運命エスプレッソ

 着信音は未だ変えてはいないが、なるべくうんざりする曲にしてくれと弟に頼んだのはよく覚えている。弟は俺の着信音をヴェートーヴェンの”運命”にしてから、俺に分からないくらい複雑に設定を作り変えて、着信音を固定してしまった。なぜこれがうんざりするんだ?と聞いた覚えがある。弟は笑ってこう答えた。俺の着信音もこれなんだぜ、うんざりするだろ?と。まだその時は弟は家出をしておらず、無論両親も死んではいなかった。今でこそ初めて付き合う女性にうろたえている程度に平和ではあるが、部下が頼んでもいないのに死にかけたり一生ついてくると思われる白い部屋にやはり何度も入れられたり、面倒な弟から顔を合わせぬままゆすられたりしている。...まあ、いつものことなのだが。そうすると平和にすら怯え出してしまうのが職業病というものだ。喫茶店の店員が職業病でなく探索者病でしょうと言っていたような気もするがよく分からないのでそれは放っておくとして。ともかく、俺はもう少し昔は厄介ごとに信じられないほど巻き込まれていた。ついさっきも拾い食いか何かしたようで様子のおかしかった部下を説得し無理やり帰したところだ。つまり何が言いたいかと言えば、このヴェートーヴェンが『運命がドアを叩く音』と評したこの音は、今の俺にとって世界一うんざりする音だということだ。

「...もしもし」

「よーぉ、出来の良すぎる兄貴様」

「...」

「おーい、なんとか言ってくれって」

「結果は」

「黒井心、22歳男性。職業は何かの宗教団体の信者。備考としてはスタンガン所持携帯中。大丈夫?またバチバチーってやられねぇの?」

「煩い」

「ひゅう」

「続けろ」

「きゃーこわーい、余裕のないオトコは嫌われるぜ」

「一人にだけ嫌われなければ構わない、いいから続けろ」

「ヒュー、お熱いねぇ。職業柄精神を病んだ時期に黒野まつりに接触、以来興味を持ちーーー」

「ストーカー行為に至る、か」

「奴さんまだ諦めてないみたいだぜ?時々警視庁の防犯カメラに顔が写ってる」

「...」

「まあ兄貴が全然帰んねぇせいでご対面できてねぇみたいだけど?」

「会ってやる義理はない」

「ひゅう、なんでさ」

「会ったら何をするか分からないからな」

「兄貴がな」

「そうだ」

「そうとーベタ惚れだねぇ、本当に何か...」

「いいから後で詳しいデータを送れ。金は送っただろう」

「うぃーっす、りょーかい」

 切れた。どんな時でも相変わらず勝手な奴だ。...また鳴る着信音。

「...なんだ」

「速報ー!今ね、警視庁の屋上で伸びてる」

「は?」

「そいつが。黒井が」

「如何して」

「愛しのフィアンセの蹴りで」

「...」

「兄貴いらねぇんじゃねぇの?」

「黙れ」

 切った。走る。十中八九もう居ないのだろうが。屋上にはやはり影も形もなかったが、弟のSNSの写真から今までそこに居たのだということはわかる。舌打ちを一つ残し、階段をイライラと降り、デスクの近くへ戻る。自動販売機のボタンを押せば、トラウマを蹴り飛ばしたとは思えないほど朗らかな声が肩を叩いた。

「八雲ーーー!捜査資料、持ってきたぞ!」


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