蠱惑チョコレート

 今日の喫茶カンパニュラはスカスカで、ほぼ貸切状態だったものですから、目の前のお客様ーーー猫宮さんは相当きていると行った具合で大きくため息をついたのでしょう。

「...で、今回は何に巻き込まれて何をやらかしたんですか?」

 匂いがしますから、なんとなく予想はつきますし。もちろん一度、謎の美青年と共に来店なさったのもよく覚えていますし。ある程度想像はつくのですが、行ってしまっては面白くないと言わんばかりに聞いてみます。

「途中までなんかよくわからない力のせいで素直になれてたんですけど」

「ええ」

「うっかり...その...」

 動揺しながらカップを口につけるものだから、少し舌を火傷したようで。猫宮さんはべ、と舌を出しました。相変わらずの猫舌です。

「うっかり?」

「うっかり...えっと、片腕ぶっ飛ばしちゃって、ですね...」

 信じられないほどのため息が私の口から漏れ出ます。正気なんでしょうかこの子。いいえ、恋をしているという時点で人間は正気ではありませんし、そもそも相手が殺人犯でどうにもならないと相談してきた時にもう気づいていましたね。そうです、この子は正気ではないですし、恋愛ごとというのは多少狂気に陥っていた方が当人たちは楽しいものですから。他人がそれにどうこう口を出してしまいたくなる気持ちもまあ...出される気持ちもまあ...わからなくはない、のですが。

「...許してもらえたのですか?」

「というか...気にしてないみたいで...」

 ...てへ、じゃないんですよ全く。まあでもいいんじゃないでしょうか。当人が幸せならしばらくのところはいいわけですし。

「経緯をかいつまんで説明してもらえますか?」

「その...なんか変な人にですね...」

「はい」

「サキュバス...?にされまして」

「そんなことだろうとは思いました。続きをどうぞ」

「その...初めてで...」

「...殺しあってきた殺人鬼と?」

「つい襲っちゃって...」

「今まで追い続けてた殺人鬼を?」

「流石にやりすぎたのか拘束されて」

「...はぁ」

「でもそこまではいいんですよ」

「いいんですか」

「いいんです」

「そうですか...どうぞ」

「動画に撮られまして」

「ああ...」

「腹が立ったので拘束を外しにきた時に」

「ええ」

「片腕を飛ばしました」

「どうやってですか?」

「...デザートイーグルで」

「あなた刑事ですよね?」

「...はい」

「なるほど」

「えっと、」

「なるほど」

 つまりは破れ鍋に綴じ蓋、どっちもどっちと、そういことですね。心の中でそうつぶやいてみれば数秒後に自身の右腕が吹き飛ぶ未来が見えます。わぁお。この世の中の女性はすべからく強いのは、やはりこの卓の人間が女性のみだからなのでしょうか。まあ特に性別を設定されていない私に関係はないのですが。苦笑いとともに小さな氷をマグカップに入れれば、猫宮さんはキラリと琥珀の目を輝かせてありがとうございます、と笑った。...は?そうなんですか店長?それは...本気ですか?ああ、これは本格的にお叱りに行かねばなりませんね。あなたも加担したんです?そうですかそうですか...死んでしまいなさい、一度くらい変わらないでしょう、ほら。

 徐々に目が据わってゆく私に、猫宮さんは怯えた表情を作る。

「...あのう...、京さん、目つきヤバいですよ?」

「ええ」

「...っとぉ...」

「サキュバスになりかけであったといえ、パートナーのいる上司に手を出すのはいただけませんね」

「なんで知ってるんですかぁ!!!」

「まぁ、そちらはおいおいということで...」

「ちょっと!どういうことなんですか!」

「他人に迷惑をかけてはいけませんよ」

「...あい」

「自分たちで完結させるならともかく、です」

「...」

「私なら巻き込んで構いませんから」

 ぱぁあ、と効果音が聞こえてきそうな笑顔が眩しく輝く。

「い、いんですか?」

「ええ」

「なんでそんな...」

「決まってるでしょう?」

ーーー猫宮さんは、当店の大切なお客様ですから。

 とびっきりの営業スマイルは、今日も長閑な日差しに映えた、でしょうか?

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