎ...私そんな苦しい事言った?」

「今ならあそこのカフェのコーヒー一杯で許してやらん事もない」

「...乗った」

「ヒャッホゥ」

 からんからん。涼やかなドアベルがなって数分後。

「知らない事、こんなにあると思わなかった...」

「だから言ったろ?最初っから意地はらずに俺に頼んどけって」

 石黒兄弟についての資料は、メタ的に言えばルルブの厚さほどあった。住所から好きなキャンディの味に至るまで様々なデータが書かれている。

「...」

「おいおい、むすくれてんのかぁ?」

「だって...」

「まぁね?あんなにしたのになんで何も教えてくれなかったの!ってのはあると思うのよ」

「あんなにって...!もしかして知って...」

「あ、やったんだ...へーぇ」

「カマかけた!この人、元探偵部の仲間に!カマかけた!」

「だーっうっせー!情報屋なんてこんなもんだよバーカ!」

「バカって言った方がバカだよっ!バーカバーカ!」

「うるせえさっさと座れ拳銃取り出すなゴリラ女!」

「黙れそっちこそすぐ座れってのなよなよ男!」

 ...沈黙。

「...うん、俺が言いたかったのはね、」

「...うん」

 視線が痛い。昔のように、代わりに”失礼しました...”といった感じで頭を下げる飛鳥はいないからだ。勿論まだ胸倉を掴みあっていれば拳骨が飛んでくる。あれ地味に痛いのだ。暴力いくない。

「俺が言いたかったのは、男性は好意を持つ女性に対して”触りたい”っつー欲求を、女性は好意を持つ男性に対して”知りたい”っつー欲求を抱きやすいってな話よ。だから俺はこのなりだと情報屋がやりやすくってたまんない訳。男性の浮気調査をして、破局させて、あとは俺が落とせば俺の家がまた一つ増えるって事ね」

「相変わらずクズい女関係してるね」

「女運がねぇかんなぁ」

「...どこ見て言ってんの」

「さーね」

 コーヒーをひとくち口に含み、おお、美味いじゃん、と呟く隼人。仕方なく私も蜂蜜のかかったバニラアイスクリームを口に運ぶ。ひんやりしていて、甘くて、美味しい。ゆっくりと頭が冷えていく。

「そういう事で、お前が調べ始めた石黒兄弟...殺人鬼の方か弟の方か...まあ殺人鬼の方の家に一時期入り浸ってたデータがあったから、殺人鬼の方だろうとは思うけども...まぁそいつにお前は恋愛感情を向けてて、最悪やることやってんじゃねぇかって予測したわけだ」

「...あああ...本っ当に最悪」

「師匠が」

「副部長が!?」

「ははは!これぞ公然の秘密、ってやつだな」

「えええ...」

「兄貴も気づいてるみてぇだし、飛鳥はお前が女性の死体を探す連絡が止んだって心配してたから教えてやったし...兄貴の彼女も、流石に好きな人いるな〜、くらいはわかんでしょ!」

「ひぅえ...穴掘って埋まってくる...」

「埋まるな埋まるな」

 とにかく、と隼人は続けた。

「好きな人を捕まえたいってな心理は確かに分かる。でも罰をきっちり受けさせたいってのは...はっきり言って分からん。だから俺は、分かる分からんに関わらずお前の手伝いを極力したい。ここまではOK?」

「OK」

「で、俺が思うに、手段は選んでる余裕はねぇ。これもOK?」

「...うん」

「だから、弟さんと協力関係を結ぶべきだ。ここに異論はねぇな?」

「全くと言っていいほどないね」

「だから会ってみるべきだ。今すぐ」

「...ま?」

「ま」

「...いや、別に怒ってはいないんだけど」

「おう」

「逆に嫌われてないかなー、って」

「いや...そのデータじっくり読んでもらえれば分かると思うけど。こわーいお兄ちゃんがいなければ割と普通の人...ってかあがり症なのよな」

「ええ...」

「というわけで会おう。今すぐ会おう。あと仲介金は今日の晩飯な。お前の手作り、お前んち一泊付きで」

「いや別に仲介料とかにしてせびらなくてもいいけど今すぐは...」

「善は急げってじっちゃんも言ってたからな!今ここですぐ、だ!」

「嘘でしょーーー!?」

 一人の宿敵について甘い密を分け合うその瞬間が来るのは、私が驚いて面倒な口約束を交わしてしまうくらいに遠くない。


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